たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

日常のスーパープレーの裏側

2011-11-20 03:46:30 | Weblog
 俺は、たったひとつの行動をするために、いくつもの伏線をたてたり、行動を用意したりする。

 いつチャンスがやってくるかわからないから、チャンスがやってくるまでに、自分ができることをやりつくしておかないといけないし、チャンスが来た時にひるんではいけない。常に準備しておくっていうか、常にチャンスを取り逃がさないように、チャンスを得やすいような努力をしておく必要があると思っている。

 それがダサくても、かっこ悪くても、バカだって思われても、やらないといけない。生半可な気持ちでは、誰かを助けられたりしないし、ホンモノがつかめることはないし、気持ちがホントに満足できる結果が得られたりはしないし、そこまで世の中は甘くねーんだよ。

 たとえば、軽くやってるようなことでも、俺がそこまで考えて、そういうことをしてるって周囲から思われないと思う。
 他人には観えにくい分岐点。チャンスをモノにできるかの、その分岐点が観える人こそ、俺が信頼している人だし、大切な人だと思う。

 仮にすべてが上手くいって何かが得られたように観えても、ダメだったりすることもある。そうしたら、これはまだ、チャンスのための伏線だったんだ、っと考えて、また、できることを探す。
 そういうことを繰り返していくことこそが努力だし、もし繰り返していけないんだとしたら、即物的に生きた方がラク。

 ピンチはチャンス。不安定な点、変わることができうる時間帯だ、という風に考えれば、当たり前のこと。
 ピンチをチャンスに変えられるか、チャンスをチャンスのままで維持できるか、も、事前の準備もしくは準備の準備、にかかってると思う。

 秘密が明るみになった時。誰かがどこかへ行ってしまう時。体調不良。先にとられた。

 すべてがチャンスになりうる。それらをチャンスに変えたいなら、今はまだ観えないチャンスに向かって、しっかり準備して、準備の準備もして、気持ちも準備すべきだと思う。
 それがしっかりできていれば、日常生活の中で、スーパープレーを起こす確率が高まる。

 本当に地道な努力ってのは、誰からも評価されないし、観えない。自分だけが知ってるんだけど、それを陰で観てくれてる人は必ずいて、そういう人を、俺は信用している。

 よーするに、正しく評価したり、褒めたりするってことは、利口だけではダメで、超聡明じゃなきゃできないってこった。
 俺も、そういう努力をし続ける中で、誰かのそれを、見逃さないように、努めたいと思っている。
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