ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

時をさかのぼる

2018年05月10日 | その他

  時には、思い出行きの、
 ガイドブックに任せ、
 あの頃という名の、駅で降りて、昔通りを歩く。(中略)

 時をさかのぼるチケットがあれば、欲しくなる時がある。
 あそこの分かれ道で、選びなおせるならって。


 さだまさしの「主人公」という古い歌の詞の一部です。 

 しつこいようですが、昨日、今日とアップした、自殺した昔の女性のことが頭を離れません。

 あの頃、私も彼女も、いつも笑顔を浮かべて、きらめいていました。

 それなのに私は別の女性(今の同居人)に走ってしまいました。

 同居人とは結婚して20年、喧嘩一つしたことがなく、楽しい生活をおくっています。

 でもそれは、別の女性の苦悩の上に成り立ったものです。

 彼女は別の男と結婚した直後、報告会と称して、私と二人だけで深酒しました。

 あの時はただ彼女の幸せを祝福しただけですが、今思えば、新妻が昔の男と二人だけで深酒するなんて、考えてみれば奇妙です。

 その時の幸せそうな彼女の笑顔は、本物であったに違いないと思います。

 しかしその中に、ほんのわずかばかりでも、私に対する対抗心めいたものがあったのではないかと、今になって、思います。

 お前よりも幸せだ、みたいな。

 時をさかのぼるチケットを得たなら、私はどういう選択をするのでしょうか?

 何も変わらないのかもしれません。

 例え私が自殺した女性を選んでいたとしても、やっぱり彼女は同じ道をたどったのかもしれません。

 しかし傲慢なようですが、そんなことはさせなかったのではないか、という思いが頭を離れません。

 頭が壊れてしまうような、激しい物思いに駆られます。

 何も知らない同居人に、昨夜、彼女の話をしました。

 生来、温厚にできている同居人は、ただ悲しげな表情を浮かべただけで、何も言いませんでした。

 そのことが一層、私を苦しめます。

 これが正しい選択だ、なんていう正解は、この世には存在し得るはずもありませんが、私は間違った道を、それも幸せに歩んできたのかもしれないと思うと、やり切れません。

 どうか彼女の魂が、穏やかであらんことを。


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呆然

2018年05月10日 | その他

   昨日、20年以上前に深い縁のあった女性が自殺した記事をアップしました。
 そのショックが、尾を引いています。

 人の死、まして40代の知り合いの死というものは、誠に心を痛めつけるものです。
 なんだか仕事が手に付かない感じです。

 彼女との思い出が、浮かんでは消え、私を苦しめます。
 もう10数年も会っていなかったというのに。

 それでも、仕事は涌いて出ます。

 勤労意欲のわかない日に、呆然とするばかりです。  


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