桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ちゃんちゃら可笑しいぜ

2020-01-09 | Weblog
昨夜、レバノンで記者会見したゴーンさん。色々と取り調べなどの体験を語り、主張したが、俺たちには当たり前の自白強要でも、欧米では異常なんだと、改めて知らされたね。
お前がやったんだよ!証拠はあるんだよ!見られてるんだよ!早く吐け!
朝から晩まで、同じ言葉を繰り返されて続く取り調べという拷問。
でも、日本人の多くは「悪いことをした人には当然」と容認する。
しかも、その上にマスコミは警察や検察の主張のみを垂れ流すから、ますます国民は真相から遠ざかり、人権侵害に目を閉ざされてしまうのだ。
ゴーンさんの主張の総てが真実ではないにしても、保釈された後の公判前整理手続きに於いて、弁護団の要求を無視し続けたらしいけ検察対応の酷さなど、これまで報道されていないことを知らされて、本当に日本の司法は異常だと判る。ゴーンさんが逃げるのも当然だよな。
その記者会見に対して、日本の検察は「とうてい受け入れ難い」と語るとか。
受け入れ難い?
自分たちの主張を曲げられたり、間違いだと裁判で判決されたときに、腐れ検察が受け入れたこと、あるのかな?
寝言を言うなよ、腐れ検察ごときが!
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間違いの本質

2020-01-08 | Weblog
ゴーン事件に絡んで、今日も、たまたま郷原さんの書いたモノを読んだが、検察に対する評価では、なかなか本質を指摘する人がいないと思わされるばかりだ。
郷原さんだけではなく、多くの人が日本司法の有罪率99パーセントは、「有罪に出来ない事件は起訴しないからだ」と思っているようだし、書いている。今日も「有罪に出来ない事件は起訴しない」とあった。
違う。
日本の検察が「有罪に出来ない事件を起訴しない」なんて有り得ない。「有罪にしたい事件を起訴して、有罪にしてもしなくても良い事件は起訴しない」のが日本の検察だ。
有罪に出来ない、ではなく、有罪にしたいか、したくないか、ね。
ここは絶対的な違いだし、日本司法の特異性だろう。
だから、有罪にしたいと思えば証拠は捏造するし、隠滅もする。
ここを理解しない99%問題は、どれもが間抜け、的外れな論でしかない。本質を理解しない、出来ないのだろうな。
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ダメ、駄目!

2020-01-07 | Weblog
なぜ警察や検察が存在するのか?
俺は考えたよ。
悪いことをした人を逮捕して社会の治安を守るために必要な組織だけど、誰が検察や検察を必要として作り、存在させているのだろうか?
国民だよね?
何か事件があり、問題が生まれると、良く警察当局や検察当局から「あれこれの取り締まり法が必要だ」とか、「改正法案を作る」のどとの談話が報道されるが、その度に、俺は腹立たしい思いになるよ。
どのような法律を作り、どのように社会の治安を守るかは、お前たちの語ることじゃないだろ!と思うんだな。
ゴーンさんの逃亡を理由に、あれこれを検察や法務省が語るらしいが、こいつらが遣りたい放題で法律を作って来たからこそ、今度のゴーン事件では世界から人権後進国であると批判される事態になっているんだよ。
警察や検察は国民の付託によって社会に治安を守る組織として存在するに過ぎないのに、まるで主体的存在でもあるかのように法律のあれこれを作成しているからこそ、冤罪が作られ、解決されないのだと、俺は思っている。
正義の前に腐れている検察が存在するからこそ、ゴーン事件が起きたと判らないのだろうが、こんな連中に法律作成をさせちゃダメ人間だよな。
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ちょっと違うな

