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ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

階段が恐い!

2015-11-18 10:49:14 | 暮らし

 歳とりゃ衰える、そりゃ当たり前だ。暗いと文字が読めない、目が見えない。テレビの音声レベルはマックスに限りなく近づく。30kg入りの米袋が持ち上がらない。こん詰めて本を読み続けられない。もの書けばすぐ飽きる。・・・数え上げりゃ切りがない。こうやって、少しずつ少しずつ、肉体が衰え、精神が退化していって、最終的な消滅に向かっていくわけだ。日々の小さな諦めの積み重ねによって死を迎える準備をしていくってことなんだろう。

 だから、敢えて抵抗しない、自然の老いに身をゆだねるって生き方もある、が、負けるかよ!って無駄と知りつつ抗ってせいぜい虚勢張って生きるって道もある。65歳過ぎてフルマラソン挑戦、さらには100kmウルトラ、山道走るトレイルランだって、と野望・無謀をたぎらせている僕なんかはそんなやせ我慢派の一員だ。諦めってやつは、その場にとどまることじゃなく、一歩も二歩も後退していくことだって気がするから。

 日々、まっいいか、の自己甘やかしと戦いつつ、背筋伸ばして暮らそうと試みているわけだが、時に妥協を強いられることもある。老いそのものは確実に進行していくからね、どこかで冷静にそれを見つめていないと、とんでもないしっぺ返しを食うことになる。例えば、5月の階段落ち!とか。

 迂闊だった。いくら階段の縁がつるつるにすり減っているったって、まさか、滑って転げ落ちるなんて考えもしなかった。仮に一歩滑ったところで、すぐに体勢を立て直して、2,3段で落下は防止できるさ、って高く食ってた。それが下まで一気の転落、挙げ句は肋間神経痛で全治2週間!いかん!足下が覚束なくなってるってこと、平衡感覚が微妙に揺らぎ始めているってこと、認めなくちゃいけなかったんだ。そう、階段は恐い!下りは恐い!駅の階段でも、そろりそろりと降りるようになっている。

 と、なれば、自衛手段だ。なにを恥ずかしがることやある。あのつるつる階段に、スベラーズを貼り付けた!夏うちは素足で過ごしていたから、危険はあまり感じなかったが、秋も深まりスリッパを履くようになって、危ねっ!って感じることも出てきた。ここは一つ、意地を張らず、やせ我慢を封印して、スベラーズ!

 足裏の感覚は大きく改善された。これなら、つるり、どしんは防げるだろう。でもなぁ、やっぱり、シニア向け住空間リフォームって感は無きにしもあらずだなぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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