桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

1年

2020-12-31 | Weblog
今年は癌と向き合った1年だったが、色々あったなぁ。
この年になって教えられたこともあった。
こんな気持ちになるのかと戸惑ったり、俺らしからぬ想いにもなったが、有り難い体験だった。面白いなぁ、人生は。明日は、今日ではない。何があるか判らない。だから、今日を一生懸命だよな。
そうすれば、何があっても後悔はない。
俺は、今年も目の前のことに一生懸命にやって来た。だから、何も後悔はない。その上にある来年は、何があるのだろうか❓️と思うとワクワクするなぁ。
お世話になった人、感謝すべき人、今年も多い。本当に俺は人様の支えに恵まれる幸せな男だ。
有り難う❗️有り難う❗️有り難う❗️

ホントの終わり❗️

2020-12-31 | Weblog
今日は、連れ合いの実家に来て垣根剪定をした。
とても全部はやる時間が無いし、家に入る道沿いと西側の目立つ部分だけをやった。
10時過ぎから4時前まで。何とか終わって、これでやるべき任務は、ホントに終わりだ。
昨日の疲労もあり、少し身体が重かったが、俺が生きている限りはやると義父に約束したこと。終わってホッとした。
さあ、これで正月だ‼️

今日も大掃除

2020-12-30 | Weblog
今日は床のワックス塗り❗️
何も無いならば簡単だが、炬燵やソファー、机などを動かしながらワックスを塗り、また動かしてだから、かなり時間がかかる。
しかも、ワックスは3度塗り。乾くのを待つては塗りだが、今日は雨模様で、なかなか乾かなくて困った。
何とか6時半ころに終わった。
これで今年の任務は終了。ホッとした。
7時前に玄関に正月飾りを下げたが、何時もと変わらずに新しい年を迎えるのだと思うと涙が出たな。
近所の人が「新聞やテレビを見て心配で」と来てくれたが、顔色はいいし、ツヤツヤしてるので安心した❗️と言う。昨年の今頃を思うと雲泥の差だ。ここまで回復する力になってくれた皆さんに、ただただ感謝の思いだ。

小さな字

2020-12-30 | Weblog
なぜか判らないが、あるときから小さな字が書けなくなった。
昔は小さな字と書けたはずで、拘置所当時の日記には、かなり細かな文字が書かれている。
老眼ゆえかと思っていたが、どうやら違うみたいだ。
昨日、年賀状を書き始めてみると、苦もなく小さな字が書けた。
不思議だなぁ。一定以上の文字しか書けない感覚だったのに、書く気になれば、かなりの小さな文字でも書ける。
どうしたんだろう、俺の中で、何かがあったんだろう、不思議だなぁ。

変わって来た❓️

2020-12-29 | Weblog
昨夜は午前2時半過ぎにトイレに起きた。
酷いときには、3度、4度とトイレに行っていたが、このところ、多くても2度。1度ということも多くなって来た。
昨日も同じような時間にトイレに行って5時ころに目覚めて、さあ起きるかと思ったが、もう少し横になってるかと思っていたら、また眠ってしまい、起きたのは7時前。
今朝は目覚めたのが、もう7時半が過ぎていてビックリ❗️
体調が回復して眠れるようになったのかなぁ❓️

有り難い話

2020-12-27 | Weblog
俺の食事療法は、自らも末期癌を体験して板前の腕で食事療法をして完治させた人から教えてモラっている。
大阪へ行くたびに出来る限りに行って体調を報告したり、買い物をしたり、食事をしたり、指導して貰ったりしている。
警察に冤罪で嫌な想いをさせられたそうで、俺に親しさを感じてくれているのか、色々と親切にして貰っている。
その方の店で食事療法をする弁護士さんと話をしたら「桜井さんのことを、あの人は何としても助けたいと言ってましたよ」と言う。
そんなに思って貰えるなんて、ホントに有り難いことだ。
昨夜、体重計に乗ったらば、久しぶりに50キロを超えていた。
46キロを切るか、切らないかまでになったので、これで4キロほど回復したことになる。体重の回復は癌の回復も示すと思うが、人様の想いを支えられていることを想うと、何としても克服しなくてはと思う。
有り難い話だ。

