たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

贅沢な悩み

2013-10-08 02:12:44 | Weblog
 今悩んでいることが自分にとってどんなに本質的であったとしても、誰かから観ればくだらなく感じる。

 俺の場合は、何かの言葉が得られないことによる弊害が大きいけど、何かの言葉を得るに値する能力を得ないで言葉だけを得てしまった人からすれば、さして小さな悩みだと思う。

 例えば、俺は、中学受験からカウントして、筆記試験による受験を6回も経験している。その日のその試験だけで、そこからの一年以上が決まってしまうような試験を6回も。たぶん、日本の教育のなかで、これほどの回数、これほどの種類、その日の学力検査だけが左右する受験を受けてきた人間は少ないと思う。ただの一度も、推薦入試という、よりラクな手段を使おうとしたことが無い。
 これは、とてもコスパーが悪いことで、とてもじゃないけどガチの能力を要求され続けすぎることだと思う(自分のカワイイ生徒にはオススメしない)。もっとラクに過ごして、俺が持っている言葉よりも輝かしい言葉を得ている人が沢山いる。
 でも、俺個人が得られていることはとても大きい。この問題が解けなければヤバい、マジで人生がかかっているんだ、っという一問一問のなかで起こる、解法や手法の閃きは、何物にも代えられない英知を齎してくれた。これは、経験していないと絶対にわからないこと、得られないモノだ。

 こういうことを何にも知らずに、ふらっと言葉を得てしまう方が、そりゃラクだし、そっちのがコスパーが良いし、要領が良いし、オトナだと思うけど、極限に迫られた時に成長する能力が一切得られないリスクを背負っている。
 っというよりも何よりも、こういう勝負の現場に立ってこれたというのは、(経済的にも精神的にも)何よりも幸せなことだ。日本中の多くの人は、そんな試験場に選ばずとも他の事情でやってくることができないわけだし、世界を観たら、もっとだ。

 俺が今感じている悩みだって同じこと。
 ちょっと前の集団を見渡せば、そんな悩みを抱くなんて、全然幸せじゃん、っと罵られるような内容だし、こんな現実をきちんと直視しているからこそ、それを実質的にも精神的にも変えなければならないと感じているからこそ、俺の今の悩みを解決させる意味がある。

 ただ、だからといって、今の悩み、今気持ちのなかで発生してしまっている不安が小さくなるかといったら、別問題だと思う。悩みや問題は、他人のそれと比べることで小さく感じることはできるけど、実際に小さくなるわけではないし、解決しようと想った時には向き合わなきゃいけない。
 我々は、大きさは違えど、我々それぞれに与えられた課題をきちんとこなすことで、成長できる。俺に与えられている課題は、言葉に固執せず、ガチの能力を得ること。そうじゃなきゃ、決して、助けられないから。

 そう、本当の能力が無ければ、誰も助けられない。ずっと誤魔化し続けて、能力がついていなければ、自分が同じ年齢になったからって、そのさらに下の世代に、自分がされたようにすら、助けることはできない。
 それに気がついたなら、それに気がついたなりの課題が用意されている。それは、俺の課題とは違う課題だけど、等しく悩ましいし、等しくツライし、等しく難しい問題なのだ。

 悩みは絶対的なモノで、相対値として評価してはいけない。いや、してもいいけど、そんなことで解決にはならないと自覚しなくちゃね。
 大切なのは、自分の気持ちに素直になることで、信頼している人に対して素直に接することで、贅沢な悩みを超えることができ、自ずと解答が観えてくるはずだと信じている。
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