ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

旅で出会ったローカルごはん107…高知 『ひろめ市場』の土佐の味覚と、桂浜界隈の龍馬の見どころ

2008年11月26日 | ◆旅で出会ったローカルごはん

 昨晩泊まった、高知県と愛媛県の県境に位置する天狗高原では、夜の気温が一ケタという冷え込みだったのに、ここ桂浜は秋晴れの下、Tシャツ1枚でも大丈夫なぐらいの強い日差しに汗ばむほどだ。改めて、東西に長く山も海も有する高知県の広さを実感してしまう。
 竜馬ゆかりの見どころを中心とした、幕末維新のコースをたどる「土佐であい博」モニターツアーの中でも、この日の午後のルートは桂浜に龍馬像に高知県立龍馬記念館と続くハイライトである。特に桂浜の龍馬像は、高知県で一番有名な坂本龍馬ゆかりのスポット、といっても異論のないところだろう。竜頭岬の高台に立つその姿は、あの有名な肖像写真の姿そのまま。片手を懐に入れて、足元はブーツといういでたちで、何を想いながらか遠く太平洋を望んでいるのだろうか。

 龍馬像はこれまで何度か訪れたことがあるけれど、この像が募金によって建てられたという話は、案内の「土佐観光ガイドボランティア協会」の方の説明で初めて知った。大正15年、高知出身の早稲田大学の学生が、郷土の偉人である龍馬の功績を残すべく、日本一の銅像を建てようと建造費の募金を募ったという。
 像の建造には、当時のお金で2万円が必要だったが、より多くの人に建造に協力してもらうことを主旨として、募金の額はひとりあたり20銭と安く設定したというのが興味深い。時の大財閥である岩崎家が、5000円もの大金を寄付する旨を申し出た際、この主旨に合致しないために断った、という逸話に、いごっそう(頑固で気骨ある)な土佐人気質が垣間見られる。

 
下から見上げる竜馬像。頭の高さだとこんな感じ(右)

 99年に大規模な改修が行われた際には、工事用の幕で覆われた像に隣接して、顔の高さまである展望台が設けられた。以後、毎年竜馬の命日である1115日前後に「龍馬に大接近!」と題して、展望台が特設されている。高さ13メートルある龍馬の顔の位置まで登ると、遠くに太平洋の水平線がぐるりと展開していて、雄大かつ爽快な眺め。とはいえパイプ組みの仮設の展望台は、多人数が登ると頼りなくゆらゆら揺れ、竜馬の目線を体感するには少々、スリルがある。
 ちなみにその改修時にも建造時と同様に、修繕費用は全国から募金で集めている。県内の小学生からは、ひとり100円で募金を集めたのだが、親からもらうのはダメ、あくまで自分のおこづかいから出すことが決まりだったとか。銅像を建造した当時の精神を、今の時代もなお伝えているのが分かるエピソードである。

 その桂浜の裏手の、山内氏の前に土佐藩を治めていた長宗我部氏の居城があった浦戸城跡に、高知県立坂本龍馬記念館の斬新なデザインの建物が位置している。高知市周辺に龍馬関連の展示施設がいくつかある中、ここは龍馬にまつわる様々な史実を特に深く掘り下げており、全国からの龍馬ファンが訪問する大変人気の高い施設である。
 入口から階下の展示室へと降りていき、まず目に入るのは2枚の写真である。1枚はさっきの龍馬像をはじめ、これまでに何度も見た、龍馬のあの立ち姿の基となった肖像写真だ。陶板画による名画の美術館、徳島の大塚国際美術館の技術協力により、陶板にカラーで焼かれたものが掲示してある。

 
いろいろな見方がある竜馬とお竜の写真。右は新婚旅行の手紙にあった絵図

 学芸員の方の解説によると、撮影されたのは長崎の上野彦馬のスタジオで、土佐藩の井上俊三が撮影したのが定説とされている。当時の写真は露光に時間を要し、龍馬のこの写真撮影では7~8秒ほど同じ姿で静止していたといわれている。
 そして話題はやはり、懐に入れた手に持っているものについてだ。高杉晋作にもらったスミス&ウエッソンのピストル、航海用の海図、国際法を解説した「万国公法」など諸説あるが、この館の見解としては、懐中時計とのことだった。ピストルは池田屋で襲撃された際に落としたとされること、袴からひもが出ていること、常々愛用していて肌身離さなかったこと、などから懐中時計の可能性が高いそうである。中にはお竜さん宛のラブレター、腹を掻いている、なんて俗説も言われており、見る人それぞれの竜馬観をもとに、楽しみながら想像するのがいいのかも知れない。

 さらにその隣には、竜馬の奥さんであるお竜さんの写真が掲示されている。お竜さんの写真は、神奈川県横須賀の信楽寺に所蔵されていた晩年のものしかなかったのだが、その後30代の頃と思われる、立ち姿といすに座った姿の写真が発見された。この若い頃の写真と晩年の写真を比べると、目がかたや二重、こちらは一重だったり、着物の着方が芸者の流儀だったりと、信憑性が疑われる要素がいくつかあったらしい。
 そこで館は、これらの写真が同一人物か鑑定することにしたのだが、依頼した先はなんと、科学警察研究所。事件捜査における鑑識のスペシャリストである。その結果、2枚の写真の人物の目の間や鼻、口の位置などの相似から、「ほぼ同一人物である」との鑑定結果が出たそうである。
 若い方の写真は、確かに芸者と見まごうほど美人で、いかにも気が強そうなきりっとした顔立ちだ。実際に向こうっ気が相当強かったらしく、だまされてヤクザに売られた妹を助け出しに、単身乗り込んでいったという武勇伝も残っているのだとか。

