桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

墓参り

2019-05-31 | Weblog
俺は神や仏を信じない。
人間の意識が生み出したのが、神であり、仏だと思っている。
生きる過酷、命の儚さ、悩み苦しむことの中から苦難の救いとして神や仏を生み出して、今を乗り越え、明日への希望とした。
神も仏も信じていない俺だが、両親の墓参りに行った。国賠裁判で勝利したことを報告して、産んで貰えた感謝を伝えて来た。
うん、自己満足だよな。
散々の親不孝は埋めることは出来ない。子供が冤罪になる苦悩を抱えたまで亡くなった両親の苦痛は、もはや癒すことは出来ないのだ。
だから生きている人たちは、今という時間を満ち足りる日々にしなければならないし、家族や友人など、触れ合いながら生きている人たちの哀しみになる生きて方をしてはならないのだ!としみじみ思う。
もう1度、両親に会いたかったなぁ。

酷い国家だ

2019-05-31 | Weblog
星野文昭さんが殺害された。
徳島刑務所で肝臓がんが発見されて昭島の医療刑務所で手術。成功と言われたが急変して、昨日、亡くなった。
星野文昭さんは、俺と同じ年齢だ。学生運動が盛んな時代、一派のリーダーとして沖縄闘争を指揮していた。その中で渋谷の交番勤務警察官が殺害される事態が発生し、その行動の指揮者的立場にいた星野さんが逮捕され、犯人とされた。しかし、目撃者や現場写真などによれば、星野文昭さんとは違う服装の人物が殺害に関わっているのは明確だ。
星野文昭さんは無実だ。
多分、学生運動を敵視する警察、検察が、無実を知りながら運動を低下させようとしてリーダーだった星野さんを犯人に作りあげたのだろう。
俺は、星野文昭さんの思想には共鳴していない。しかし、彼が無実であることは理解しているし、許せないと思っている。
星野文昭さんの周囲には、実際に警察官殺害に手を染めた人がいる。星野さんは気の毒だが、冤罪を作り出し、星野さんを犯人として自分は社会で暮らして口を閉じて来た。その連中を思うと、残念ながら素直に星野さんを支援出来ないでいた。
星野さん亡くなった今、この連絡には、冷酷な法務、検察に対する怒りと同等の怒りを覚える。
今、星野さんの他界を聞いて、肝臓がんを識りながら仮釈放を却下し、ここまで悪化するまで放置した法務省や刑務所は、激本当に冷酷だと思うよ。
あのときに殺害された警察官の命も星野さんの命も、同じに尊い。だから国家は、誰の命であろとも大切にすべきなのだ。もし、警察官殺害をしたとされる星野文昭さんならば、どうなっても良いと考えるならば、星野さんの仲間が行った警察官殺害も許されることになる。
哀しいなぁ。酷いなぁ!

判決日のこと

2019-05-30 | Weblog
判決前、法廷内の撮影がある。
事前に映りたくない人は申し出るように告知するが、傍聴席からは、誰も立たなかった。でも、茨城県警の代理人弁護士と、たった一人だけ茨城県警から来ていた男が撮影を逃げ出した。
疚しいのかねぇ
判決後、その弁護士と茨城県警のところへ行った!
「先生、もう止めましょう!ダメですか?ダメならば仕方ないですね。徹底的に闘いますから、どうぞ!」困ったような顔をしただけで無言だった。もちろん、国の代理人連中が廊下で円陣になって話しているところへも行った!
「お疲れさまでした!もう止めませんか?ダメですか?」
リーダーらしい女性が「お疲れさまでした」と軽やかに応えたが、俺を押し返すように「まあまあ」とか言った。「そうですか、ならば受けて立ちますよ。やりましょう!」
と言って来た。
爽やかだったが、楽しく心地良く祝勝会のあとは不愉快だったなぁ。
あるフリージャーナリスト。
何度か一緒に食事をしたが、とにかく喰う。ひたすら喰う。そしてマイナス思考の発言を連発する。
話しをするときは食べないで、真っ直ぐに顔を見るように!と言ったことがあった。マイナス思考の話は意味がないと指摘したこともあった。その男が、帰るときに一緒になり、「桜井さん、7千万円ですね!」と嗤いながら言う。それはお金は嬉しいよ。でも、金を求めて闘った訳じゃない。2度目に同じことを嗤いながら言ったときに切れた!
闘いを穢されたように感じて、無性に腹が立ったなぁ。
タダ飯を食べる意地汚さは、あの男の人間性を表すのだと感じたが、今でも思い出すと腹が立つよ!
判決日のエピソード。

