たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

視野を広げるのではなく視点を高くせよ!

2017-01-18 03:13:49 | Weblog
 自分が当たり前だと思っていることの中に、自分の能力が上がらない原因が含まれていることはよくあることだ。
 何を前提としているのかは常に把握しておきたいし、ある前提を当然視することでの思考力向上を目指すことが周囲から観たときに(キャラづけしやすいから)無難ではあるのだけど、1年もしないで頭打ちになって、元気な実力主義者だったのが権威主義者になる過程を厭きるほど観てきている俺としては、もっともっと、視点を高くしていく必要があるかと思う。

 こういう話をしたときに、多くの人は、単純に視野を広くしてしまいがちだ。ただ単純に山道を歩き回るのではなく、自分の思考力で登れる限界の高さの木に登り、そこからの風景を掌握することが重要なのである。
 また、自分にとって"役に立つ"であろうと思える木に登ってしまいたくなることもよくある。そうではなく、とにかく、なるべく高い木に登ろうとすること。これが視点を高くするという行為なのだ。
 何のために思考力を高くするのかを決して忘れてはいけない。小さく狭い分野のなかでどうにか生き残るため、などというくだらない理由のために思考力を向上させるのであれば、何もしないほうがマシである。思考力を向上させる理由は、紛れも無く、高い視点を持つためだ。そして、なるべく正しく世界のメカニズムを理解し、皆を正しく先導していくためである。

 逆に言えば、思考力さえ高くしてしまえば、限られた状況の中でも、あらゆる木に登り見下ろすことができる。これは大きなメリットだ。
 俺は去年から重点的に世界史をばーっとおさらい(いや、初学に近いが笑)しているが、、学習していてかなり思うけど、学部レベルの物理学を一通りきちんと学んでいるからこそ、着目すべきポイントがめちゃくちゃ早く正確に捉えられていると自分では思う(自分で言うのもなんだけど)。物理さえ学んでいれば、最低限として、化学なんて1年で、生物学なんて3ヵ月でマスターできてしまうが、それは文系の分野にも応用できるに決まっている。
 そういう意味では、物理(か数学)をある程度(統計力学くらい?)のレベルまで先にきちんと学んでしまって、そのあとにやりたい分野の学習をするのがおすすめではある。というか、(一番調子にのってるときのモードの俺の意見としては)物理もちゃんと勉強しないで、いきなり世界史なんか勉強して何か意味があるのか?、と言いたくなるくらいである。

 価値というのは、高所から多角的に見下ろしているからこそ正しく判定できる。ただの資本主義ではすべてを語れるはずが無いし、需要と供給の関係だけでも語れるはずがないし、低い視点にいる人からすれば、思考力の伴った高い視点からのジャッジは"多角的"ではなく"他角的"にしか見えないだろう。なぜなら、モノゴトを三次元的に捉えられていないから。
 だから、思考力と言う名の筋力のある、高所から観えている人間の指示に従おう、とするのが理にかなっている。

 そう、本来は、この圧倒的な思考力の絶対量を伴う視点の高さこそがイコール権威だったのだが、、過渡期の現在、これが疲弊している。思考力の無い低所から見上げている多くの人間が、木に登れる側の人間たちが自分たちにとって都合の良い道筋しか示してこないことを見抜き始めているからである。

 だとしたら、、普段からこのページを読み切れるほどの思考力がある聡明な読者諸君なら、すべきことは、俺が言わなくても、わかるよね?
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