最初に、4年ほど前シニアで上演した『とりかえばや モッカ13』の台本見てくれ。
どこぞの宮廷のお話し。ひょんなことから男と女が入れ替わっちまうって、まぁ、たわいないドタバタ喜劇。期せずして女へと変身してしまった王子が、自分をどう表現するかで違和感を感じる場面だ。
ブルマン 「わし」、違う!「僕」、違う違う!「それがし」、まるで違う!「我が輩」、ぜんぜん違う!「自分」、とことん違う!「俺」、まったく違う!「おいら」、徹頭徹尾違う!「あっし」、めっちゃ違う!「わだす」、訛るな違う!「おいどん」、どこの生まれなの違う!違う!違う!!
納得できる一人称が見あたらず、頭を抱える王子。
トラジャ 「あたい」?
ブルマン はっ!
トラジャ 「あちき」?
ブルマン はっ、はっ!
トラジャ 「わらわ」?
ブルマン はっ、はっ、はっ!
トラジャ 「私(わたくし)」、でいいのじゃありません?
ブルマン 私、私、私、・・・
と、人称代名詞を探りつつ、女への変身を納得していく、という、けっこう面白いセリフのやりとりだ。今もけっこう気に入っている。
日本語ってずいぶん、自分の表し方が多種多様にあるってことだよなぁ。この14の呼び名、今じゃ死語に近いものもあるが、すべてについて、微妙に発語する人物のバックグラウンドが異なっている。男、女の違いもあるし。まっ、繊細って言えば繊細だ。面倒って言えば実に面倒だ。
もの書く立場としちゃ、一人称をどれで書くか?ってことにはかなり気を使う。今書いている台本は、「安寿と厨子王」のパロディだから、登場人物たちの自分表現も様々考えられるわけだ。僕はないにしても、わし、俺、私、わたくし、当方、それがし、わらわ、などなど、どれを選ぶか思案のしどころだ。この選び方一つで、その人間の氏素性や相手との関係性、その場の雰囲気だって見通せることになる。もちろん、二人称も間口が広く、あなた、あなた様、おまえ、あんた、てめえ、そなた、そち、おぬし、野郎、がき、うーん、こっちもなかなか手強い。途中で人称代名詞が変化して、台本を読んだ団員から、クレームつけられる、なんてことも少なくない。なんせ、登場人物の名前が変わってたりするくらい、適当で呑気だから仕方ない。と、言ってちゃいかんのだが。けっこう、気を使って書いてる証、って理解してほしいよなぁ。
このブログだって苦しいだ。できるだけ、一人称を使わずにすり抜ける工夫するんだが、どうしてもなぁ、使わないわけにいかん場合も出て来るのさ。どれも使用頻度は低いが、私、僕、おいら、てめえ、なんかを使ってきた。が、どれもこう、しっくりこない。私、お高く止まってる感じだし、僕は、キザだ。おいらは、たけしの真似みたいで気が引ける。てめえ、は自己卑下がきついのでわざとらしい。と、どれもこれも使いづらいのだ。で、苦し紛れに、こっち、とか、当方、なんてので逃げたりもしている。
だから、どうなの?って話しなんだが、もの書くってこんなところでも悩みつつ、迷いつつ書いてるってことを知っておいてくれよ、って、まっ、読む人にとっちゃどうでもいいことなんだがな。ちょっとした、愚痴ってことで、勘弁なってことで、今日もたくさん、一人称書き出したが、自分の表現としちゃ、いっさい一人称を使わずに凌ぎ切ったぜ。