桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

カラオケ

2010-05-31 | Weblog
足利事件の菅家さんは、酒を飲まない。
高知白バイ事件の片岡春彦さん(春夫さんと誤記しました)が東京へ帰った後、恒例のカラオケに行った。橋幸夫や三田明などの青春歌謡曲を唄う菅家さんに比べ、氷見事件の柳原さんは、今風の歌で対抗するのだが、二人の歌合戦は、何時も面白い。
菅家さんは一人で移動することは難しくて、今回の参加は地元、足利市の支援者に送迎されての参加だったが、早く前のように元気になって欲しいものだ。
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仲間

2010-05-31 | Weblog
シンポジウム後は懇親会。高知白バイ事件の支援者も参加したが、我々冤罪仲間が親しく話し合ってるのを見て、皆さんが仲良くやっているのが良かったという話しをされた。
片岡さんとも話し合ったが、冤罪の不運はあったが、それでこそ得られる沢山の人や出来事を思えば、悪いことばかりではない。
懇親会でも、改めて冤罪仲間の意識を高めるときを過ごした。
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シンポジウム

2010-05-31 | Weblog
氷見事件の柳原さん、志布志事件の川畑さん、足利事件の菅家さん、布川の杉山に俺。5人が集まり、布川守る会と茨城弁護士会の共催で可視化を求める集会だった。
この5人が集まったのは、多分、二度目だろうか。それぞれに事件は違うが、同じように警察の調べを受けて、自白を強制させられた事実を話した。そして、自白強制を否定する警察の実態を話したが、会場には高知白バイ事件の片岡春夫さんも来ていて、会場発言をした。
片岡さんは「冤罪仲間に会いたい」と、わざわざ高知から来てくれた。白バイが公道を訓練に使い、片岡さんの運転する停車中のスクールバスに衝突した事故を、片岡さんが走らせたバスが原因だとしたものだが、停車中のバスにスリップ痕を捏造した、これも悪質な捏造した冤罪だ。我々を見つめる同じ苦しみを背負う冤罪仲間は、きっと全国に沢山いて、その闘いに希望をもみているのだろうことを感じる片岡さんの参加だった。
シンポジウムの参加者は200名ほど、各マスコミも参加して。今朝の新聞には、その様子が掲載されていた。
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茨城守る会総会

2010-05-31 | Weblog
昨日は、茨城守る会の第14回の総会だった。
我々が社会に帰った翌年に発足した茨城守る会は、地元にあっての再審活動を地道に支えてくれた。東京守る会と一緒に車の両輪として再審の実現に大きな力を発揮してくれた。
その経過を思うと、いよいよ始まる再審公判を前にした総会は、本当に感慨深い。
参加者一同とともに、7月に始まる裁判を目指しての活動、勝利判決を目指しての活動を確認した。
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源太

2010-05-30 | Weblog
若い冤罪仲間もいて、中南源太さんは強制ワイセツ罪で逮捕され、実刑判決で刑務所生活を強いられて、今年の4月に釈放された。
通りすがりに女子高生が若い男に抱きつかれて触られたという事件だが、携帯で話ながら近付いて来たというのに、源太さんの携帯には通常記録が無いとか、人相、風体、服装などに違いがあるのに自白をさせられたせいと、源太さんに過去に罪があった(軽い障害がある)ために犯人とされたのだ。
源太さんには家族とテレビを見ていたアリバイもあることから、家族の思いは深くて、何時もお母さんが訴えをしていたが、今回、初めて源太さんに会った。
素直ないい子で、足利事件の菅家さんと同じ気弱さを感じる若者だった。
俺に会えて嬉しかったと言ったらしい源太。早く再審が実現して欲しいものだ。
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勢揃い

2010-05-30 | Weblog
昨日の集会で訴えた仲間が舞台に上がった姿が、今、メールで届いた。
冤罪を背負うことは苦しみが多いけども、道理を掲げる闘いに負い目はない。揃った仲間が布川と同じように勝利すり日が近いことを祈る思いだ。
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タンポポの会

