大阪の目覚めは雨音だった。3時過ぎに目覚めてしまい、それからうつらうつらして二度寝したのが、5時を過ぎたころだったろうか。
8時過ぎに朝飯を食べ、取材と言う記者と大阪駅で待ち合わせて和歌山へ向かった。
途中、濃い霧が出たりしたが、予定通りに和歌山に着き、すぐにタクシーで刑務所へ行った。
もう2度、面会に来ているが、住所氏名、年齢に生年月日、更には、それらを証明出来るモノを出せと求められるのは嫌な気分だった。
今回は担当者だろうか、出て来て「面会は許可しますが、裁判に付いての話だけということで」と言った。青木さんは、今までになく明るい雰囲気だった。やはり、今の情勢を感じているからだろう。そして、やっと刑務所に慣れて来たのだと俺の体験からの想いを重ねたて感じた。
「無期で冤罪の人は、みな男。女は、私だけ」と聞き初めて気付いた。「酷い」の言葉が痛かったが、何とか早く自由に出来るように、俺も力を尽くしたいと、改めて思って帰って来た。大阪は雨が上がり、日が射す中、帰路に付いた?
8時過ぎに朝飯を食べ、取材と言う記者と大阪駅で待ち合わせて和歌山へ向かった。
途中、濃い霧が出たりしたが、予定通りに和歌山に着き、すぐにタクシーで刑務所へ行った。
もう2度、面会に来ているが、住所氏名、年齢に生年月日、更には、それらを証明出来るモノを出せと求められるのは嫌な気分だった。
今回は担当者だろうか、出て来て「面会は許可しますが、裁判に付いての話だけということで」と言った。青木さんは、今までになく明るい雰囲気だった。やはり、今の情勢を感じているからだろう。そして、やっと刑務所に慣れて来たのだと俺の体験からの想いを重ねたて感じた。
「無期で冤罪の人は、みな男。女は、私だけ」と聞き初めて気付いた。「酷い」の言葉が痛かったが、何とか早く自由に出来るように、俺も力を尽くしたいと、改めて思って帰って来た。大阪は雨が上がり、日が射す中、帰路に付いた?