ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

地味だって、価値はある!

2016-02-13 09:14:19 | 農業

 今日は地味な話題だ。

 ほら、写真だって、地味そのもの、色も地味なら形状も地味、って、言うよりなんだかわからない。建設現場の砂置き場か?遺跡発掘現場の残土か?墓場の土饅頭か?興味は皆無、感心絶無、およそ面白い話しなんて書けそうもない。そう、詰まらんとは思うが、ぼかしの話しだ。

 12月末、米ぬかと油かすと土を交互に積んで作り始めたぼかし、最初はこんな様子。

 よく見れば、米ぬか?そう言われれば、色が白っぽいかな?これにビニールをかけて置いておくと、不思議や不思議!ぽっぽと湯気が上がってくる。そう、発酵が始まるんだ。土の中の微生物が、ぬかや油かすの栄養をむしゃむしゃ食って分裂し、増殖し、子を作り、孫を作り、己が王国を築いて行く。勢力を伸ばしていくには、食い物だけじゃ足りない。息が、息が、息が苦しぅぅいぃぃぃ!そうとも、生きてるんだ、呼吸をせねば。

 途中、3~4回の切り返しをおこなう。そう、空気の補給と微生物の拡散だ。米ぬかばっかり固まってたって微生物は入り込めない。同じく土の塊じゃぁ、栄養が足りない。これをかき混ぜて、土の微生物様が思う存分活躍できる環境を作るわけだ。切り返し作業と呼ぶ。

 すでに3回行って、いよいよ、これが最後、4回目の切り替えしを行った。ビニールをはぐると、

 ごろごろと月か火星の表面のような有様。この塊、微生物集団が凝集して固い絆で結ばれたものだ。その団結力たるや、鋼鉄の結束力!は、大袈裟だが、固い、ほんとうに固い!スコップで底のさらさら部分を掘り出し、空気を送り込みつつ、この塊を手でほぐして行くのだ。

 かれこれ1時間、一つ一つ、手にとっては叩きつけ、ほぐし、手のひらで揉んでさらさらの粒子に仕上げて行く。こうしないと、目的を果たせない。そう、ぼかしは米の育苗用の肥料なのだ。育苗箱に土や籾殻燻炭と一緒に混ぜて詰め、そこに種を播く。均一に肥料分が行き渡るためには、どうしたて、つぶつぶさらさらでなくちゃならないわけなのだ。

 しかも何より大切なことは、微生物が存分に活躍し、米ぬかや油かすの有機成分が微生物菌体に置き換わっていなくてはならないことだ。生の有機質は種籾や根っこを腐らせる。だから、どうしたって事前の発酵作業が欠かせない。米ぬかをまき、土をかぶせ、油かすで覆い、さらにぬかをまき、土を、・・・と繰り返し、1~2週間おきに切り返しては丁寧に発酵を手助けして2ヶ月、万遍なく微生物の細かな塊となってはじめて使用が可能となる。

 地味な作業だ。日の当たらぬ仕事だ。退屈な繰り返しだ。積もった雪を掻き分けて旧鶏舎にたどり着き、作業を行ってきた。こんな人目につかない、語っても興味も引かない、面白くもない作業の積み上げが、元気な苗を育み、すくすくとした生長を約束し、豊かな実りをもたらすのだ。農業ってこんな営みだ。地味な作業の積み上げが成果を生む。でも、そりゃどんな仕事だって同じかもしれないな。

 地味だけど、大切!地味だけども欠かせない!地味だけど、そこがキモ!世の中、そんな地味で成り立っている!おっと、人だって同じことかもね。

コメント
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