この春のこと、ご近所の雌猫が我が家の小屋に入り込んできた。中二階の物置台に上がって、どうやら住み着く様相だ。時折、降りて外を徘徊しては、必ず戻ってくる。なんだ?なんだ?どうしたんだ?そんなに住み心地がいいのか?と不審に思っていたら、子猫の鳴き声が聞こえだした。そうか、そうか、安心して出産、子育てができる場所を探してたってことか。このまま住み着くつもりか?そいつは厄介だなぁ。まぁ、ネズミを追い払ってくれるのはありがたいけど、米とかも置いてあることだし、中二階が子猫たちのうんち場になるのもやりきれない。以前母屋の中二階が占領されて、床一面の糞を撒き散らかされ難儀したことがあった。徹底清掃はしたものの、なにか糞便由来のちりや微少生物が充満している感じがぬぐえず、未だにアンタッチャブルなエリアとして不気味な存在感を保っている。
だいたい、こちらの了解も得ず勝手に入り込むという了見も、ずいぶんと横着で、親しみがわかない。まっ、小屋は産院代わり、無事出産すれば飼い主のもとに戻っていくだろう。とこうするうちに、どうやら生まれたようで、子猫たちのちょこまかと動き回る気配が伝わってくるようになった。そっと脚立を立ててのぞき込んで見ると、いるいる、黒白の縞が一匹、トラが一匹、白地に黄トラが2匹、積み上げた段ボールの陰からこちらを窺っている。と、その瞬間、ささっと段ボールの裏深く隠れてしたまった。
母親は、わざわざ他家に短期移住して出産するところを見ると、飼い主からは厚遇されてはいないようで、恵まれない境遇の故か、図々しさと警戒心がない交ぜになった嫌な性格な猫だ。もちろん、器量も悪い。それでも、母親としての勤めはしっかり果たし、定期的に出歩いてはエサを求め、戻ってきては乳を与えしてほぼ1ヶ月、子猫たち無難に育ち、動きも大胆になって、自分たちで柱をつたって階下まで降りてきたりするようになった。そして、数日後、猫一族は姿を消した。そうだな、それがいいんだよ。
ところが、彼らが去って数日、またもや子猫の声が聞こえてきた。しかも、今度は、明らかに母親を捜し求める悲痛な叫びだ。あ~ぁ、一匹置いてきぼりくったんだな。どじなヤツっちゃ。母さんも、早く迎えにきてやればいいのに。きっと心配して探してるんじゃないか?ところが、母猫はさっぱり戻ってこない。近くで行き会っても、迷い子を必死で探し続けているそぶりなどまるで見えない。おいおい、一匹足りないだろ、中二階に残ってるゾ!っと話しかけたところで、さっぱり聞く耳を持たず、澄ました顔で行ってしまった。お、おい、冷たいヤツだなぁ!
なるほど動物の子育てってこういう面もあるんだ。産んだ子供、全部を全部育てなくたって、数匹がしっかり跡継ぎしてくれれば、種を保つ目的は達せられるってことなのか。そのあまりのあっけなさ、拍子抜けしてしまった。
さて、残された一匹だ。母親から見捨てられ、忘れられた黄トラだ。このまま居着いたところで、乳はもらえず、エサはなし、飢え死にして遺体が転がるなんて事態はどうしても避けたい。こいつだって、なんとか母親の元にたどり着きたいことだろう。たとえ、見捨てた薄情な親だとしても。よし、救い出して母親の元に連れて行ってやるからな。そっと中二階に上がり、子猫の隙を見て捕まえようと試みた。これがその後の不幸の始まりだ。恐慌をきたした子猫は、無我夢中で逃げ回り、とうとう冷蔵庫の裏に飛び込んでしまった。人間に対する絶対的な不信感を身体全体に染み込ませて。
それから数ヶ月。子猫は母親を慕って、放浪の旅に、・・・出たりはしないんだなぁ。こんなにも恐ろしい思いをした小屋からはさっさと退立ち去る、・・こともなく、今度は、一階の片隅戸棚の奥深くを居と定め、物陰から虎視眈々と人間の挙動を窺っている。時折、秘密の住み家から抜け出しては、庭のあちこちを素早く駆け抜けたりしているが、あまりの素早さに姿をしっかりとらえることもできないほどだ。近くを通る母親がいても、ついていったりはしない。見捨てられた者として、一人生き抜くことを覚悟した、したたかな孤児となった。なつく様子はさらさらない。レベル10の警戒心を保ったまま、少しずつ少しずつ成長を続けている。
食い物はどうしてる?それは、我が家が与えている。一日一回、牛乳とご飯の余りを近くにそっと置く。むろん、感謝して出てくることもなければ、おねだりの甘え声を上げることもない。給餌係が立ち去るのを、物陰からじっと窺いつつ、待っている。このどこまでもひねくれてしまった子猫、その半身を初めてカメラが納めた。
その瞬間、気付いたあやつは、さっと身を翻し、草の中に消えた。