静かな喜びの1日

2019-05-28 | Weblog
全国から勝利の祝福が届いた中で、静かな喜びを味わえる1日だった。
新聞各紙に掲載される記事内容は、どこも画期的勝利だった。
嘘を語り、無実の証拠を出さないのでは、裁判は真面に行えるはずはないのだから判決は当然だろうが、検察当局は、そうは思わないらしくて「今の制度でない時代のことを違法と言われてもと不満」との記事があった。検察は反省なし!
俺も判決を読んだが、再審裁判での証拠未提出は違法と認めないのは不満ではなくて不服。納得出来ない。
検察が控訴するならば反撃に事欠かない。
昨日、書いたのは中途半端だったが、この事件が発生したとき、親子丼が被害者宅にいる2人の男を目撃したことを警察に話した。
他に目撃者はいない。
警察は、どうするだろうか。
この親子の目撃事実を調書に作るよね?
ところが布川事件では、この親子の調書のうち、33才だったかの母親の調書は取らなかった、ないと言う。
信じられる?
いくら素人でも、そんなバカな!と思うだろう。犯人らしき男を見たと語る人の話を調書にしないような警察官は、即解雇だろうよ。
なぜ、調書にしなかったということのかは、簡単な話だ。
先ず母親が自転車で被害者宅前を通過して2人の男を見た。その後、同時に家を出た息子はお使い先から帰り、母親が野菜を買い出しに行った先に向かうな途中で被害者宅前で2人の男を見た。 
少し時間差がある。
母親は、被害者宅前を通過した後、東という地区で前日にお金を借りた人に会って返金してから、同じ東地区の野菜買い出し先に行った。
旦那は外出。帰宅を待ちながらテレビで7時半、ニュース解説という文字を見たと語る。
この時間から経過を辿れば母親が被害者宅前を通過した時間帯が判明する。一方、俺たちが犯人にされた自白は「7時6分ころに布佐駅着。歩いて被害者宅へ」となった。駅から被害者宅までは17分掛かる。
大問題だ!
俺たちは、どんなに早くても7時25分ころにしか被害者宅に行き着かないのに、旦那の帰りを待って訪問先でテレビを見た母親は、どう考えても7時20分には被害者宅前を通過していることになる。
困った警察は、最重要目撃者だった母親の調書は取らなかったことにした。証拠捏造が常套手段の警察だ。取った調書を無き物にするなど、朝飯前だ。
純情可憐な精神を有する裁判官は、警察の言うがままを信じて「母親の言葉は信じられない」で終わりだ。
今回の画期的勝利でも、同じように母親の調書はスルーだし、問題にもならない。
でも、俺は納得しない。
彼女は真犯人を見た!警察と検察の違法行為は、まだまだある!
控訴審ななったならば、更に警察と検察の違法行為を追及するぜ!

勝った

2019-05-27 | Weblog
布川事件の国賠裁判は、茨城県警察と検察庁の責任を認める勝訴だった。
検察官の証拠未提出の違法も認める、画期的勝利だった。 
当たり前だよね。
警察が税金を使って集めた証拠を我が物顔に使い、弁護士の証拠開示請求に応じないなんて、本来は有り得ない。
でも、ここまで認めることは少ないのが、これまでの国賠裁判だ。
ホントに嬉しかった。
でも、判決を読むと、認められたのは、ごく一部分だ。納得出来ない部分はあるし、茨城県警察と検察庁が再審裁判になっても嘘を語り、布川事件の証拠が洪水で流失したと種類した理由が判る判決でもあった。
まだ布川事件の冤罪を作った証拠はあるし、茨城県警にも検察庁にも責任を追及する余地がある。
悪党茨城県警も腐れあう検察庁も、まだ抗うだろうが、こちらは倍返し。認められなかった警察と検察庁が結託して隠す部分を明らかにして、もっと完全な勝利を目指すだけだ。
皆さん、ひとまとめ有り難うございます!

タンポポ集会

2019-05-26 | Weblog

昨日は、京都の南丹市、園部町の国際交流会館で冤罪犠牲者の集まるタンポポ集会だった。
俺も招かれて冤罪犠牲者の会の話と歌を2曲。
11年前に始まったタンポポ集会は、この間に再審で無罪になった人、再審裁判の始まろうとしている人、再審開始決定を受けた人など、多くの喜びを得たが、残念ながら壁に跳ね返された人や闘いを断念した人もあり、悲喜交々だ。
しかし、この集会は、仲間の力を結集して闘う力を生み出している。
その中の1人として参加出来ることは、嬉しいし、有り難いことだ。
「どこから、あんな声が出るの?声と姿が、こんなに違うのも珍しい。歩いている姿は吉本やもの!」なんて、おばさんに言われてしまったが、実に心地良く唄えた。生ピアノの演奏が気持ちよかったなぁ。

