たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

33名の即物的なお話

2010-10-15 00:59:30 | Weblog
 今日、チリの落盤事故で、地下700mに取り残された33名全員が、約2ヵ月ぶりに地上にでることができ、救出成功となった。
 Wikipediaによると、事件発生が8/5、生存確認できたのが8/22、そして、今日まで救出活動がなされていたのである。なんともスゴイ話だ。
 33名の命を救うために、NASAやJAXA、ハーバード大などの研究機関が支援し、助言し続けたらしい。うーん、俺も、こういう時に、何か役に立てるような研究者になりたいもんだ。
 まさに、現代の科学技術によって、救うことが出来たのだと思う。すばらしいことだ。

 と、ここまではイイのだけど、皆さんも薄々感じているであろうが、非常に、軽率な周囲の反応が気に障る。生存確認が取れた段階で、すぐに映画化の話がでるとは…。自伝や、チリ全体が活気づくだとか、そういうことを、あんまり公けに言わんで欲しいよね。
 せめて、これは悪いことだよな、っという気持ちを見せながら、テレビカメラの前で語って欲しいもんだ。

 即物的なことは、どうだってイイ。
 2ヶ月間、みんなで一生懸命、知恵を出し合って、考えて、地下700mから助けたんだぜ??俺らくらいの思考力でも、助けたい!、という気持ちだけは非常に特殊で、ものすごい思考のパワーを出すことができる。それを世界の一流の研究者達が行ったのだ。すごくね?!
 33名は、2ヶ月間も地上に出られなくって、特に、生きているということが誰にも知られていない17日間は、どういう想いだったんだろう??恐ろしかっただろうな。とかね。

 そんな部分に、もっともっと、フォーカスして欲しい。映画化とか、今は、どーでもイイだろっ。
 っま、どんなことでも、どこが本質か、どこが即物的かを見分けるのは、とても難しいんだけどさ。

 音楽でも、経営でも、研究でも、それは即物的だと気がつかないで、まるで重要なことのように語っているシーンは多い。
 歌い方で上手さを作ったり、こういう売り方をしてくるのかーっと楽しんだり、どこの論文かを意識して、やっぱここの大学はーとか、雑誌はーとか、言ったり、そういったことは本来、即物的なことのはずだ。
 別に語ること自体はイイ。必要なこともある。だけど、さっきのと同じで、それは即物的なことだ、っと、胸に手を当てながら喋くらないとっ。じゃないと、本質が矮小化されてしまう。

 歌い方なんて、本来はどうだっていいことで、何を伝えたいか、そこにどれだけ一生懸命に表現してるかが、大事。こんな売り方があってすげーって楽しむよりも、その商品そのものを楽しいと思えるかどうかのが、大事。研究だって、誰の評価でもなく、自分がどんなに素人であっても、その論文の内容やデータに対しての自分自身の評価こそが、一番大事なのだ。

 「ねぇ、中学になると、さんすうじゃなくて、どうして、すう学なの?」
 『うーん、それはね…、、そっちのがカッコイイからだよ。やること、同じだもん。』
 「えーー、本とうにー?!!」
 『あーっと、難しくはなるけどね。』

 これは、小学生向けに言い放った言葉ではない。本来、そんなもんなのだ、言葉なんて即物的なモノなんだから。
 それなのに、変数xを使いだして、代入があって、算数よりももっと一般的にねっ、みたいなコメントは、後付けでしかない。カッコイイから。そのほうが、よっぽど、言葉を心に飲み込んでる。
 大人だって、みんなと同じように、そんなもんなんだよ?

 どうしても、見かけの素晴らしさや、言葉が持っている魅力に、心奪われがちだ。それじゃダメだよね。言葉ゲッターになり過ぎちゃうと、なんか寂しくなってきちゃうもんだし。
 テレビを観て、即物的なことで騒いでいる人達に感じる違和感と同様の違和感を、今、自分がしていることに対して、誰かが感じているのではないか、、今一度、チェックしてみたいと思った。

 …って、これも即物的だな(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする