マル鉄・鉄道写真館

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EF80牽引:寝台特急「ゆうづる」

2011-03-08 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
寝台特急「ゆうづる」:EF80編


寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。
1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。
登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。

上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。



昭和51年 大宮駅にて

50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。
写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。



昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車


昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車

尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。
この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。
客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。
東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。



昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送

「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。



昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」

お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。
この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。



昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」

北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。
「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。
20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。

その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。
そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。

オマケ画像


平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036

公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。
昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。



平成20年11月22日 尾久車両センターにて EF8186



平成22年10月9日 京葉車両センターにて EF8181



平成22年11月20日 尾久車両センターにて EF81133



平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて EF8181



平成24年11月10日 尾久車両センターにて EF8181

こちらはEF81のヘッドマーク付です。EF80からバトンタッチを受けた昭和60年頃から、青函トンネルの開業による「北斗星」化への発展的解消まで見ることが出来ました。


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