桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

秋晴れ

2008-10-28 | Weblog
今日は、昨日のように夕立めいた雨も無くて、いい天気だった。
俺は取手市でブロック積みの仕事だった。取手市吉田と言う地区で、江戸時代の水戸街道が通っている。水戸黄門も通ったと、注文主の親爺が言っていたけど、多分、通ったんだろうな。
近くに吉田小学校がある。休み時間。
 子らの声
   突き抜ける空
      高く高く
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弁護団会議

2008-10-27 | Weblog
今日は弁護団会議。検察の特別抗告に対する反論書は、ほぼ完成して、何時提出するかになった。今日は、その最終的な詰めがなされるだろう。
先般のジュネーブにおける自由権規約委員会では、日本政府の回答に厳しい批判がなされた。
日本でなされる法律と自由権規約にはギャップがあると言う委員もいた。代用監獄問題や取り調べについて批判されたのだが、一番可笑しかったのは「自白だけで有罪にしないのならば、なぜ自白を求めるのに、そんなに拘るのか?」という質問だった。本当だよね。実際に自白だけで有罪にされた俺からすれば、日本政府の回答は嘘ばっかりと判るが、とにかく政府代表としてきている人たちからの言葉は、その場しのぎばかり。
日本を国連の常任理事国に!と言うが、国連で平然と嘘を言い「この10年、同じ質問と同じ答えを聞いている気がする。次回も、同じ質問と同じ回答があるのではないかと懸念する」などと言われるんだもの、無理だよね。
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オーラの泉

2008-10-25 | Weblog
こんな番組、やってるよね、今。
なんだっけ、島原城の天草四朗の生まれ変わりだとかのミワアキヒロ、それとワケの判らない男、なんだデブ専みたいな奴、あれこれやってるよね。
生まれ変わり、あの世からの伝言!
おいおい、あの世って、どこだよ?
こんな番組が、社会を歪める。
ギボアイコ、そんな人、いなかった?あのときは、何があった?
みんな誤魔化し、嘘だったろよ。
初めて会ったなんて、このデブ専、言ってるけど、人の社会を惑わすよね。
今を生きる、これが人生。その人の人生。前世?ふざけるなよ、バカにするなよ!
じゃ今の俺は、誰かの代わりかい?
オンリーワン、人は、総てオンリーワンだよ。
誰の生まれ変わりでもない。
こんな電波芸者、電波で金を得てる奴らに誤魔化させるな。人は一途に生きてれば、必ず道は開く。困難に立ち向かえば、己の道が開く。
こんな番組、馬鹿げた自己陶酔のオウム・麻原的奴らに惑うなよ。
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裁判員制度

2008-10-24 | Weblog
来年から始まる裁判員制度には、かなりの問題がある。まあそれでも今よりはマシ!それが俺の賛成理由だが、問題の一つに、裁判員の守秘義務がある。
簡単に言えば、有罪にするか無罪にするかなど、秘密に話し合われたことを話すなということ。これ、無理だよね。だって、人を死刑にするかどうかという、大変なことだよ。裁判官が、今のように科学的な事実を無視して有罪にしたりしたら「おかしいんだよ!」と、誰だって話したくなる。真っ当な議論ならいいが、今の裁判官、かなりひどいからね。きっと、おかしなことを話されたくないから、「守秘義務」で話した人を逮捕したりする脅しの法律にしたのだね。
でもさ、話す人は話す。奥さん、友人「裁判って、おかしいよ!」と言うよ。話すよ。法律でなんて縛れっこないね。
ところで、布川事件で体験したことを書けば、警察や検察って「プライバシイーがあるから証拠を見せられない」と、良く言う。
今週の週刊文春、なんだか元警視庁捜査一課長て男が、何か書いてるよね。「警視庁元捜査一課長平田富彦が、初めて明かす「凶悪事件」40年」だって。
これ、いいの?プライバシイーの侵害にはならないんだ。。守秘義務違反にはならないんだ。どうせ犯罪者、何を言ってもいい!かな。文春らしいヨネ。
弱気を挫き、強きを助ける、ハイエナみたいなマスコミがいるけど、目を見開いて見つめて行きたいよね。日本は権力に弱い連中が多いから。
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帰国祝い

2008-10-24 | Weblog
昨日はニュース紙発送作業があり、東京へ行った。              来年5月の裁判員制度発足に当たり、また白鳥事件行動月間でもあることから、その辺りに集会を開こうと言う会議もあった。
5月20日、白鳥決定のあった日に九段会館で集会を開くことが決まり、ニュース発送も、作業に来てくれた人が沢山いて、簡単に終わり、4時過ぎから中華料理「ロジェ」で祝杯をあげた。
いいよね、仲間との酒は。
 
