今日の東京新聞に、百田尚樹の書いた「永遠の〇」に付いて、加藤典洋氏が書いているのを読んだ。
「大波小波」に反論、とする文章だったが、これを読んで百田の小説に付いて理解できた。
「永遠の〇」は、「特攻隊の祖父の生き方を孫が語る」」形式の小説で、中身は「反戦的で感動的」に読めるモノらしい。でも、加藤氏は「これがくだらない、でたらめでセンチメンタルな好戦的なエンタメと言うだけでは足りない小説」という。「愚劣」と評したらしい。
特攻体験者の島尾敏雄氏と吉田満氏は「特攻体験ほど、イデオロギーと感動から遠いものはない」と語るようだ。それはそうだろう。命を懸けて飛行機で艦船に体当たりするのだ。実行するものに感動など、ある訳がない。その特攻を「感動として書く」百田を、加藤氏は「動製造機械」と言っているようだが、俺が胡散臭く感じるのは、これなのかと思った。
「言うは人によらず」とは、論語だったろうか。百田氏が語ろうと、誰が語ろうと、反戦平和は同じだが、百田氏の言動を見れば、彼が反戦平和の人のはずもなく、「特攻を描き、反戦を装って、感動を描き、好戦を煽る」、そこが問題なのだろうなあ。