寝台特急「ゆうづる」:EF80編
寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。
1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。
登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。
上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/9b/faa1bef5de1f71b220d2b0a777ee7b23.jpg)
昭和51年 大宮駅にて
50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。
写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ab/e9162d0d4583922310bf47537406e553.jpg)
昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/64/a667f6f5701256a482939045ac0f6feb.jpg)
昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車
尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。
この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。
客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。
東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8e/18800a08535cd9c5326dd357241af7a2.jpg)
昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送
「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/41/c5345c66abe9217bcd80e7b63ccf143c.jpg)
昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」
お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。
この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/4a/f6e038cc3663d596463b8b1af1392651.jpg)
昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」
北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。
「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。
20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。
その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。
そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。
オマケ画像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d1/853fbba604da9fdb1fa4e230055c2786.jpg)
平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036
公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。
昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/6a/4886e78f269cc3c7991ade7ff0171cc4.jpg)
平成20年11月22日 尾久車両センターにて EF8186
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/08/694ea7f20e203fbcc6593c4332df5501.jpg)
平成22年10月9日 京葉車両センターにて EF8181
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/e3/0694135b9ed52fc12b4b535b712f0d78.jpg)
平成22年11月20日 尾久車両センターにて EF81133
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/f9/561f0cfa43bfa97663f70e8d58aad446.jpg)
平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて EF8181
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/a4/73a12c37a3c314ea2462487183e9203d.jpg)
平成24年11月10日 尾久車両センターにて EF8181
こちらはEF81のヘッドマーク付です。EF80からバトンタッチを受けた昭和60年頃から、青函トンネルの開業による「北斗星」化への発展的解消まで見ることが出来ました。
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寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。
1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。
登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。
上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。
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昭和51年 大宮駅にて
50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。
写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ab/e9162d0d4583922310bf47537406e553.jpg)
昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/64/a667f6f5701256a482939045ac0f6feb.jpg)
昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車
尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。
この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。
客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。
東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8e/18800a08535cd9c5326dd357241af7a2.jpg)
昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送
「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/41/c5345c66abe9217bcd80e7b63ccf143c.jpg)
昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」
お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。
この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/4a/f6e038cc3663d596463b8b1af1392651.jpg)
昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」
北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。
「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。
20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。
その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。
そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。
オマケ画像
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平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036
公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。
昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。
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平成20年11月22日 尾久車両センターにて EF8186
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平成22年10月9日 京葉車両センターにて EF8181
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平成22年11月20日 尾久車両センターにて EF81133
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平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて EF8181
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平成24年11月10日 尾久車両センターにて EF8181
こちらはEF81のヘッドマーク付です。EF80からバトンタッチを受けた昭和60年頃から、青函トンネルの開業による「北斗星」化への発展的解消まで見ることが出来ました。
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