マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

EF65PF~EF66牽引:寝台特急「はやぶさ」

2011-08-16 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
EF65PF~EF66牽引:寝台特急「はやぶさ



昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF65PF牽引 上り「はやぶさ」

白糸川橋梁を渡る上り「はやぶさ」。
この頃から500番代→1000番代と移り変わり運用が組まれ、新車が完成する毎に500番代が姿を消して行くことになります。両者は共通運用のため、どちらのカマが牽いてくるかは分かりませんでした。



昭和53年8月 東京駅にて 入れ替え中の EF651107

東京駅に到着後、回送のための機回しを行っているEF651107。
回送側にはヘッドマークは付かず、先端はブルトレブーム以来の立ち入り禁止となっているため、こうした写真でお茶を濁していました。



昭和54年3月 東京駅にて EF651110牽引 下り「はやぶさ」

13番線に入線する下り「はやぶさ」。13番線側は相変わらず機関車の撮影が出来ないので、このような写真を撮っています。



昭和54年8月 田町駅にて EF651097牽引 下り「はやぶさ」

京浜東北線にカブられた横を過ぎ去る下り「はやぶさ」。
103系も今となっては懐かしいですね。



昭和56年11月22日 西小坂井~豊橋間にて EF65PF牽引 上り「はやぶさ」

飯田線の写真を撮りに行った際、偶然押えた上り「はやぶさ」。
まだ夜が明けきる前の時間で、良く写っていたなという写真。シャッタースピードが稼げないのでブレていますが、朝焼けを行くブルトレを押えた数少ないシーンです。



昭和58年12月1日 根府川~早川間にて EF65PF牽引 上り「はやぶさ」

海側から撮影したもので、何が写っているか理解し難い写真になってしまいました。原版はカラーですが、あまりにも変色が激しいためにモノクロ化しています。



昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6649牽引 上り「はやぶさ」

ブルートレインの利用低迷を打開する策として、25系にロビーカーを組み込むことになりました。
その際、勾配区間におけるPFの定格がやや低く、ダイヤの定時確保が困難になることから、貨物用の大出力機であるEF66に白羽の矢が立ちます。

しかし、ブルトレの利用者低迷には歯止めが掛からず、「さくら」との併結、運転区間短縮、「富士」との併結へと変遷を辿り、平成21年3月を以って廃止されてしまいました。



平成26年11月15日 尾久車両センターにて

2014ふれあい鉄道フェスティバルでEF651115にヘッドマークが掲げられました。


「富士」「はやぶさ」併結時代の写真は、別途編集してお伝えいたします。

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EF65500P牽引:寝台特急「はやぶさ」

2011-08-15 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
EF65500P牽引:寝台特急「はやぶさ」


「はやぶさ」は、昭和33年10月の改正により東京~鹿児島を結ぶ夜行特急列車として誕生しています。誕生当初は旧型客車が使用されていましたが、昭和36年7月の改正により20系寝台客車が導入され、運転区間が西鹿児島行きに改められています。
昭和43年10月の改正においては、博多回転車となっていた付属編成が長崎行きとて延長され、2階建て列車となります。

昭和50年3月の改正において、長崎編成は分割併合に利のある14系寝台客車を使用した「みずほ」に役割を変更し、「はやぶさ」は元の運用に戻ります。この際、関西で余剰となった24系24型を使用するようになり、さらに約1年半後には新製による24系25型にグレードアップされています。

牽引機は他のブルトレと同様に、EF58、EF60500番代、EF61などが使用されましたが、長距離を走る定格速度の関係から、EF65500番代が使用されるようになりました。



昭和51年頃 東京駅にて EF65529牽引 上り「はやぶさ」

長躯、西鹿児島からの旅を終えて東京駅に到着した「はやぶさ」。写真は13番線で、現在は東北新幹線の発着ホームに変わってしまいました。
写真の「はやぶさ」は、24系24形を牽引しています。



昭和52年頃 東京駅にて EF65503牽引 下り「はやぶさ」

こちらは下り「はやぶさ」の東京駅13番線への入線シーン。
当時は全ての列車が本務機に牽かれ、本務機が機回しを行ってからの出発になりました。
写真の「はやぶさ」は、神田方面へ一旦引き上げてから機回しを行い、準備が整ってからの入線となっていたようです。既に24系25形化されています。
※入線後ホームで機回しを行う列車もありました。
503号機は、下関に配置された機関車。牽引機の不具合時などにしか登板してこない、希少なシーンとなります。



昭和52年頃 田町駅にて EF65512牽引 下り「はやぶさ」

東京駅では折からのブルトレブームに沸き、鉄道少年等で写真が撮りづらくなり、ここ田町駅へ撮影場所を移動してくるファンも多くなってきました。
横を新幹線が通っているため、すれ違いや併走のシーンも度々見られました。



昭和52年頃 品川駅にて EF65528牽引 上り「はやぶさ」

撮影場所がマンネリ化し、撮影場所を移動している様子が分かります。
写真は品川駅を通過する上り「はやぶさ」。この直後、機関車に思いっきり汽笛を鳴らされ、通過ホームで写真を撮っていた高校生らしき少年が駅員に首根っこを掴まれ、事務室へしょっ引かれて行きました。あの頃は駅員さんも怖かったんですよ。



昭和53年 東京駅にて 14系「さくら」と並ぶカニ24「はやぶさ」

「さくら」の15分後に発車する「はやぶさ」は、作業ダイヤの都合か、品川から回着したまま一旦神田方向へ引き上げ、機回しを済ませてから13番線に入線する方法をとってました。
そのため、写真のように毎日「さくら」と「はやぶさ」の並びを見ることが出来ました。