 そんな二人の写真にまつわる逸話を伺い、館内の展示へに目を向けると、書簡が実に多いのに驚く。竜馬は大変筆まめで、139通出したとされる手紙のうち、100通が現存しているという。この館はそれら手紙の展示と、文面の解釈の解説が、売りのひとつとなっている。
 自身の運の強さを「運のわるいものは風呂よりい出んとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり」とユニークに表現したもの。長州藩に攻撃された外国船を、幕府が修理したとの話に憤慨、「日本を今一度せんたくいたし申候」と記したもの。時勢を読んでの行動を、おできの治療のタイミングに例えた「ねぶと(おでき)の手紙」など、ほとんどが乙女姉さんに綴った手紙で、どの手紙からもその時々の竜馬の心情がリアルに伝わってくる。
 中でも数人に宛てて出したお竜との新婚旅行の手紙は全長9メートル、うち乙女宛は1メートル70センチもの長編だ。旅行の直前に遭遇した池田屋事件の詳細が綴られているほか、旅行で訪れた韓国岳や高千穂岳の絵図も描かれているのが面白い。見かけた花や植物、道の歩きやすさなど、歩いた区間ごとの様子を記したコメントも入っていて、これは本職のガイドブック編集者もうなる出来かも?

 龍馬記念館の見学後は、桂浜からいよいよ高知市街の中心部へと入る。路面電車の通りに面した竜馬の生誕地碑や、「龍馬の生まれた町記念館」がある上町界隈、鏡川沿いの石垣の町並みなどを散策したところで日没となった。今夜は市街のシティホテルに宿泊で、夕食は市街屈指の繁華街、帯屋町の「ひろめ市場」へと繰り出す予定だ。土佐の味覚をはじめ周辺の山海の幸、こだわりの酒と肴、さまざまな国の料理にテイクアウトなど、約60軒の店舗が軒を連ねる屋台村である。
 各店で好きなものをオーダーして、設けられた飲食スペースでいただく仕組みで、まずは場内を一巡してみることに。のれそれやどろめ、酒盗など珍味の肴を小鉢で売る店、ウツボ、クジラ、川エビなど土佐名物の品書きが短冊でずらり掲げられた店など、どこも魅力的だ。カツオはいたるところで扱っていて、普通のタタキに塩タタキ、トロカツオ、たたき丼もある。



ひろめ市場で見つけた、酒の肴の数々。ローカルなものからファストフードまで、幅広い

 結局、珍味の店でカツオの角煮とニンニク青唐辛子和えを買い、これとほかの誰かが頼んだ料理もご相伴に預かりながらビールをあおる。四万十川産の青さのりの天ぷらは磯の香プンプンで、中身がねっとり。じゃこ天は骨や頭も一緒にすり身にする宇和島のに対し、高知のは身だけ使うため甘く上品な味わい。このあたりの川に生息しているという川エビはパリパリ香ばしく、長いハサミが特に香りがいい。
 2回戦は日本酒でいこう、と再びオーダーに出ると、店頭に地酒の一升瓶がずらり並ぶ店に遭遇。ワンショット100円で売っており、5種適当にお願いして利き酒に挑戦だ。「司牡丹」「土佐鶴」の有名どころに加え、選んでもらったのは四万十町・無手無冠の「千代登」、絵金ゆかりの赤岡町・高木酒造の「豊の梅」、お隣は土佐市の「亀泉」。酒処・土佐の酒らしく、全体的に淡麗辛口のとんがった口当たりで、タタキやどろめ、ちゃんばら貝といった土佐の魚介との相性はさすがに抜群である。

 とくれば、土佐を代表する酒肴・酒盗ははずせない。酒盗はカツオの内臓の塩辛のことで、さっきの珍味の店で買ってつまむと、カツオの香りが凝縮、本場らしくカツオの鮮度がいいのか生臭みはまったくない。ザクザクとした食感にしょっぱいぐらい濃い味のおかげで、これは酒が進む。
 地元の方お勧めの四万十町・文本酒造の「桃太郎」をお代わりすると、こちらはしっかりと厚みがある味わいで、さっきの5種に比べるとどっしり飲みごたえがある。酒盗をちょっとつまんで、5種を順に利き酒して、とやってると、まさに盗まれるがごとくどんどん空になっていってしまっていけない。

 
江ノ口川畔の道路にある安兵衛の屋台。名物の餃子は小振りでどんどん食べられる

 中岡新太郎ゆかりの北川村、岩崎弥太郎出身の安芸市とまだ明日も残っているけれど、とりあえずこれにて竜馬ゆかりの地をたどる一連の視察はひと段落、といった感じ。そのバイタリティーに感銘を受け、人間味に魅了され、幅広い角度から竜馬の魅力に触れられた、そんな2日間だった。また視察先の各地ではであい博のテーマであるおもてなしを通じて、いろいろな人との出会いも体感。さらにであい博から再来年の「龍馬伝」へと向けて、引き続き高知の観光の動向に注目していきたい。
 もっとも、「出会い」のおかげで意気投合した皆さんとの、土佐の酒宴はまだまだ終わらなそうだ。2次会は高知の名物屋台の「安兵衛」へと河岸を移し、小振りでジューシーな評判の餃子を肴に、さらに熱く盛り上がるとしようか。(20081114日食記)