2020-01-04 | Weblog
ゴーンさんがレバノンに逃亡した事件がニュースになっている。
日本司法は狂っているから逃げたくなる気持ちは判るけど、堂々と闘って日本司法を正す同士になって欲しかったな。
そもそも戦争時期に臨時に作られた規則などが戦後も無反省に生かされ、戦後の民主主義とは相容れない思想のままに遺されたがゆえに、今のザマになっている。
本来ならば戦争責任を問われる立場だったし、体制を解体した上で新司法を作るべきだったのだが、それが成されずに検察官が主体的な存在として続けて来たのが日本司法だ。
自分たちが犯人だと決めたならば証拠を捏造するし、無実の証拠を隠して有罪にするのが警察であり、検察だが、そんなのは司法とは言えない。どこの世界にもない。
狂っているし、腐れ切っている。
ゴーンさんの事件も日産が、完全にフランスの傘下になる事態を阻止するクーデターであり、無理筋な事件と言われていて、その逮捕と取り調べは異常だ。世界の批判を浴びた。人権を護らない日本司法は世界に恥を晒した。だから、ゴーンさんには法廷で、その日本司法の異常を示して闘って欲しかった。
今日の東京新聞社説には、それに関して逮捕した事件の4割くらいしか起訴していないことを書いていて、だから検察が適正に判断しているかのように読める部分があって違うと思った。
逮捕した事件の6割は起訴猶予や不起訴、罰金で釈放されているというは、逮捕しなくて良い事件を逮捕しているに過ぎない。諸外国ならば逮捕しない事件まで、わざわざ手を煩わせて手間を掛けているということだよ。本来ならば、それも日本司法の異常性を示す4割起訴という事実ではないのだろうか。
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笠間稲荷へ

2020-01-03 | Weblog
我が家は、毎年、笠間稲荷に初詣に行く。
連れ合いの実家で正月を過ごして年始客の相手をした後、行っていたが、今年は食事療法中で食べられない、飲めない。連れ合いの実家では過ごさずに、少し早めの今日、行って来た。
神社では何重にも並んで賽銭をあげる人々。並んだのは、初めてだから、やはり三が日だけある。
これも恒例のお御籤だが、昨年は、訴訟は思い通りに勝つとある通りになった。
今年のには、生死は十中八九生とあったよ。訴訟は引き分けみたいな書き方だったが、さてはてどうなるやら。
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私的なことですが