2010-05-30 | Weblog
関西地区で冤罪と戦う人たちを支援する会がある。タンポポの会。
無罪になった枚方事件を入れて9事件が集まり、毎年集いを開いているが、今年も招かれて行った。
今年の参加者は350名を超えたらしいが、会場一杯の人の熱気を感じるモノになった。
第一部が各事件ごとのアッピール。第二部が俺と救援会の伊賀さんとの対談形式の話だった。
二部では、茨城から参加した守る会の大名さんに現状報告と詩の朗読をして貰う予定だったが、いきなり冒頭でとなった。その詩が「行方不明」。俺が刑務所にいるとは言いかねて行方不明と夫に言った妹の思いや俺を探して歩いた妹の夫のことなど、妹家族を書いた詩だが、その妹の夫は、つい最近に他界した。満足に話す機会も無かったことなどを考えたらば、胸に溢れりモノが湧いてきて涙を流してしまった。
それが良かったのか悪かったのかは判らないが、終わって帰る皆さんは口々に感動を言ってくれたし、冤罪仲間が力を貰ったと言ってくれた。
大阪での1日も布川事件の使命を果たした。
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家族

2010-05-29 | Weblog
冤罪者には家族がいる。本人も思い荷物を背負うが、社会にいる家族が一番、大きな負担を背負うのが冤罪だ。
星野文昭さんは社会に待ってる家族、妻がいる。獄中結婚して24年という妻暁子さんの待つ思いを考えると、自分を待ったろう両親の思いに重なって、何でもしてあげたい気持ちになる。
俺が千葉刑務所にいたとき、本当にシャバに帰れないならば、それはそれで仕方ない心境だった。刑務所の中っ人として満ち足りた毎日を過ごし、一編の詩を残し、一曲の歌を残せれば自分の人生は満足出来る気持ちになっていた。その毎日に馴れてしまったのだろうが、今、星野さんも同じように言うらしい。あの頃の俺のように。
俺は両親は死んでいたし、面会に来る家族もいなかったが、星野さんにはいる。シャバに帰る気持ちになって頑張って欲しいと言うために来た徳島だったが、残念ながら面会出来ずに話せなかった。
思想、主義の違いで、色々とあるし、狭山事件運動などを見ていて、あのヘルメット姿と主張がマイナスにしかならない思いがある。その中核派思想を一番に持ってる星野さんらしあから、俺と交わらないかも知れないが、冤罪の戦いという一点には主義も思想もない。星野さんの妻、兄弟、市民運動家などと来て、改めて無実の星野文昭さんの再審がなるように願う思いを強くした。
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徳島刑務所

2010-05-29 | Weblog
徳島刑務所と言えば医療行為をめぐる暴動が有名だ。人権無視の医務官がいて、その乱暴な行為に怒った受刑者が抗議に走ったのだが、その医務官は告発が入れられずに起訴されず、密かに高松刑務所に転勤したらしい。
そんな徳島刑務所にいる冤罪仲間の星野文昭さんは、もう獄中35年になる。奇遇と言うか、我々と同じ年代で生まれる場所が同じだったらば、俺も菅家さんも星野さんも同窓生になった関係だ。
昨夜は、徳島の支援者が集った集会もあったが、やはり中核派という思想を意識した発言もあり、純粋な冤罪として再審を目指す限界を感じる人もいることを知った。
俺は、まあ中核派の思想から言えば敵になる救援会の支援で仮釈放と再審を実現したわけだし、その行動の価値と意義も語ったし、それが理解されたようなのは意外でもあった。それだけ星野さんを取り戻したい思いの真剣さを感じた。
しかし、徳島刑務所は遅れてる。俺の面会は拒否された。受刑者の人権としての面会を認めないのは呆れたし、さすが医療暴動を起こした刑務所だけあると思った。
この写真は門から刑務所を写したモノ。
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羽田空港

2010-05-28 | Weblog
このところ、飛行機に乗り慣れて来たせいか、空港に来ても、さほどに特別の感覚はなくなった。
少し変わったところは判って、今、羽田に国際線ターミナルを作っているが、そこにモノレール線が入るようになっていた。羽田に国際線が発着するようになったらば、また混雑は激しくなるのだろうね。
きっと勝利した後は、地方に呼ばれる機会が増えるかも知れない。飛行機に乗る機会も増えるだろうが、なるべくゆったりと行きたいねえ。
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