たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

言葉で纏う誤魔化しの鎧

2013-04-22 00:59:51 | Weblog
 言葉ほど、使いにくく、しかも虚しいモノはない。

 口先だけでキレイゴトを言うことなんて誰でもできる。そこに本当の実力や想いが伴っていないなら、後参入の強い勢力に殺られてしまうだけだ。
 そのときに残るのは、過去に自ら纏ってしまった、薄っぺらい言葉だけ。

 つまり、本当の能力や気持ち以上の言葉を得たり、使ったりすることは、未来の自分へ喪失感を与えることに他ならないのだ。

 そういう風にならないために大切なのは、自己矛盾なく語ることであり、かつ、自らの気持ちに正直な言葉を選ぶことだ。言葉は、本来を誤魔化すためにあるわけじゃなく、インタラクションすることで本来を知り、そこから信頼関係を生むために存在する。
 誤魔化しの言葉を解除させ、気持ちを抽出し、底から共感するために、言葉を使っていけたなら、言葉ほど、自然現象を掌握するための武器として相応しいモノはないのだ。

 しかし、俺の感情は、その目的に即するカタチで動いてはいない。
 もはや、生命科学の最終目標である「生命とは何か?」に答えることはおろか、理学の最終目標なんてものに、興味は無い。そんな即物的なことを目標に掲げるほど、俺はバカじゃない。

 理工学が進捗し文明が豊かになったとしても、幸せの絶対量はカワラナイ。みんなにとって便利なことと、心の総量が満たされることは、まったくの異質なことなのだ。そんなこと、とっくの昔に知っている。

 ある目標に向かって、みんなで立ち向かうからこそ面白い。モノづくりのなかに、心と心が通い合っているからこそ、価値があり、幸せを感じることができ、やっと意味あるモノになれる。
 不貞腐れた言い方をするなら、俺のすべての行為は、みんなが興味あるって言うから、仕方なく付き合ってやってるだけのことだ。

 一番心配している、大切な系の状態は、よくなっていく気配は無い。
 纏ってしまった言葉の数々、誤魔化しの鎖をほどくには、締め付けられてしまっている向きと逆向きに鎖を回すか、ナイフで切ってしまうしか方法は無い。前者は恐ろしく時間がかかってしまうし、後者は気持ちを傷つける可能性がある。たとえ直接肌に刃が当たらなかったとしても、歯垢が溜まると、そこで歯が安定してしまい、取り去ると血が流れるのと同じで、本来を抽出するドラスティックな変化に、傷はつきものなのかもしれない。

 なるべく傷を負わせないようにと、優しく扱えば扱うほど、単純に勇気が無いのと同じ行為になってしまう。プライドが高いわりに能力がない、本来の笑顔を失ってしまっている、助けるべき心を持つ相手を勝たせながら、時間と戦うのは、言葉をいくら正しく使っていっても、なかなかの苦戦を強いられてしまっていた。

 ただ、それも、俺が望んだことだし、俺が選んだことだと思う。
 観ないフリは簡単で、日々の忙しさをイイワケに『「今は」忙しいから。』っと誤魔化してきたのは俺自身。

 きちんと変化させないと、言葉よりも厄介な結果に化けてしまう。
 何か対抗手段をしないといけないけど、恐ろしいことに、焦りは無い。周りを見渡せば、いつのまにか、信頼関係に溢れていたからだ。
 頼り過ぎてはいけないけど、彼ら彼女らがいる限り、この特有なモノづくりも、きっと成功するだろうと確信している。

 優秀さをベースとしながら、絶対的な論理性を身につけ、さらに言葉の使い方に繊細な人たちが、信頼関係を結んでいるんだから、大丈夫。
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