昭和54年3月 東京駅にて 13番線で出発を待つ「はやぶさ」

オハネフ25100番台を最後尾に停車中の「はやぶさ」。電車特急は昭和53年10月よりイラストマーク化されましたが、ブルトレは1年以上遅れてのスタートとなっていました。したがって、昭和54年の撮影ですが、まだ文字テールマークのままです。



平成22年5月22日 おおみや鉄道ふれあいフェア2010にて

今となってはこんなイベントでしかお目に掛かることが出来なくなってしまいました。
昔は良いカメラでもなく、落ち着いて撮るわけでもなかったので、大人になってじっくり撮れる写真は安定感があります。

PF~EF66編に続きます。

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165系:臨時急行「伊那路」

2011-08-14 00:30:00 | 国鉄・JR急行列車
165系:臨時急行「伊那路」


昭和58年7月、それまで運転されていた飯田線豊橋口からの急行「伊那」が廃止されますが、平成4年に165系による臨時急行として復活。愛称は「伊那路」となりました。
当時、淘汰が進んでいた165系による運転と言うのも話題になり、後年には往年の東海型ヘッドマークまで掲げられるようになります。



※2021.8.29追加


平成6年12月10日 飯田線 東上~野田城 165系「伊那路」

165系の老朽化、淘汰はさらに進み、平成8年3月の改正により特急化、急行列車としての短い役割を発展的解消により幕を閉じました。

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国鉄 川越線:103系3000番代(元モハ72970番代)

2011-08-13 00:30:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 川越線:103系3000番代(元モハ72970番代)


103系3000番代は、元73系旧型国電の一族であるクハ79600番代とモハ72970番代を新性能(103系)化した車両です。
旧型車の車体のみを更新する事例は多々ありますが、車体をそのままに新性能車に改造する例は、国鉄時代にはほとんど見られません。そういった意味では、国電の歴史上でも貴重な車両と言えます。
しかも、後年には冷房改造も行われていることが、暫定使用ではなくなってしまったことの事情が覗えます。



平成2年1月14日 川越線 西川越~的場間にて 3両編成非冷房時代の103系3000番代

昭和60年3月、東北新幹線上野開業・埼京線開通に合わせて、直通運転される川越線も全線電化されることになりました。
計画当初、埼京線(仮称「通勤新線」)は、大宮~川越間及び大宮~宮原(高崎線)間に乗り入れる予定でしたが、宮原への乗り入れは理由は良く解りませんが頓挫しています。大宮附近には電車区を設置するような用地確保が困難だったことから、川越線への乗り入れは已む無しといったところではないでしょうか。

川越線電化にあたり、埼京線への直通電車は山手線の205系化で捻出した103系10両編成を使用し、大宮~高麗川の相互発着電車は103系3連を充てることになります。ここで白羽の矢がたったのが、仙石線の新性能化(103系・105系化)で余剰となった旧型車でした。(まさか、103系化されるとは思いもよりませんでしたが・・・。)

改造は、クハ1両はモハ1両と組んで電動ユニット化、もう一方のクハとあわせて3連化され、残ったモハ1両は電装解除の上サハ103系3000番代となり、中央線で使用されることになりました。もちろん、当初は冷房化は実施されていません。



平成14年5月3日 川越線 笠幡~的場間にて


平成14年5月3日 川越線 笠幡~武蔵高萩間にて

上の2枚の写真は、4連・冷房化された晩年の103系3000番代です。
山手線のE231系化に伴って大量に捻出された205系及び臨海高速鉄道の余剰車の購入により、同線の103系3000番代も置換えられることになりました。

これは私の推測ですが、川越線の区間運用車は、せいぜい10年程度使用し「そのうち余剰となる103系で賄えば良い」程度に思っていたのが、強力な要望によって電化された八高線の需要が意外と伸びてしまい、必要な車輌数が確保できなくなってしまった。
結果、209系の新規導入、中央線からの201系乗り入れで対応するがそれでも足りなく、103系の一般型を半自動化等により最小限確保(3500番代化)し、これに合わせて3000番代と容易に連結可能な中央線のサハ3000番代を呼んで対応した。と、考えております。

推測の域を出ない勝手な想像ですが、同僚と再会し、元の4連で最後の活躍をすることができた同車たちは、大変幸運な車両たちであったと思います。

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国鉄 川越線:キハ30系(キハ35900番代)

2011-08-12 00:30:00 | 国鉄ローカル線
国鉄 川越線:キハ30系(キハ35900番代)


川越線は、大宮~川越~高麗川を結ぶ路線。現在は沿線人口も増えて通勤路線としての性格が強くなっていますが、東北・上越新幹線が上野開業となる昭和60年までは都心に最も近い非電化ローカル線でした。
今でこそ埼京線からの直通列車が10両編成で乗り入れていますが、それまではキハ30系が台頭していました。





昭和59年7月27日 川越線 南古谷~指扇間にて

鉄橋以外の障害物がない風景は、205系10連が走る現在とは比べ物にならないほどローカルな雰囲気を醸し出しています。
この時代はキハ30系以外の気動車たちは見たことがありません。





昭和52年1月頃 大宮駅にて キハ35900番代 首都圏色塗装前

キハ35900番代は、国鉄初のステンレス製気動車として製作され、房総地区に投入されました。登場当初は銀色一色でしたが、濃霧が多い房総地区では視認性が悪いため、正面に赤帯の警戒色が入れられました。
房総各線の電化により大宮機関区に転属となり、川越線・八高線で活躍していました。しばらくは無塗装(警戒色入り)のままでしたが、晩年は首都圏色(タラコ色)に塗られ、個性の一つを奪われた感じがします。

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