たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

価値ある言葉で

2013-09-27 01:20:01 | Weblog
 誰かに言わされているだけの言葉で何かを伝えようなんて、そもそも間違い。
 そんなことにも気がつかないなんて、、最近やっぱり、自分の課題ばかり見つかる。どうしたら良いか?、の答えだって、なかなか出せないし。

 幼い論理性と一緒に、それらしい言葉を並べていくだけで、誰か一人でも満足するような小さなスケールの世界なら、話は簡単だ。それだけじゃ、事実に基づいた正しい論理や伝えるべき気持ちが伝わらない可能性は高いけど、何も考えずにその人が好きなそれらしい言葉だけを冷徹に選ぶだけで、たった一つの真実を無視することで、一人だけでも満足するなら、他のことに比べれば、まだマシ。

 上手く伝わらなくて、どうしたって、すれ違うばかりで、どうすればいいかって、ずっと考え続けているけど、深いため息の奥底に眠る実質的な問題は、誰にも気がつかれずに息をひそめている。

 完璧主義で、理想を追いすぎ?いやいや、普通に達成できるようなことすら、何かの気持ちのゆらぎのせーで上手く行かないんだから、そんな高級な話じゃない。
 もっと単純に、短絡的に、ワンステップ以下の思考で、想いつくようなことが、できない。

 どうにもできないから、即物的な誰かのつまらないジョークに笑みを浮かべてみたりして、俺ってこんな状態でも、これくらいは表情を創れるんだ、って確認して遊んだりして。優しくされたり優しくしたりで、本当の意味で自然とこぼれる笑みなんて、久しく感じとれていないかも。

 はっきりと伝えるべきことがわかっている、コンピュータのように1と0だけで記述できるようなことだけは、(お互いに)伝えることができているのに。
 それすらできなくなる日が来るその前に、なんとか普通に笑いあえるように戻れたらイイなぁ。そのためには、それらしい言葉を自分の心に飲み込んだりするんじゃなくて、心から自然に出た言葉を伝えていけばイイのかもね(それが何よりも難しいんだけど)。

 もし本当は、気持ちと気持ちはきちんと通じ合っていて、なのに、実的に離れてしまうことが運命なら、こんなに悲しいことは無い。そういえば、あの日の物理的偶然から、ひとつずつ、こわれゆくことになってしまっている気もする。

 こわれゆく中央に気持ちだけはいまだに存在することを願って、物理現象である「運命」は生命現象である「意志」で変えることができるはず、っと想いながら、実験と解析を繰り返していたりする。

スガシカオ Happy Birthday
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