たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

これだけは使わせないでね

2010-12-26 03:58:37 | Weblog
 常に自分がアクセルになる利点はいくつかある。

 まず、自分が動きたい時に動けること。相手由来じゃなくて、自分由来だと、ある程度、思い通りに時間を設定することができる。
 そして、これをいくつかの集団でやってると、暇だなーって、時間を空けることも少なくて済む。もちろん、暇にしたいときは、暇にできるわけだし、最高じゃないか。

 さらに、内容も自分が多くの部分で決めることが出来る。
 どんな人を呼ぶか、どんなことで楽しむか、そういうことを、自分が思うがままに、ある程度はできる。あんまり勝手なことをすると、すべてがダメになってしまうけど、割と、みんな、アクセル側のわがままをきいてくれるもんで、それが当たり前になってるから、ちょっとでも他人の意見を聞こうとすると、簡単に好かれたりもする。

 こんなにメリットだらけなのに、みんながフォロワーシップになりたがるのは、リーダーは大変だって勘違いしているのと(実際に大変ではあるが、多くの人が想像する大変さとは別のところの大変さである)、フォロワーシップはイイとこどりだから。
 だから、王様よりも側近になりたがるし、そっちのほうが、悪いことしても目立たないから安心、って思ってる。

 それは、集団においては、正しいと考えている。

 「だからさぁ、もうちょっと、褒める、みたいな感じで伝えたら良いんじゃないの?」
 『うーん、、なんとなく、それはイヤなんだよね。それじゃぁ、対等じゃないじゃん。』

 対等な関係、もしくは、対等でありたい関係において、無理して褒めたりなんてできない。無理矢理良いところを探して褒めることは、僕は得意なつもりです。でも、そういうのは、対等じゃない関係にやるから価値があるものであって、対等な関係は、真実を言い合いたいもんだと思う。真実の中に、褒める、みたいなことがあれば、それは一番素敵なことだけど、無理するのはイヤだ。
 それが、大きく言っちゃえば、愛情表現だと思う。その、実質的な素晴らしさの尺度の向こう側にある、感情を、求め合うべきなんだから。
 方向性はどうでもイイ。だけど、努力しようとも思ってない感情に対して、どこか褒めろ、ってこっちに無茶ぶりするのか?

 具現化され続けることが精神的に無理で、薄っぺらい言葉をかけて欲しいなら、俺じゃない。俺の役目じゃない。
 それで繋がる関係なんて、所詮、一過性のモノだし、くだらないって、味わっているから。

 こうなってしまうと、終了のカードを。。
 常に自分がアクセルになる、最後の利点、それは、『いつでも、いきなり、辞められる』ってことだ。

 今残っているすべての関係において、この利点だけは行使したくないと思っている。
 誰かに対して、意識的に、いっさいのインタラクションをしようとしないで、いきなりバイバイする、っていうのは、相対的な死を意味しちゃうから、それじゃぁ、もったいないよね。

 たとえ、最低な関係でも、何超分の1の確率で、出会った関係なんだし。
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