たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

3度目

2007-02-19 07:21:38 | Weblog
 今年の私大入試も主要なトコはほとんど終わり、東京マラソンも無事終了し、暖冬のせいもあってか、なんだか春が近づいていますね。

 今、1年振り返って、大学1年生ってのはめっちゃ短くめっちゃ楽しい1年間だったなーって思います。小学校の頃の担任の先生が、卒業間近の時に、「中学高校大学…と、上にあがるほど、楽しいよ」って言ってたけど、ホントにそうかも、っとやっと思える1年間だったかもしれない。
 っでも、やっぱり、2~3年前より、ちょっと物足りないっていうか、いやいやそのときはそのときで別の事での物足りなさを感じてたんだけど。まあ、この物足りなさが「明日こそは…」っという思いになり、檜になれない翌檜でいる、俺の生きる糧になってるのかもしれないと思うと、なんともありがたいよーな憎ましいよーな変な気分になってくる。
 そーいえば、檜でなくても良いから、翌檜にはなろうと思いながら『あすなろ物語』を初めて読んだのも、小学6年だった。

 俺は、ずっと、読書感想文が大キライで(というか、文を書くのがキライだった)、そのせいで本を読むのも、ずっと、キライだった。ほら、小学校って何かと、感想文書かせるでしょー。学芸会(学習発表会)やれば感想文書けー、運動会やれば感想文書けー、遠足行けば感想文書けーってね。読書感想文もメジャーな感想文の宿題の1つだったから、ホントにやだった。
 だから、本を自発的に読むことは、とても少なかった。数少ない小学校の頃に読書した本や教科書の中の文章で、今読み返してみると印象もだいぶ違っている。
 小学校時代に本を読めーってのは、再読するためでもあるのかもしれない。良かった、あの頃よりは違う感性を持ってるなって思える事も楽しい、っと、こないだ読んだ本にも書いてあったが、そのとおりだと思う。

 それから、中学でやっと文を書くことが苦ではなくなり、しだいに本を読むことへの恐怖感も消え、文を書く楽しさも理解できた。これだから日本の教育はーっと、教育のせいにする気はまったく無いけど、もうちょっと、アホな俺が早く気がつけたら、学ぶ事も多かったかなーっと思う。
 理系にいると、予想以上に文を書けない人が多い。いや、俺もその文学的というか、専門的というか、そーいう風に指摘されると、まったく書けてないのかもしれないけど、そんなもんはどーでもいい。ある程度の自信を持って文を書いてるかどーかってこと。だって、実験レポもまともに書けなかったりするのだぜ?原理や課題がわからないせーじゃなくて、文章力のせーで。文章を書くって、めっちゃ大事だなって思う。むしろ、理系のが文章力が必要かもしれない。

 そーそー、俺は、あすなろもそーだけど、選書が良い。必要最低限、俺の人生で読まねばな本を読んできた気がする。参考書の選書となると、最強だ。青チャートや物理で今も使ってる参考書も、なんの情報も無い、高2の時、右も左も勉強を知らない時期に、しっかり選んで買った。(笑)

 はじめの話に戻ると、日々を楽しむためには、本を読んだりするゆったりな時期と反省もできないくらい忙しい時期の両方が必要なのかと思う。俺の小6時代は、そんなことを知る、「私達はいわば2度、この世に生まれる。1度目は存在するために、2度目は生きるために」の言葉を借りるなら、2度目の誕生年だったのかもしれない。節目の年であるこの頃、確かに輝いていた。
 
 今、そー名言を残したジャン=ジャック・ルソーに反して、3度目に生まれる時があるかもしれないと、感じている日々でもある。

 んなわけで、俺は、なんで、こんな早く起きたのかも、簡単にわかってるつもりだ(笑)。
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