この花は、まことの花にはあらず。ただじぶんのはななり。
世阿弥の能楽書、「風姿花伝」に見られる有名な一節です。
芸本来の美とは別に、若さゆえの華やかな美しさが表れるということでしょうか。
自分が40代になって、確かに若いというだけで人は美しいと思うようになりました。
それは男も女も。
それは言ってみれば、赤ちゃんは可愛いみたいなものなのだと思います。
しかしそれは、世阿弥が指摘したごとく、所詮は時分の花でしかありはしません。
真の円熟した美とはおよそ異なるものです。
私は時分の花を咲かせる時期はとうに過ぎました。
それを惜しいとは思いません。
なぜなら、30歳くらいまで、私は存分に若さゆえの美しさを利用してやりたい放題しましたから。
ただ、やりたい放題やったがゆえに、今の私に時分の花という言葉は無縁になったはずだと思います。
「泥棒日記」などで有名なフランスの作家、ジャン・ジュネは同性愛者で、しかも麻薬はやる、盗みはやるとやりたい放題で、しかし初老の紳士の陰間となって可愛がられることに無上の喜びを感じていました。
老いて、小説家としての地位を確立した頃、彼は美少年を愛でることしか出来なくなった自分を嘆きつつ、かつて若い自分を愛してくれた紳士達の心持に思いをはせたようなことを書いています。
同性愛者であれ異性愛者であれ、ふと、もてなくなった、と感じる時が来るのだと思います。
私は43歳の今、時分の花を失ったと思い込んでいたところ、急激に痩せたことによって、なんだかまたもてるようになって、逆にその虚しさを感じます。
体重が何だというのでしょうか。
23キロ落ちたからと言って急にパートナーがいる私に言い寄ってくる若い女性たちが汚らわしく感じます。
見た目という意味だけで言えば、私は中年ですが、それは疑似的な時分の花なのだろうと思います。
疑似的な時分の花など、私は欲しくありません。
年月を重ねたがゆえの、真の人間的な美しさにたどり着きたいと切に願います。
しかし職場は、私が精神障碍者であるせいか、永遠の雑巾がけを命じているのです。
言わば永遠の偽物の時分の花。
愚かなことです。
それなら私は、病気休暇は3年間取得が可能で、復職後一か月以上通えばまた振出しに戻って3年休めるわけですから、意図的に3年休んで一か月出勤して、を定年まで繰り返すというあこぎな方法もありなのかなと思ってしまいます。
もう時分の花は無理なのです。
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