司法の体たらく

2020-12-27 | Weblog
袴田事件の決定を書いた最高裁判所第三小法廷にいる5人の裁判官だが、差し戻しを主張したのが裁判官出身、自判で再審開始を主張したのが非裁判官出身だ。
この事実が示すのは裁判村の異常だ。
裁判官として過ごすと警察や検察の行いを批判する心が失われる。警察や検察によって、どのような証拠捏造や証拠改竄がなされても、愚かなる親が溺愛する子の成すがままに許すように、裁判官は見逃すのだ。
その習性を育ててしまった3人を考えると、日本の裁判官任命システムを根本的に変えなければ、とても警察や検察の悪事による冤罪は防げないと思う。
差し戻しは良かった、良かったが、かの3人の思考が最高裁判所の多数なのだから冤罪者には喜んでばかりはいられないよなぁ。

ホント❓️

2020-12-26 | Weblog
先日のライブでは、俺なりに、まあまあ唄えたと思っていた。
忖度無しに感想を語ってくれる国賠支援の事務局長も、丁寧に表現して良かったとのメールをくれた。
でも、オンラインで聴いた自分の歌は、とても良いとは思えなかった。正直、ガッカリした。
ところが、会場となった風に吹かれてを経営される方は、歌も語りも上手くて、特に語りは正座して聞く思いにさせられたと語っていることを知らされた。こっちもビックリだなぁ。
なんなんだ、この落差は❓️

クリスマスの夜

2020-12-26 | Weblog
昨夜は岸和田に住むマイファミリーと呼んでくれる中村家でクリスマスの乾杯だった。
奈良に墓参りに行った後、南海線堺駅まで送ってくれた青木さんと別れて岸和田へ。
食事療法を決断させてくれた弁護士さんなどと会って回復を知って貰えたし、今後の予定なども話した。
そして中村家へ。
毎年、不思議とクリスマスを過ごす中村家だが、今年はコロナもあり、娘さん家族は参加を遠慮して顔だけを見せに来てくれた。
何でも、23日に家族のクリスマス会をしたそうで、そこでは先のテレビ番組を全員で見たそうだ。何時も会ってる俺を画像として見ながら「何時もの桜井さんだ❗️」と言っていたそうだが、最年少のサキちゃんからは「桜井さん大好き、何時までも元気で❗️」との手紙を貰えた。嬉しいなぁ‼️
ホテルに帰って読んで涙が出た。
多くの人様の想いを貰える俺は幸せ者だ。
岸和田に住み、先日、水戸まで干し柿作りに来た松本夫婦も来て、飲めるようになった酒で乾杯‼️
愉しくて嬉しくて美味い夜だった✨

哀しいほどに淋しく

2020-12-26 | Weblog
昨日、東住吉事件で娘さんを亡くした青木さんに案内して貰って、娘さんの墓参りに行った。
奈良の山の方と聞いていたが、行ってみると、本当に山の中。
もう、ほとんど無くなった井戸は、ロープにバケツが結わえられていて、それを投げ下ろして組み上げる。
周囲を山に囲まれて西に小さな集落を見下ろす墓地は、もう墓じまいをした空地も多くて
哀しいほどに淋しい雰囲気を漂わせていた。
近くには有名な石舞台もあって歴史の地ではあるが、事情で家族が作った墓地を早く移したいと語る青木さんの想いを痛切に感じながら娘さんに祈りを捧げて来た。
余りにも淋しくて写真は撮れず、少し下りて来た辺りの表示板を撮った。
この辺りを歩きたい想いが夢と消えたことも淋しさの募る原因だったかもな。