ステージおきたま

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今年失望した本、第一位「一揆の原理」(呉座勇一)

2019-02-11 09:52:15 | 本と雑誌

 もうとっくに台本書きに入ってなきゃならんのよ、だって締め切りまで3週間切ったんたから。どうも、これぞ!という資料にぶち当たらないんだ。中世について、埃のように知識が降り積もって行くだけ、輝くものも探し物も一つも見えない。まっ、資料本なんてそんなもんだ。これ書きたい!これなら書ける!なんてエピソードや人物に出くわすなんて期待しちゃいけない。ただ、漠然とした雰囲気?とか、その時代の空気の臭いとかがつかめれば上等と思って何十冊も読み続けてるわけだ。その中世の息づかいがねぇ、どうも・・・・

 いつまでも無駄な時間を費やしてるわけにゃいかん!ここらで打ち切りに、と選んだ数冊、ここで、おっと、予期せぬ躓き転倒。失望、落胆、怒り心頭、まさか、歴史本でこんなにも心を掻き乱されるとは思わなかった。

 呉座勇一、ほら、『応仁の乱』で名を上げてる新進の中世学者だ。あのごちゃまぜの応仁の乱をきれいに腑分けしてわかりやすく、しかも親しみやすく提示してくれた才能豊かな歴史学者だ。中世を舞台に台本書こうってんだから、当然、『応仁の乱』は読んだ。それなりに整理はついた、が、所詮、武家や公家たちの陣取り合戦、こちらの欲しいものとは違う世界だ。ならば、もう一冊『一揆の原理』、こっちは一揆の話しだもの、当然当時の庶民たちの姿が描かれているに違いない、と、かなり期待して読んだ。

 著者の目標は明確にして大胆、従来の階級闘争史観の一揆論をひっくり返すことだ。例えば、徳政一揆や土一揆なんかも、守護や幕府などの支配を覆す意図などまるで内包しておらず、あくまで借金ちゃらを目指す条件闘争だった。だから、武装も農具に限った、などという指摘は、たしかに、なるほどな、歴史にロマンや願望を反映させちゃいかんよな、民ってもんはしたたかな存在だ、そこは気付かせてもらってありがとう、だ。比叡山や興福寺の強訴に至る寺院内総会とか、全員一致原則とかも初めて聞いた。うん、ためになる。強訴にしても、神輿を押し返せば幕府や天皇の勝ち、市内になだれ込んで、神輿を皇居の門前に置いて来れば、僧兵の要求が通る、なんて、一種の綱引きみたいなもんだったなんて!そんな、なるほど、ほほーっ!の新知識を、時折挟む思いがけない比喩や喩えで面白く読ませてくれた。ほら、付箋だってたくさんついてる。

 が、だ。終章に至り、突如、現代の事柄を扱い始めた。反原発運動と国会包囲デモをやり玉に挙げてこき下ろす。これがひどい!どちらも一揆と同じ、妥協を前提として、「政府を糾弾してこと足れりとする「万年野党」的メンタリティが見え隠れする」って言うんだ?これ、ええーっ!ウソだろ!力及ばず、どちらも目的を果たせずいるが、声上げたからいい、デモしてんだから免罪だ、なんて意識で参加してる人なんて、居たとしても少数だろ。昔の労働組合の動員デモじゃあるまいし。さらに、「脱原発デモについては、現実的・具体的な解決策が提示されることはない」ほら出た、対案出せキャンペーン!政権べったり派のいつもの手だ。自然エネルギーの拡充、って対案は出してるし、仮にそれがなくたって、まずは原発止めよう、そこから様々な課題を現実的・具体的に解決して行こう、だって全然かまわないはずだ。大衆運動や民主主義てものを理解してないな。いいんだよ、原発は未来に払いきれないつけを残すから、絶対嫌だ!これだけで反原発デモの根拠は十分なんだ。

 著者の言いたいことは、デモは言いぱなしで無責任、だから力を得られない。社会は変わらない。今の時代、選挙があるんだから、直接行動で政治が変わる可能性は極めて低い、デモや座り込みするより、選挙に出馬しろ、って。呆れるね。今時、直接行動だけで政府を転覆させられるとか、政策を変更できるなんて信じてるの者はほとんどいない。選挙も大事、日常行動も大切、直接行動も折りにふれて、って多面的に行くしかないだろ。

 が、だ。もっと聞き捨てならないのは、ほとんどデマに近い情報を盾にして、運動を論難していることだ。「脱原発派の知識人の中には「福島の農家はオーム真理教信者と同じ」「福島県ナンバーの車には近寄ってきてほしくない」といった暴言を吐く人までおり、しかも一定の支持を得ているのだ」ええーっ!ええーっ!そんな話し聞いたことないぞ!誰だい、その脱原発派知識人てのは?

 さらに、国会包囲デモには、全学連や過激派も混ざってて先鋭化の可能性も危惧してるって、誰からの引用と思う?あの長谷川幸洋だ。ニュース女子で、実際に取材もせず、暴力的だとか、参加者は日当もらってる、なんてフェイクとヘイトで辺野古を貶めたあの男のツィッターからだ。驚く、より呆れる。歴史だって、資料に当たるには、その信憑性の評価から始まるはずだ。ちなみに、選挙に出れば、って提案も、政権べったり、終末期1か月の医療は止めろ、そうすりゃ医療費の赤字が減るって提案で現在炎上中の古市憲寿の主張の引き移し。

 こうもいい加減な主張を読まされると、前の章で展開した素晴らしい内容も、なんか眉唾に思えてしまう。歴史学者が今の時代に果敢に取り組む、それは悪くない。それも、自身の専門性を生かしつつ問題の解明を目指す、それもぜひともやって欲しいことだ。でもな、過去を切り開いた切れ味鋭いメスが、そのまま現代に使えると安易に考えると痛ましい結果になる。中世を見つめるために、多大の努力をしたのと同じくらい、今の時代についても研究しつくしてからにして欲しいものだ。少なくとも資料の出どころくらいは、精査してくれよな。

 ああ、もう、最後に来て、トンデモ本、読まされちまった怒り、これで一日、無駄にした。それもあって、未だ、台本書きに入れずにいるわけなのよ。

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