キャバクラかぁ

2019-05-23 | Weblog
戦争で北方領土を取り戻そうと勇ましいことを語った丸山穂高先生は、勇ましさついでに、夜間外出が禁止されている国後島で「女のいる店に行こう!キャバクラに行こう!」と騒いだらしい。
「ここは日本領土だ。議員の俺には不逮捕特権がある!」と宣わったそうだから、この東大出身の経済産業省エリートの頭脳は裁判官などの「頭の良いバカ」と同じ構造のようだ。こんなのが議員だもの、国会の有り様が無惨でも当然だろうか。
長谷川豊、これも維新だけど、こっちもやってるねぇ。
として差別をされて来た人たちの過去を誹謗し、不当に差別された人たちの乱暴を侍が掣肘していた、などと語ったというから、こっちも丸山穂高に負けてはいない。
長谷川豊の人権を理解しない暴言は、これまでに何度もある。
人の傷み、人の弱さ、人の価値、それを理解出来ない人は国会議員になってはいけないだろうに、こんな輩を国会議員にする維新。いくら除名にしようが、こういう人たちを集めてしまう維新の思想性こそ、問題ではないかと思う。
人を差別するのが天皇制だ。
日本の歴史は、天皇制を支持する人たちか標榜する3千年弱ではない。その前に何万年もの歳月を、この日本列島に暮らして来た民族がいる。
そのときにも能力によって地位的な差はあったのだろうが、生まれによる差別はなかったはずだ。
生まれながらに尊い人が造られれば、その差別の反対側には生まれながに賤しい人たちを造る。
必然だ。
総ては人間の都合で造り出した差別の制度だ。人間は、みな同じ。能力に差があるだけのことだ。
こんなことも判らない連中に人権を語り、冤罪を語り、冤罪を生まない法律を作って貰うのは大変だよなぁ。でも、やるしかない。自分のために、仲間のために、明日、冤罪犠牲者になるかも知れない人のために。

再審法改正を求める市民の会

2019-05-21 | Weblog
昨夜は衆議院第二議員会館で再審法の改正を求める市民の会を結成する集会だった。
椅子が足りないほどに参加者があり、熱気の溢れる集会だった。
議員会館で集会を行うのは法律を作る立法府である人たちの参加を求めてだが、そっちで方では、残念ながら熱気は感じなかった。でも、それは何時ものことだ。
人権は票にならない!
これが国会議員の思いだし、本音だ。票になるならば、きっと溢れるほどに議員さんは参加するだろう。
俺たち、冤罪犠牲者は冤罪が作り出す諸々の被害を体験しているが、本来、人権を守るために存在する司法が、全く逆に人権を侵害することは、絶対にあってらならないはずだ。天下国家を考え、広く社会を考えているのかも知れないが、1人の人間の人権を護るために行動出来ない国会議員が、あまねく人を守る行動など、出来ようはずはない。
冤罪犠牲者の会は、人権は票にならないと考えている国会議員を説得し、社会に訴えるのが背負った任務かも知れないと感じる集会だった。

腹だよ、腹!

2019-05-16 | Weblog
プロ野球の選手で腹が出ているってないよな。
西武ライオンズの中村や山川は肥満体型だが、腹が出ている訳では無い。そういう体型で野球をやって来てプロ野球選手になっただけだ。
多分、今シーズンで選手生命が終わるだろう、巨人の阿部慎之助は細身で入団し、金満と共に肥満した選手だ。
こういうのは自己管理能力がないわけだから、選手としても人間としても意志薄弱、ダメだよな。
昨夜、阪神にコテンパンにやられた菅野智之。
大丈夫かね、腹が阿部慎之助になりつつあるよ?
俺が監督ならば、即、2週間のファームだな。徹底的に走らせる。それだけだ。
まずストレートの威力。技術でかわそうとする姿勢が目立った菅野智之は駄目だぜ。

大丈夫なぁ?

2019-05-16 | Weblog
また自動車の暴走事故。
歩いていたり、公園にいたり、店にいたりしても車が突っ込んで来て事故にあう。怖いよな!
運転する身としても怖いと自戒する事故が、連日のように続く。
あれは何年前だったか。連れ合いも駐車場で暴走して、3台もの車を壊したことがあった。
ブレーキを踏んだと言うが、車は枠に止まらないで暴走。買ったばかりでトヨタが調べたが、ブレーキを踏んだ記録はない、との回答だった。
あれ以来、暴走事故が気になるが、トヨタ車が多いよなぁ。
今朝の千葉での暴走事故もプリウス。連れ合いのもプリウスだった。
以前、アメリカでプリウスの欠陥訴訟があったけど、ソフトに問題はないのだろうか。
千葉での事故車は新型だから衝突防止対策はあるのだろうが、あっても柱やフェンスでは役に立たないのだろか。
大丈夫かね、トヨタ車。