2020-01-03 | Weblog
6月11日、大出血した。
起きて階下に降りるときに尻に違和感があった。便意は感じなかったが、とりあえずトイレに座った。途端に尻から水が迸り出た。まるで下痢のようだった。見ると血だった。やや黒色をした血。
とうとう来たか!。癌。
自覚は無かった。野球の練習に行っても物足りなくて足腰が動かなくなるまでノックを受けたいと感じていたほどだったが、思えば1年前の夏、連れ合いの実家で垣根剪定をしたときに異常な疲労を味わった。
例年は3日ほどで終わる垣根剪定だったのに5日も掛かった。へたり込むほどの疲労感は、暑さのせいだと思ったが、そうではなかったのだ。
最後の健康診断は4年ほど前だった。内視鏡検査で「癌化するかも知れない部分がある」と言われていたので覚悟はしていたから驚きではなかった。陶板浴での免疫力対応も出来るし、癌になったとしても恐れることはない気持ちでいた。
余計な心配を掛けても仕方ないので連れ合いには告げなかった。その後の予定を考えて健康診断を8月半ばに予約した。
診断では、すぐに精密検査を言われて9月19日、26日に内視鏡検査、造影剤検査、CT検査と続いたが、肛門に近い辺りに毒キノコのように育った癌が見えた。素人の自分が見ても、かなりの大きさだと判った。
「これは人口肛門だな!」
検査技師か医師か判らないが、内視鏡で明らかになった癌を見て呟くのが聞こえた。妙に明るい声で、まるて楽しいことを見つけたかのような感じだった。
すぐに生体検査をすると医師は言うが、俺には10月アタマに徳島から北海道へ移動する予定があった。絶対に予定は変更出来ないと告げると、飛行機に乗ると出血の危険があるとして後日の再検査になった。
連れ合いは、そう驚かなかった。
何年間も健康診断をしなかったことを責めたいようだったが、取り返せない過去を悔いても意味がないことは冤罪体験で経験済みの俺だ。余り多くを言わなかった。
何時も自分の思うままに生きている俺だったから、こういうときは連れ合いの望む治療をしようと思った。
手術でも人口肛門でも良いと思っていたが、しかし、縁があって出ている関西のライブで癌になった話をしたことから展開が変わった。
食事療法を勧められた。
ライブ仲間でサックス奏者のマサさんの父親は70歳過ぎて大腸癌になり、手術した果てに食事療法と出会い、その後、23年間、94歳まで生きたと言う。知り合いの弁護士さんは大腸癌から手術。再発の膵臓転移。手術不可能の余命宣告から食事療法に出会って回復した話も聞かされた。実際に食事療法の食材を売る店を訪ねたが、店主も大腸癌の余命3カ月宣告から完治されたそうで、実に爽やかな表情で筋肉隆々の姿に出会って決めた、食事療法をやると。
人間には運命と呼ばれるモノがある。自分の意思ではどうにも出来ないことがあり、人智を超えた天や神が人間の明日を決めてしまうものだとして運命と呼ぶみたいだが、俺は違う考えを持っている。
確かに運はあるが、それは人間の明日を決める切っ掛けに過ぎなくて、人間の明日を決めて、運が運命となるのは、その人自身の意思が行動となって積み重なる時間によるという考えだ。
俺は冤罪という不運を体験した。無実の罪で29年を塀の中で過ごした傷みは言葉には尽くせない。両親の死を看とることも出来ないままに逝ってしまった父と母を考えると、今でも涙が出る。無実の証拠を隠して犯人にした警察と検察を考えると、どのような復讐をしても恨みは晴らせない思いになるが、俺は、あえて悔しさや哀しみ、怒りや恨みを忘れて生きた。
人生は1度限りだ。今日という日も人生には1度限りだ。どこに生きても人生に1度しかない今日ならば、今日という1日を人間として満足出来るように生きよう、明るく楽しく過ごそうと決めた。
そうした獄中での生き方を支えてくれた国民救援会の皆さんから届く善意は、誠実に生きる尊さを教えてくれたし、確実に俺の生き方を変えてくれた。
象が針の穴を通るくらいに難しいと言われた再審裁判で無罪判決を得て勝ち、再審裁判と同じように勝つのが困難と言われる国賠裁判にも勝ってみると、その困難を乗り越えさせたモノが何だったのかを考えさせられた。
冤罪は不運だったが、不運のままには終わらせなかったのは、あのときに自分の意思を変え、行動を変えたからこそだったのではないか。
運はある。悪い運も良い運もあるがしかし、運命ではない。運を、どのような運命にするかは、その人の意思次第、行動次第ではないのか。
人間は独りでは生きては行けない。良かれ悪しかれ、人様との触れ合い、出会いがあり、その関係が明日を決める行動にもなる。
俺は関西ライブで出会い、知り得た食事療法に運を感じた。肉、魚、乳製品、卵、砂糖、科学調味料一切を絶ち、総ての細胞が入れ替わる3カ月を過ごして癌を消滅させる食事療法に運命を感じたのだ。
10月の病院は「奥さんもご一緒に」と言われた。
医師は手術を言うが断った。食事療法を決めていた俺は「来年2月まで治療はしない。2月以降に、また診察を」と頼んだらば、「そのときはケアハウスとの相談になります」と不機嫌そうだった。平然としている俺に、隣の連れ合いは「意味が判っているのですか」と言った。ケアハウスは治療ではなくて死への準備をする場所。連れ合いの方が深刻な表情だったが、セカンドオピニオンとして関西の医師に診て貰うことにして、その日は帰った。
11月、また病院に行ってセカンドオピニオンの結果を伝えることになった。「富山の親戚の医師にも検査結果や写真などを診て貰った結果、皆さんから手術を勧められたが、食事療法をする」と告げた。
食事療法は治療ではないと言う医師は「凄いなぁ、凄いなぁ」と呟いた。「来年春には、先生を驚かせますから」と言葉を返したらば、「もう充分に驚いてます。こんなに生き生きと過ごしてる人は見たことないですよ」と笑った。
人間、必ず死ぬ。それは早いか遅いかの違いだ。もし食事療法が上手く行っても20年、ダメでも2年後。死は、その程度の違いに過ぎない。
その死ぬ日まで、自分に成すべきことを為せるように努める。何があっても、どんなことになっても俺は俺であり、明るく楽しく人生で1日限りの、1度限りの今日を全力で生きるだけのこと。そう思っての俺の行動が医師を驚かせたようだ。
「あの先生に、そんなことを言わせるなんて、アナタという人は、どんなときでも想定外の生き方を見せてくれる人なんですね」、医師の言葉を伝えたラインには、連れ合いから、そんな返信があった。
癌になって色々なことが見える。
色々なことを感じる。
俺は意気地なしで子供のときから死が怖くて、何時か死ぬ日が来ると考えると発狂しそうな気分になった。嘘の自白をした原因の1つに死への恐怖があったが、実際に死を意識した今回は、それを休息であり、眠りだと思うだけで恐怖は消えていた。
29年の獄中体験も含めて、実に波瀾万丈の人生だったが、誰にでも経験出来ることではないし、多くの人様の善意と誠実に支えられた歳月は、本当に幸せだと振り替えれた。何の後悔もない、世界一幸せな72歳、世界一幸せな男だと思った。
選んだ食事療法は順調に推移している。多分、桜の季節には普通の食事も出来るようになるだろう。
弁護団長からは「再審裁判で勝って冤罪と闘う人に希望を与えたのだから、今度は癌を克服して癌と闘う人に希望を与えて欲しい」とのエールが来た。もちろん克服する。まだ死なない。悪徳警察と腐れ検察との闘いがある。真面目な警察官や検察官の意思が生きる警察と検察にしなければならないし、真面な司法にする闘いもある。やるべきことがある。
正月早々だが、我が人生はこれから!の想いで病を公表することにしたが、痛みも辛さも疲れも無く、普通に生活しています。ブログを見てくださる皆さん、くれぐれもご心配なきようにお願いします。
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今日は我が家で

