桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

アメージング・ルーキー

2014-09-25 | Weblog
アメリカの野球界は、ビックリするような活躍をする新人を讃えて、そう表現する。驚異の新人。大相撲の新入幕・逸ノ城は、まさにアメージング・ルーキーだ。驚かされるなぁ。
昨日、大関・稀勢の里を破ったのは、まあ身技体のうち、ただ体力だけしか持たない大関だ。そんなこともあると思ったし、稀勢の里が動揺したときに見せる神経質な瞬き、相手の目を見ない怯みを感じる仕切りを見て「負ける」と感じた。でも、今日は違う。
豪栄道が自分十分の形を作り、しかも頭を付けたのに、それをモノともせずに、左をさして、実に呆気なく寄り切った。どっちが大関か判らないほどの圧勝だった。
もう長く日本人の優勝がなくて「白鵬が引退しなくては無理」と言われていたが、白鵬よりも安定感のありそうな逸ノ城の出現によって、また暫く日本人の優勝力士は無理かも知れない。このところ遠藤人気の大相撲だが、どうやら遠藤も逸ノ城の引き立て役で終わりそうだなぁ。
逸ノ城には、このまま大成して大相撲史上に驚異の記録を残す力士になって欲しいし、日本人力士にも奮起して欲しいものだ。

何度でも言う!

2014-09-25 | Weblog

全国で闘われている冤罪の裁判で、必ず検察の語る決まり文句がある。「検察には証拠を開示する法律的な義務はない」という主張だ。

この腐れどもには道理が判らない。

俺の国賠裁判で、国から「第7準備書面」と「第8準備書面」が出て来て、またあれこれと詭弁を弄して無責任を書いているのだが、読んでいると気分が悪くなる。白を黒と言い包める言葉ばかりで、正義とか真実を考えていると、本当に身の置き所が困るような困惑を感じる。このような連中に正義を求めている日本の危うさを考えさせられて息苦しい思いになってしまう。

「(布川事件の原審裁判や再審請求時、その以降も)「検察官には、弁護人からの証拠開示請求に対応する職務上の義務はなく、検察官(自身の)請求証拠でない証拠を開示しなかったからといって国賠法上の違法とはならない」というのだ。

だから冤罪が生まれる。検察官の証拠隠しで冤罪が作られてきた。そして、だからこそ、今でも冤罪に苦しむ人がいるのだ。

検察官に証拠を独占させる法律こそ間違っている。刑訴法上、その開示義務はないと言うが、そもそも正義の体現、真実の究明を義務とする検察官であるのだから、我々国民と、その法律は「検察官が証拠を隠す」ことを想定していない。その刑訴法の条文は、検察官が誠実に証拠を保管して、公正に取り扱うことを前提にしているのではないのか。だから、「証拠開示義務」などを付けなかったのではないのか。

誰が考えても、検察官が警察の捜査で収集された証拠を独占的に所持し、弁護人の求める開示に応えないことは不公平だと判るだろうに、この腐れ組織人には理解できないらしい。

警察の作った偽造書面である「昭和42年10月29日付け捜査報告書」(俺のアリバイ主張日を書いた書面)などを引用して、「ゆえに不正ではない。弁護側の主張には理由がない」などとある弁解書面を見ていると、改めて検察庁という組織にいる人間の異常さを感じるばかりだ。

この検察の主張のままを受け入れるならば、俺は10月20日にアリバイを主張して、その後、数日間は否認していたことになる。でも、翌10月21日には「犯行自白調書」でが存在しているのだから、突然に「10月20日アリバイ主張」という中味の、この書面の異様さこそ、警察の工作書面として問題なのだ。

ただひたすらに都合の良いところを都合良く引用した「準備書面」なのだが、このようなばかりを読んでいると、こちらの正常な感覚もおかしくなってしまう。

若い正義感から検察を目指したのだろうに、法務省に転勤して、無駄な時間と金を使って検察庁の無責任を書いている気持は、どうなのだろうね。「国家に難癖をつける輩から、俺が国家の正義を守っている!」とでも思っておるのかな。腐れ切ってるものね、精神が。