ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

地域発ドラマは人と場所 『私の青おに』

2015-11-19 09:09:24 | アート・文化

 出てる出てる、菜の花シニアのメンバーたち。おっ、後藤さん、なんかレトロな小父さんで存在感たっぷり、田中さんは真っ正面から何度も出て、そうかカメラ写り気に入られたんだな。美香さん、一瞬だけ、残念!扇子を使うおっさん古川さん味出てるなぁ!置農の方は、全面協力って感じで、懐かしいホームルームの風景に演劇部メンバーがあちこち顔をのぞかせていたし、成澤先生なんて、国語教えてたりした。台詞もありで、顧問の面目を保ったってところかな。他に見知った人、出てないか?ドラマの興味、一番は、知り合い捜し。

 次は、馴染みの場所。うん、石切場は当然使うよな。かなり大切な場所に設定されていたけど、当然だね。ひろすけ記念館も題材から言って露出度大で、これまた地元高畠人としては嬉しい。行きつけの喫茶店は、あれ高砂屋さんだし、ブドウ園は竹森か時沢あたりだ。休み石も上手に使いこなしていたし、山形市の文翔館まで贅沢に使って、うん、やっぱり地域発ドラマは、ご当地紹介番組なんだよな。

 地域の人をできるだけ大勢動員し、画面に登場させる。町の人たち自慢の見所を紹介する。それによってドラマが多くの地域住民に共有され、強力なサポーターが仕上がって熱烈応援してもらう。地域の人たちは、顔見知りを捜し、見知った名所を見つけて、安心しちよっぴり優越感に浸る。これが成功すれば、地域発ドラマの役割の半分は達成できたってことだろう。

 じゃあ、残り半分は?そりゃやっぱり物語でしょ。見た人が心動かされる、とまではいかなくても、暖かい気持ちになれるようなドラマってことだ。その点、まぁまぁ、上手くできてたんじゃないかな。ひろ介の「泣いた赤おに」のその後を作るってメインストリームが効いてる。都会の出版社で疲れ果てた女性編集者が、田舎の元気や暖かさ、堅実な生き方に自分を取り戻す、って筋立ても、地元の人たちの心をくすぐったと思う。いじめとかワイン作りなんて、今流行の題材を取り込んだことも、きっと視聴者受けは良かったんじゃないかな。

 と、まあ、一応は評価して、素人とは言え物書きの立場から見れば、所詮はテレビドラマね、って感想は残った。地元受けする素材の選び方もなんか見方を代えれば、おもねってるって言えるし、良くある話しで先が見え見えでもあった。仕事が進まぬ地域のアマチュア挿絵作家、現実路線を強いる出版社社長、元彼の売れっ子作家、過去のいじめた子(青おにさん)がブドウ畑で働く姿、ここまで見れば、その後の展開からラストまで、ほぼ見通しはついたもの。でも、まさか元彼とよりが戻るとは思わなかった。ハッピーエンド意識し過ぎじゃない。

 1時間弱のドラマの中にいろいろ取り込んでるから、強引で手前勝手な設定も目についた。青おにさんのいじめられっ子、トランペットでオーケストラに加わることが夢って、高校生の時の彼女、どこで演奏活動してたの?まさか、独学?なんてあり得ないよね。ここらで楽器やるとしたら、吹奏楽部しかないよ、高校生なら。てことは、部活の仲間だってあったはず。なのに、彼女は孤独!そこでもいじめ?だったらどうやって技量磨いたっていうの?不登校になった彼女がブドウ園の仕事に生き甲斐を見いだしたってのも随分ご都合主義だと思うけど、自分の手でワイン作りとか貴腐ワインとかなると、もうあまりに勝手放題でしょ。ブドウ栽培もワイン作りも馬鹿にするなって気持ちになった。元彼が受れっ子作家って設定もねえ、ええーっ!って驚くし、そのつながりで大手出版社にいられたってのも、世の中甘く見てない?ってところ。

 で、ラストシーン。駅に行くのにあんな田んぼ道通るなんてあり得ない、なんてちゃちゃは置いておく。廻りの田んぼだよ、そのイネの育ち具合だよ。高畠に戻った最初にも出てくるこの田んぼ、イネは田植え後1ヶ月半くらいのしっかり根付いた姿だった。ところが、ラスト、その地を後にする時、田んぼは田植え後2週間程度のまばらな姿をさらしていた。帰省から再出発で田んぼは時間を逆行してしまっていたんだ。笑ったね。農村を描くんなら、こういうところ大切にして欲しい。高畠の景観で、なんたってメインは田んぼや果樹園なんだから。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする