ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

イチゴ終わればブルーベリー

2016-06-15 09:07:59 | 暮らし

 イチゴの収穫もそろそろ終わり、まだまだたくさん実は着いているが、小さかったり虫食いだったり、摘み取り作業も労多くして報い少なしだ。なにを贅沢こと言ってんだ。徹底的に取り尽せば、きっと5キロやそこらにはなるはず。でも、ジャムも十分作ったし、残りの収穫はすべて冷凍、となると、冷凍庫満員御礼状態だから、どうにも気が乗らなくなってきた。

 子どもたちに自由に摘み取りしてもらうという計画は、結局果たせずじまいだった。理由は、着果後の除草に手が回らなかったこと。ぴったり田んぼ仕事に重なって、ああ、今ここで草とっておくと実も大きくなるし、収穫も楽なんだがなぁ!って心惹かれつつも見過ごしてしまった。神さんに助力を願ったものの、あえなく却下。そりゃそうだ、炎天下草の中はいずり回るなんて、誰だって願い下げだもの。

 それと、株が密植し過ぎだ。イチゴが生き延びだ畑の中心部は、虫の目で潜り込めば、きるっきりジャングル!着色も遅いし、実も小さく、何より足を踏み込む場所も見つからない。雑草とイチゴが競って生い茂る草むらの中に、子どもたちを入れてもいいものか?草をかき分け、飛び跳ねる虫をものともせず、イチゴの捜索、発見に夢中になってくれるもんだか。今どきの子どもたち、自然の中で遊ぶって経験ほとんどないから、雑草も虫も見ただけで後ずさりするかもしれない。イチゴ摘みって聞いたら、きっと、ハウスの水耕栽培で垂れ下がった実をもぎ取ることしか頭に浮かべられないだろう。それが、長靴穿いて、草をかき分け、見つけたイチゴが虫食いだったら。子どもももちろん、親たちだって、二の足、三の足を踏みそうだ。

 結局、今流行りの自主規制、親たちのしかめっ面ばかりが頭に浮かんで、イチゴ狩りは中止とした。迎えるこちらが忙しいってこともあったけどね。

 今日で最後のイチゴ摘み、まだまだ実は着いているが、敢えて目をつぶろう。小さい粒を摘む手間、それを洗ってへたを取る手間、満杯の冷凍庫、などなど考えると、心がくじけた。それに、ブルーベリーが押し寄せて来た。初摘み!

 まだ早生の1本だけだが、これからどんどん収穫時期に入って行く。ブルーベリーがこれまだ大豊作!て言うより、実を着け過ぎた。一昨年の強引な剪定から回復して旺盛な着果になったようだ。花の頃はただただうれしく、豪勢な花数にほくそ笑んでいたが、実となる頃には、これはとんでもないことになると慌ててバシバシと切り落としたが、それでも葉の数をはるかに上回る着果、これはどうしたって子どもたちの手を借りないわけにいかんぞ。一人で摘んでたら、毎日午前中は収穫につぶれてしまう。幸い、ブルーベリーの畑はきれいにしてある。ハチの巣も今のところ無いようだ。これなら、子どもたちも親も楽しくブルーベリー狩りを楽しんでくれることだろう。と、代役が決まったことで、イチゴとはおさらば!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする