たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

1エイトの価値

2014-03-21 04:17:58 | Weblog
 みんなで一つのことを創っていって、ついに達成されるその瞬間、これは何のために行ってきてたのかな?って、ちょっとだけ悩むこともある。
 前日までは、終わったら死んでもイイかも、って気持ちで取り組みながら、全力をかけていく。でもその後に何が残っているかといったら、何かが残るわけではないから。。

 もちろん、それは具体的な結果が出ていないところに依るところが大きいのかもしれない。また来月、また来年、ってもうそんなことをいくつも繰り返してきていて、目の前のことに一生懸命になり過ぎて、ありきたりのパターンになりつつあることがわかっていながらも、どうにもできなくて。

 チームプレイを繰り返していれば、どうしたってそこに十分な時間がかけられない人もでてくる。
 もっと一緒に頑張ろうよ、って気持ちになるけど、その人個人で目指している目標にだって大事な価値があるんだから、その時間のなかで精一杯、そういう人に対しても、自分が今できることをやっていくことがベスト。

 こういう熱がきちんと伝わっていけば、個人主義な人達も次第にチームプレイに溶け込んでいけるのだと思う。
 それがわかっているから絶対に諦めない。たとえそれで自分が少し損してしまうんだとしても。

 あの頃、2人が、、みんなで、創ったものづくりのあと、黙々と、個人の努力をみんなでの努力に昇華し、そこから個人個人への目標に向かっていくんだ、と大きく主張していたあなたの瞳を大義名分に、普段直視できない分、じっくり直視してしまった自分の思考が教えてくれた。
 でもね、もう少しだけでも、その目標をこっちに向けてくれたら、まだ何かで繋がっていれたかもしれないのにね。ま、今、きちんと結果を出している姿を観ると、あなたのstyleはあなたのなかでの正解であったのだ、ということはわかるんだけど。

 1エイト、1カウント、指先まで意識しながら伝えていくように、きっと精緻な論理体系も、個人の意識とチームプレイが無ければ進捗していかないのでしょう。
 それを啓蒙していく意図としても、ものづくりには価値があって、たとえ終わってしまっても何かがきちんと残っているって、やっぱり信じている。
 何よりも楽しいし、一緒にやってくれる人に、心から感謝している。

 だからこそ、ものづくりは、みんなの気持ちがきちんと入っていなければ、何の価値もない、、んでしょ?
 逆にいえば、みんなの気持ちさえきちんと入っていれば、どんなに実質的にダメでも、そこには素晴らしい価値が宿るのだと思う。

 そこから、個人個人への夢に適応させていくからこそ、きっと価値があること。
 だから、一人ひとりに対してまで、一生懸命、頑張ろう。
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