ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

実家

2012年11月11日 | その他

 11月29日の父の本葬の前に、最後のお参りに実家に行って来ました。
 次はもう父は墓の中。
 淋しいような気もしますが、世の中は生きている人間を中心に廻っています。
 死んだ者には、礼をつくしつつも、消えていっていただかなくてはなりません。

 父の死後、母は兄夫婦とその子どもたちと同居を始めましたが、嫁姑の関係は良好なようで、まずは安心しました。

 少なからぬ金額を、遺産として受け取りました。
 母が私を呼んだのは、この遺産の相続の意味合いが大きかったものと思われます。
 ありがたいことです。

 実家は本葬に備えて畳の張替えをすませ、30畳の座敷、本堂、茶室、離れ、みな新しい畳の香りが漂い、清浄な空気に包まれていました。
 父の本葬で畳が日に焼けていたのでは格好悪いですからねぇ。

 私の体重のことは、昔に戻ったとか、格好良くなったとかいう評判で、もっとガリガリに痩せている姿を想像していたようです。
 学生時代の体重に戻っただけですから、当然と言えば当然なのですが。

 NHK松山放送局製作の種田山頭火を扱った番組のDVDを置いてきました。
 後でじっくり見ると言っていました。
 私としては、私の姿があまり元気がなくて、気に入らないのですが、それも病ゆえと思えば致し方ないことです。

 こうして一つ一つ、ライフ・イベントは進んでいくのですねぇ。
 そして気がつけば、骨となって石の下に入れられるわけです。
 そう思うと人生なんて呆気ないものです。
 しかし生きている以上、目の前の仕事を地道にこなしていく以外仕方ありません。
 面倒なことですが。

 しかし生きるということはそもそも面倒くさいもの。
 それを一々面倒くさいと嘆いていては、幸せな生活は送れません。
 ライフ・イベントを楽しむ心の余裕が欲しいものです。

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老い

2012年11月11日 | その他

 今朝はなんだか寒いですねぇ。
 このところ、股引が手放せません。
 真冬になったらさらに暖かい、起毛した股引をはくことになるんでしょうね。
 これでは、いざという時、ズボンを脱ぐことができませんねぇ。
 最も今の私には、いざという時など、120%あり得ないわけですが。

 先日NHK松山放送局から送られてきた「しこく8」のDVDを何度か見ましたが、私もずいぶん老けました。
 髪は黒々ふさふさですが、顔にたくさんの小さなシミができ、痩せたせいか皺っぽくなってしまいました。
 その上画面で見る私の動作やしゃべり方は緩慢で、私が思い描いていた私自身の姿とあまりに異なっていて、驚きました。
 主観と客観の違いというやつでしょうねぇ。

 しかしまぁ、逆に言えば老けるくらいまで生きられたということで、これを寿ぐべきでしょうね。
 若くして死んでしまえば、老けた姿をさらすことすらできないのですから。

 現に川端康成は、「老醜をさらしたくない」という理由で自殺してしまいました。
 自殺する時点で十分老醜をさらしていたように思いますが。

 昔から不老長寿の妙薬を求める権力者は数知れず。
 しかしそんなものが存在するはずもなく、どうしても若さを保ちたければ、若いうちに自殺するしかありますまい。
 そうすれば少なくとも人々の記憶には、若い頃の姿しか残りませんから。

 私はこれ以上ないほど長生きして、これ以上ないほど醜く老いさらばえてしまいたいですねぇ。
 そうすれば私は人間以上の存在になるでしょう。
 猫だって長生きすれば猫又に変貌すると言い伝えられます。
 それなら人間だって、仙人にでもなりましょう。
 私の人生の究極の目標は、仙人になって猫又を飼うことですかねぇ。

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