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帰国して

2008-10-22 | Weblog
チューリッヒからの12時間余りの飛行機。帰って来るのが惜しいような気持ちだけで、恐れていた苦痛は、全く感じないままに過ごせた。
飛行機の中で寝たのは、ほんの1、2時間だったせいか、朝の8時前に成田に着いても寝不足のフワフワした身体だった。
成田では大阪と鹿児島、東京へ帰るみなさんと別れ、俺は出迎えに来てくれた恵子さんの車で、先ず佐竹さんを取手駅まで送った。それから自宅に帰り、荷物を整理した後、水戸へ。
その途中から眠気がして運転が苦しくなり、恵子さんと交代した。日本に帰ったという安心のせいか、急激に身体が重くなった。
水戸では、川上に寄り、子供たちに頼まれた土産と、その代わりのモノを届け、何とか夕方まで寝ないで我慢。待望の寿司を食べに行き、寝た。
翌日は、パスポートセンターにパスポートを返還と保護観察所へ報告に行った。どちらでも国連での状況を聞かれたが、日本政府が厳しく批判されているのを知って驚いていた。知らないよね、日本国民は。
今日で国連行きに伴う義務は、来月の報告会を残して終わった。
日本は変わるしかない。世界の中で生きて行くには変わるしかないことを、この目で見て来て、また俺自身が闘うことの意義を認識し、闘う意志を得て来た。本当に有難い国連行きだった。
この写真はエスカルゴと呼ばれる国連のロビーです。
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補足のあれこれ

2008-10-22 | Weblog
参加者にいた沖田光男さんと大石忠昭さんを忘れていた。
沖田さんは、どこへ行っても沖田さんだった。マイペースは崩れない。遅れもしなければ早くもならない。ゆったりと周りを見回しながら、じっくりと見学を繰り返していた。自らの英語で訴えた沖田さん
その正反対が大石さんだった。行動の人、活動の人だった。せかせかと動き回り、しきりに写真を撮りまくり、質問をしていた。彼が市会議員として活動する姿が見えるようだった。選挙弾圧と闘う大石さん。今度の旅を一緒にしなければ、彼の本質が判らないままだったかも知れないな。一生懸命な人だ。
スイス航空機は怖い。エンジンの燃焼臭が機内に届くのだから機密性に問題がある。ローマ入りは右耳鼓膜に激しい痛みがあった。帰りは、かなり変化が来たが痛みは無かった。けど、地上に下りてドアが開いたら、途端に痛みが来た。参ったね。おかしいよ、スイス航空機は。そのうち墜ちるぞ、これは。
佐竹さん、最後のチューリッ匕空港で、今度はチケットが無い、渡されないと言う。ポケットにあったのだが、渡された記憶が無いらしい。あれこれの佐竹さんの言動は、今度の旅を楽しくさせてくれた。
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帰国へ

2008-10-19 | Weblog
昨夜は、ホテルの食堂で全員の食事会。楽しかった思いを語り合い、喜び合った。一つの集団で外国旅行をすると心が結びつくような感覚になり、親しくなるようだ。
塩田一行さんの司会で旅行の感想を順番に語り、オカリナや歌などで楽しんだが、俺も一曲。
終わった後、また俺たちの部屋で二次会をした。吉田さんに松田さん、上野さんと塩田哲子さん、服部さん親子。ホントに楽しかった旅を話し合い、結局、12時ころになってしまった。今朝は5時起き。朝飯を食べに食堂へ降りたが、まだ完全に準備が出来ていなくて、フルーツなどは食べられなかった。イタリアだね。
6時45分の出発だったが、佐竹さんが「パスポートが無い!」の騒ぎ。みんなでバッグやら旅行ケースまで開けて探すことになった。部屋の椅子の背もたれの隙間にあったのだが、昨夜、出したらしくて、そこに二次会が来たから紛れだらしい。まあ佐竹さんらしい騒ぎのエピソードだね。
30分ほどで空港。朝早いのに、結構、人がいて荷物預けに時間がかかった。
余った30ユーロがあったから、出発までに免税店で買い物をした。
さあ帰国。
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ローマニ日目

2008-10-19 | Weblog
今朝は5時過ぎに目覚めてブログを書いていた。
7時過ぎに風呂、食事とし、9時前に部屋に戻ったら、もうメイドが掃除してる。余りに早いから追い出した。イタリアだねぇ。佐竹さんもイタリア的だから、メイドに掃除させて部屋にいるんだから人物だ。
9時から、ガイドの上野さんの案内でバスの移動になり、先ずはフォロ・ロマーノ。古代遺跡を見に行った。紀元前だとか、シーザーだとか、教科書で習ったものを目の前にするというのは不思議な気持ちだ。凄まじい歴史の積み重ねを見ると、イタリアの深い文化を感じるし、人生をも感じる。如何に生きん!とね。
それから歩いてコロッセオに。有名な円形競技場だが、凄い人たち。火で煤けた石を見て、そこにあった残酷な歴史を感じた。広大なコロセウムの天井部分には天幕があったというから驚きだな。雄大、壮大、良くもまあ、こんな物を!だった。
それから昼飯のために地下鉄移動。俺はイタリアの日本料理店へ入ったが、天ぷらうどんに白菜のお新香。これが薄味で美味かった。イタリア料理の方と別れたが、日本料理で正解。
それから有名なトレビの泉へ歩いた。人が溢れていて、これかぁという感じだけだった。
更にパンティオン、ナブォー広場、スペイン広場と歩いて周り、4時半過ぎにホテルに帰った。
パンティからは、それぞれに歴史は感じたが、もう少し時間を掛けて見たい気持ちが残り、物足りなかった。ローマに早足の見学は似合わない。ただ、スペイン広場は変哲も無いところで一度見れば充分だった。
これからの合同食事会で旅も終わり、明日は帰国だ。何がどうとは言えないが、俺の中に何かを残した旅だったことは言える。
沢山のみなさんの志とカンパで実現した旅だったが、みなさんの思いに応えた、何かをする、何かを生み出す明日にするつもりだ。
みなさん、有り難うございました!
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参加者の方々

