たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

一緒に系をより良くするために

2013-06-03 03:31:48 | Weblog
 ホンモノは輝かしい言葉を遠ざけてしまう。
 他者から要求される必要なことや即物的な指示ばかりを、物理現象としてこなしていれば、適切な年齢さえやってくれば(時間さえ経ってしまえば)、ほぼ確実に「言葉」は得られる。逆に、自分主体で動き、自分で必要なことを研究&遂行し、楽しさを忘れずに、集団や系をより良くしようとすればするほど、言葉は得られない。

 この日本では、へーこらしてりゃ、輝かしい言葉は得られ、優秀であると言われる。
 それをしないで実力主義になったり、優しくなればなるほど、変人になり、「うまくやりゃいいのに。。」って言われるバカになる。

 早い話、気持ちに対して「まっすぐ」だと損をするのだ。

 こういうことも、大学に行けばきっと違う、っと思っていた。それが幻想だとわかると、大学院にまで行けば、きっと、っと思ってきた。研究内容そのものも、研究室の雰囲気や優劣、学会発表、論文だって、みんな、誤魔化してばっかり。大義名分ばかり追いかけてて、うわべだけしか正しくない。体裁だけ整えれば、それでイイと思っている。
 今、海外に行けば違うかも?、っと思ってしまう気持ちは、きっと勘違いであることも、無駄に賢い自分の頭で、わかっている。

 俺に通用する唯一の攻撃は、絶対的な論理性か気持ちだけだ。
 どんなにうわべだけ無矛盾なストーリーを訊かせたり、表面上の秩序を守らせるために無理矢理に何かを押し付けても、逆に俺から、気持ちをこめた絶対的な論理性で返されてしまう。
 高橋慧に、薄っぺらい誤魔化しを言うこと自体、コスパーが悪いこと。俺の周囲のみんなは、だから誤魔化せばいいじゃん、っと言う言葉すら無意味なことをよく知ってしまっている。

 俺自身も、正解を知ってしまっている。

 ホンモノは、気持ちを失わさせない行為であり、より良い論理を持ってして、気持ちを進化させること、、いわば「得ている」。
 その反応に必要な材料が、言葉を早く得ることを失うことなのだ。原理的に仕方のないことだと思うし、気持ちを失って言葉を得て、苦しむよりも、はるかにマシだと思っている。

 それに、ちゃんと実力主義を貫いて系をより良くしていれば、たまに、神様からスゴイご褒美が貰えるしね。

 なかには、天才的な人もいて、希望と情熱を失わずに、きちんとした論理性で、他人よりも早く言葉を得ているスゴイ人もいる。
 でも、その人はその人で、大変だと思う。例えば、俺には、まだ言葉を得ていないじゃん、とか、アイツはルール無用だから、って負け惜しみの捨て台詞を言うことができるけど、そういう人には、それすら言えない。最初から心でムカつかれるだろうし、だけど、へーこらされるから、信頼関係は結びにくい。ちょっと可哀相な気すらする。

 『なんで、そんなに俺に無理に勝とうとするんですか?そんなことしなくても、すべてにおいて、俺なんかよりも勝っているのに。』
 「ホント…?本当に、そう想ってる??」

 その切り返しを聞いた時、俺は驚きとともに少し反省した。
 ホンモノを追いかけるあまり、不安がらせていたのだ。時間を超えようと、対等になろうと努力して、無理に背伸びしようとして、感情を把握し切れていなかった自分が、心の底からダメだな、っと思った。

 俺は、相手や集団の感情によってのみ、自分の居場所を決める。
 それは、その相手や集団の能力とか技術、言葉には一切依存しない。

 即物的なことが必要なシーンだって存在している。
 それによって、今は安心する、という人が相手なら、傷つけないために、そちらをとっても良いかもしれない、っと想う時間帯が確実に存在している。不安を取り除けたなら、、ほら、未来には、もっと楽しく、一緒に、もっともっと、より良くしていけるかもって思うから。
 そんな風に想うなんて、もう年かな(笑)。

 ただ、やっぱ、体裁を守ったり即物的なことを大事にするために誤魔化すようなスタイルは、ずーっと続けていってしまったら不幸だと思うから、ガキのままでいる時間帯が長くても、どうか許して欲しい。
 ホンモノは、思いだせば、すぐそこにあるのだから、意外とすぐに変わっていくはずだと思うしね。
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