たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

情報でメシを食うということ

2018-01-12 15:47:49 | Weblog
 大学時代に、一緒に組んでたアカペラグループの友人が、ある日の練習後、メンバーみんなで夕食を食べていると、
 「あ、僕、久しぶりに自分の飯代、自分で出すわー」
 っと言ったので、『どうして?』と訊くと、
 「最近、誰かから奢ってもらうことが多くて。ほら、なんかよく合コン開いてるから、その成立カップルから、お礼によく奢ってもらってるのよね」
 と応えた。

 その瞬間は正直『マジ不純だな』と思ったが(というか、たぶん言ってる笑)、今よくよく考えてみると、彼ほど情報熱力学をよく理解し、応用しながらコスパよく生きてた人は、(少なくとも)俺の周囲には他にいないんじゃないかと思う。

 当時、彼は交友関係が広く、誰がどんな恋人を欲しているかを熟知していた。だから、確かに成立率も高く、メシを奢ってもらえる率も高くなっていたのだ。
 なるほどなぁ、男女関係における相互情報量を利用して、メシ(エネルギー)を稼いでるんだなぁ。そして、相互情報量に掛け算される温度Tは、周囲の運動エネルギーで定義されるから、(沢山動いてそうな)フットワークの軽い外向性の高い人たちを利用することでエネルギーを沢山得てるんだなぁと、よくわかる。

 メシを食べる、ということに関して、みんなすぐにカネを得ようとするが、それは実はコスパの悪い方法なのだ。情報という概念を貨幣に落とし込まずに、概念のままに利用できれば、自由に使えるエネルギーを稼げる。
 ここでの「自由に使えるエネルギー」というのは、「誰からの制約もなくエネルギーを直接得れる」という意味だ。当然のことだが、エネルギーを自由なカタチで得たいからこそ、多くの普通の人は貨幣を使う。この友人も、今ではすっかり真面目に働いている。人は、ご飯を食べてエネルギーを得ればそれで良いわけではなく、住居は必要だし、服も買わなきゃいけないわけで、エネルギーを様々な形で得るためにはカネが必須なのである。

 しかし、もちろん、彼の活動がもっともっと遥かに貢献性が高ければ、住むところくらい用意してくれるような、太っ腹なカップルが存在するかもしれない。服ぐらい譲ってくれるかもしれないし、誰かはパソコンを買ってくれたり、作ってくれたりするかもしれない。そこまでいければ、もはや、彼その人の信用というものが存在しているわけで、これはビットコインとかリップルとか、さらには円とかドルとか、そういう次元と同じになってくる。そもそも、円にしたって、日本全体の利益・価値と日本国が成立し続けるという信用によって成り立っている概念だ。
 個人で通貨が発行できるようになるほどに、純粋にただみんなの役に立てるなら、何か(質量m(の価値あるバリエーション))を生産し続けなくても、それは成り立つのだ。

 じゃあ「役に立つ」ということだけが、価値ある相互情報量を生み出し、さらにはカネになるか、と言ったら、そんなことはない。

 だって、、少なくとも俺は、もう一回だけでも、あの頃のあのアカペラグループのあのメンバーでの夕食と笑顔を、同じカタチと同じ気持ちで再現されるなら、5万円は払っちゃうから。絶対に役に立たないと頭で分かっていても、ね。

 そう、重要なのは、とにかくカネを稼ぐことでも、とにかく役に立つことでもなく、自分が気になる相手に瞬間的であれ永続的であれ、そのどちらもであれ、喜んでもらうことこそが、価値ある相互情報量の源泉となる。
 だから、虚偽ではなく本音になる必要があるし、めちゃくちゃ好きな相手には、本気で笑顔になってもらうだけの努力をし続けなくちゃいけない。

 でも、それは、生きていくためじゃなくって、ただやりたいだけかもしれないけどね。それがメシを食うことに繋がっているんだから、この世の原理・原則にも、まだまだ希望があるよね。
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