2008-10-18 | Weblog
今回の国連ツアーの参加者は、最大で33名。引き連れる人は大変だが、この程度ならば親しみ易い人数かも知れない。
自然と仲良くなるが、俺も、かなりの人と親しくなった。
服部泉さんは、父親が差別闘争で国連に来ておられ、その方面では有名な方だったらしい。今年の4月に亡くなられ、その思いを確認に来たのだとか。泉さんの息子、陽介さんとの仲が、またいい。今どきの親子には珍しく、ヨウスケも、素直な性格らしくて、かなり一緒に飲んだり、時を過ごしたが、何時も真っすぐな会話を楽しめる。
イズミちゃんは優しい人柄らしく、服部親子の部屋で悪酔いした山田光子さんを、柔らかく抱きしめていたし、昨夜、チューリッヒからローマへ来る機内で、俺は右耳奥、鼓膜に猛烈な痛みを感じた。出発のとき、エンジンからの燃焼臭を感じたから、きっと機体の密閉性に問題があり、気圧のコントロールが緩んでいたせいだと思う。痛みで頭を押さえていると、前に座っていたイズミちゃんは、俺に手を伸ばして来て、俺の手を握ってくれた。
中村信郎さん、千恵子さん夫婦は、昨年もジュネーブに来ている。ノブちゃん、チエちゃん、と呼び合う言葉を聞くだけで和む、何時も一緒にいたいような、笑顔の素晴らしいご夫妻だ。同級、塩田一行さん、その妻朝子さん、この二人が、またいい!どこかヌーボーとして穏やかな関西弁のカズユキさん。同等に会話と行動をしてるアサちゃんの、少ししわがれた声での明るい笑い声。アサちゃんが笑うとき、カズユキさんは笑うけど、声は出さない。俺と同じ時代を過ごした二人の言動は、俺が取りこぼした月日を、色々な思いで感じさせてくれる。大阪に来たら、必ず連絡してくれ、我が家に泊まってくれとも言ってくれた。
風間さん夫婦は、もう何十年の夫婦なのか。夫の英一さんが飄々と行動する傍に、急かしく小柄な秀子さん。南京タマスダレを鮮やかに演じて、我々を愉しませてくれた秀子さんを、英一さんは泰然たる笑顔で、同じように愉しんでいた。「父ちゃん、どこへ行っちゃったのかな?」と探すのが秀子さんだけど、どっちが行っちゃったモノやら、来ちゃったモノやら。
別府市会議員の猿渡久子さん。この苗字、読めないよな。本人いわく、ジ・エンド!だって。エンドさんと読む。まだ30代後半かと思うが、普段は大変だろう共産党議員としての活動を、どうこなしているかを彷彿させる明るさに活発さ!大分にもいた、我が茨城の誇る県会議員、大内久美子さん的感じだ。フランスへ行き、エレベーター前。来たので身振りも交えて「下ですか?」と聞いたらしい。中の男が「ウィ!」と、日本語で答えたから乗らなかった、そんな話を笑いながらするクミちゃん。エンドさんは、その妹的かも知れない。
モンブラン展望台で、初めて認識した感じのアヤちゃんとユキちゃんの二人もいい。2800メートル部分に着き、残りの60メートルほどを一気に上がるエレベーター前の整列時に、母の木原綾子さんが離れていた娘の十川由紀子さんに「ユキちゃん!ユキちゃん!」。かなり大きな声。聞こえたと思うのに、ユキちゃんはデジカメを確認するように見続けるだけ。固まった感じ。この娘さん、大丈夫かな?と感じた俺は、「心配ですよね」とアヤちゃんに話し掛けて関係や名前を聞き、それからはこの親子を目にする度に、つまらない冗談を交えながらアヤちゃん!、ユキちゃん!と声を掛け続けた。二日目、シャモニーの食事会で自己紹介をしたとき、実はアヤちゃんは59期の若手弁護士と判った。でも、ユキちゃんは「先生なんて呼ばなくていいですよ」と笑い、昨夜は「東京にいれば布川弁護団に入りたかった」と、何時も同じ口調なのだが、ユッタリ、ノンビリと言ってくれた。カズユキさんて同じ同級のアヤちゃんはシャイで、俺が冗談でからかうように話すと顔を赤らめたりする
が、「来て良かった。みんなにアヤちゃんと呼ばれ、若返った」と言っていた。会えて嬉しい親子だったな。
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