たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

本来の直観力に戻りつつある日々

2017-04-28 00:14:39 | Weblog
 気持ちや感情に支配されない行動原理の基礎として、人には直観と論理が用意されている。
 論理は国語や数学で習うからわかりやすいと思うけど、直観の認識が甘い人が多い。直観はイメージとしてはパターン認識のようなもんだ。つまり、これまで自分が経験してきたことを総括して判断することである。

 自分自身の行動原理として直観と論理の強度を意識しながら上手く両方使っていくと最強になれるのだが、いくつか基本的な役割を抑えておくほうが早い。
 まず、ゴールは論理で出すべきではないということ。これは、受験の勝ち組ほど間違えてしまうのだが、論理は基本的にはゴールまでの道順を客観的に説明するための道具であって判断の道具ではないのだ。判断の道具については直観で行うほうが遥かに早いし精度が高い。受験では使うべき論理が固定化されているから、むしろ直観が機能しなくなってしまうのだが(それでも直観で答えるとあってることがあるくらいなわけですが)、基本的に使うべき論理が固定化されていないフロンティアラインである研究や日常生活というものに対して何か結論づけたい場合、最初に直観で行き先を決めて、そこに向けて論理を走らせるほうが上手く行く。
 そして、直観にも使い方に気をつけなくてはいけないことがある。それは、直観でゴールを決めた後に、論理を用いて客観性を与える前に、さらにそこから別のゴールに行こうとしてしまうと失敗するということ。直観に直観を重ねてはいけない。直観は一歩踏み出す分には当たっている可能性が高いが、その直観をもとに、さらに別の場所へと直観を働かせると高確率で間違える。第一段階があっていても、論理無しで次の直観を使うと、その先では間違えてしまう可能性が高いのが面白いところだ。
 なので、イメージとしては、岡崎フラグメントみたいな笑。直観で答えを出しておいて、その後に論理でそれを説明しようとしてみる。論理が組めたら、またそこから直観を働かせる。この使い方が一番正しいと俺は直観的に思っている。

 俺は、大学受験のために勉強を始めてからこないだの3月まで、ずっとずっと論理を強めることを意識してきた。物理学科に入ってからはそれがさらに強くなったのだが、俺はもともと直観がものすごく強いタイプ。
 この4月(正確には3月の終わり)からアメリカに来て生活していますが、この本来の武器である直観が明らかにのびているのを感じます。逆に論理性は下がっています。単純にロジックじゃ追いつかないほどの摂動がやってくるから、最初の一歩がものすごく遠いのよね。足を大きく出さざるを得ない。そこに客観的な解釈が入る前にまた全然別の種類の新しい摂動がやってきて、違う空間において足を大きく出さざるを得なくなる。そんなことをずっとやってるから、直観がものすごくのびてきているのを肌で感じます。

 あのね、これはあんまりここでは言いたくないんだけど、夜みる夢がものすごく当たってるんですよ、こっち来てから。確認とると。日本にいる友達の夢を見る→その内容を伝える→どうしてわかったの?みたいなんが、ここ何度かあって自分でも恐ろしい限りです。でも、これは不思議な力でもなーんでもなくて、ただの直観。俺が経験していることの総和から判断しているだけで、別に不思議感はありません。(よく考えてみると、予測できうるものばかりだし)
 でも、こんなに直観が冴えてるのは、高校生以来で懐かしい感じ。それだけ、反応してるだけでいっぱいいっぱいなんだなぁと思います。

 どちらかというと、さっさと研究を終わらせないといけないからロジックを強めないといけないわけで、そのためには英語をマスターしないとなぁ。そして、早く英語をマスターするためには直観を使うのが一番手っ取り早いなぁと。
 うーむ、どうしたらいいものか。焦るな!ってやつか、これは単純に笑。

 というわけで、今の俺の直観力を持ってすれば、傍にいなくても、隠し事したり、悪いことしたら、俺にはわかっちゃうんだぜ?(嘘)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アカデミックで初めて職を得... | トップ | 冷めさせないで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事