2020-01-03 | Weblog
穏やかな正月だ。
今日は、我が家の玄関前で写真撮影。
これが年末、中村家でクリスマスに頂いた、もう1枚のセーターだ。
いい色だよね!
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恒例の元旦

2020-01-02 | Weblog
毎年、元旦には連れ合いの実家で写真を撮る。玄関前に並んで、その年に集まった人たちで写真を撮るのが恒例だ。
俺も加わるようになって何年だろうか。
何でも、最高は11名だったそうだが、昨年も今年も4名だ。
俺は、昨年末、中村家でのクリスマスで頂いたピンクのセーター。
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おめでとうございます!

2020-01-01 | Weblog
新しい年になった。
歳を重ねた人は、みな同じ想いのようだが、何時の間にか年老いて行く。こんな年齢になったのか?!と驚くのだが、人の中身は、若いときと、さして変わらないみたいだ。
今年は73歳になる俺だが、どこが73歳なのか、自分では判らない。こうして人は老い、何時か、この世から消えて行くのだろう。
昨年、俺のブログを見てくださった皆さん、有り難うございます!
今年も、それなりに想いを表して行きます。
宜しくお願いします!
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中村家

2019-12-30 | Weblog
先日、岸和田のファミリー、中村家で1日遅れのクリスマスをした。
松本夫婦と中村家の孫、5人を含めて、総勢11名での食事だった。
中村家の孫は6人だが、大学生の男子は来られず、来春就職の大学生を筆頭に高1、中3、小5、小1の女性が5人。 
どの子も素直さと性格の良さを感じて一緒にいるのが楽しいだけでなく、個性が明確になる中で従姉妹同士が姉妹のように仲良くて、その姿を見ているだけで嬉しくもなる存在だ。
中村さん夫婦が準備した手巻き寿司を、みんなで食べたが、俺は食事療法中で、別メニュー。玄米御飯も用意してくれ、それを味わいながらのクリスマスだった。 
中村夫人がサンタクロースに扮して子供たちに菓子などの袋をプレゼントしたが、最後に、俺にも素敵なセーターが準備されていた。
ピンクとグリーンのクロコダイルのセーターは、流石に絵手紙作家の夫人が選んだセンスを感じる物で嬉しかったなぁ。
どちらもピッタリ!
大感激の夜になった。
俺は幸せ者。しみじみと幸せを味わった1日遅れのクリスマスだった。
そうだ、セーターは、そのうち着た写真を公開します。
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