桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

曽根崎23時40分

2009-05-31 | Weblog
社会に帰って来て、もう何度も大阪へ行っているが、余り夜の街を歩いたことはない。大体、酒場で飲み、またとこかへ移るといった程度だったが、昨夜は梅田からホテルに帰るために、曽根崎辺りを淀屋橋方面に歩いた。
もう日付が変わる時間に近かったが、まだ沢山の人が溢れていて、さすがに土曜日の夜だった。
曽根崎辺りと言えば、盛んな客引きの店があり、もっと雑然としているかと思ったが、意外に静かな感じだった。
地元の人は、まだ仮釈放中の身を案じてホテルまで同行してくれたが、そんな心配もない様子。まだ六本木辺りの方が妖気を感じると思った。

可視化集会

2009-05-31 | Weblog
大阪弁護士会主催の取り調べの可視化実現を望む集会に参加した。
会場は大阪弁護士会館。これが豪華だった。レンガ造り風で、俺が仕事で塀を作るのに積むタイルよりも大きなタイルを積み重ねたホールは、どこのコンサートホールに較べても負けない上品さと美しさがあった。当日のプログラムは、一部が裁判員制度の解説。
二部がハイヒールりんごさんと一般の人が二人。それに弁護士と北海道警の裏金を告白した原田宏二氏。これらの方々で、二つの事件の模擬裁判を行って事実認定をするのだが、オデン屋の女将さんと女子大生の意見が予想を越えて鋭いのには驚いた。
殺意の有無を問う一件目。殺人依頼の否認事件ともに、その取り調べの一部録画では見えない、判らない自白調書の欠陥を指摘し、一般人の常識の健全さを示していた。余りにはまった答えだったから、会が終了後、二人の答えはシナリオかと尋ねたところ、全くシナリオではなくて、勝手に考えて貰った結果らしい。 この結果が総てではなかろうが裁判員制度は楽しみだね。
三部は、司会の森弁護士に俺、原田氏、日弁連可視化問題担当小坂井弁護士でパネルディスカッション。
警察経験者の原田氏がいるだけに、俺が嘘の自白をしてしまった話に、よりリアリティーが生まれ、聞いている方々にも判って貰えた気がする。
警察OB「ポリスチャンネル」という組織からも取材があり、そのまま流すので警察への思い、怒りがあったら話して欲しいと求められた。
原田氏は、警察経験者として桜井さんに申し訳ない思いだと言ってくれたが、その言葉には慰められた。原田氏も言っていたが、警察官は大部分は真面目な人。キャリアなど、一部の特権階級が悪を生みなして汚れた組織にしている。そこを改革したいということだが、俺も同感。正しくあるべき組織が正しくなり、冤罪者が生まれなくなるように、俺も声を上げ続けたい。少し参加者が少なかったのが残念だったが、裁判員制度の始まる今、闘いを続ける布川事件の存在意義みたいなものも感じた集会だった。

文京区労協

2009-05-31 | Weblog
社会に帰ってから沢山の支援者や団体を得たが、その一つに文京区労協がある。文京区は出版関係の会社が多いが、利根町に近いところに住む出版社に勤める救援会関係者がいたことから縁を得て支援をして頂けるようになった。
先般も新聞意見広告募金のお力添えを頂いたが、その専従者として働く岩永さんには、特にお世話になっている。
今年、文京区労協は、結成50周年を迎えて祝宴があった。岩永さんから、来て一曲唄うようにと求められたことから、支援のお礼も兼ねて参加した。
文京シビックセンターの最上階は、初めて上がったが、眼下に東京ドームを見下ろして見事な夜景が広がっていた。

飯塚事件

2009-05-29 | Weblog
余り知られていない冤罪事件に福岡県飯塚市で発生した女児誘拐殺人事件がある。1992年2月、登校途中の小学1年生2名が行方不明になり、甘木市の山中道路脇斜面で遺体となって発見された。
司法解剖で扼殺、直接の性的暴行の痕跡は無かったが、性器内から被害者以外の微量の血液を検出した。
また遺留品が発見された現場付近にワンボックスカーが止まっていて、中年男が立っていた、車の後輪がダブルタイヤだつたなどの目撃情報があった。
これらの証拠によって捜査が開始され、ワンボックスカーでダブルタイヤの車の持ち主、久間三千年氏が捜査線上に浮かび、任意提出された髪の毛でDNA検査がなされた。
しかし、鑑定は不一致となり、福岡県警は久間氏を逮捕できず、重要参考人としてマークし続けたらしい。それから1年後、マークしていた捜査員とトラブルになり、警官を負傷させたとして逮捕されて罰金刑を受けたりするが、更に月日が過ぎた1994年9月23日、今度は容疑者として逮捕された。
逮捕の決め手は被害者両名の衣類に付着していた微量の繊維が、久間氏の車のシート繊維とが一致したとする鑑定結果だった。
それから67日間、久間氏は一貫して否認を貫いたが、裁判となり、有罪・死刑判決を受け、これが2006年9月8日に確定することになる。
これらの経過は、「冤罪ファイル」誌3月号に詳しく記載されているので、ぜひ読んで欲しい。
一昨日、日大法医学部の押田教授を訪ねた際、印象的な言葉を聞いた。先生は「DNA検査で一致しないことは百パーセント証明出来るが、一致すると完全には証明出来ない」と言われたことだ。99.9パーセントの確率ならば百に一回は間違うことになるが、これでは犯罪の証明力としては不完全ではなかろうか。
一般的にDNA鑑定は完璧な証拠と思われているし、マスコミでも取り扱われている。非常に危うい話だ。
この飯塚事件は2008年10月28日、久間氏の無実の訴えが無視されたままに死刑が執行された。
有罪の証拠は、DNA鑑定と車のシート繊維鑑定が一致したということだけらしいが、DNA検査は、科学警察研究所が行ったもので「ほぼ一致した」との鑑定なのだ。その道の権威である押田教授の言葉を考えれば、この鑑定結果は怪し過ぎる。一致しても百パーセントは信頼出来ない鑑定なのに、ほぼ一致とは何事たろう。
科学警察研究所、通称科警研ほど、うろんな存在は無い。どんな証拠であっても、捜査体制から求められる証拠は作り出す能力を持っている。北陵クリニック事件などでは、千回も検査出来る被害者の血液を総て使い果たして、守大助の点滴容器に入れた筋弛緩剤を検出した鑑定を出した。医学者が揃って点滴では殺せないと言い、当時の院長が病死に医療過誤だと言っても、総て使い果たしたとすれば、最早再鑑定は不可能。これが科警研のやり口だ。
鑑定結果が被告に悪ければ、犯人性を示せば食らい付く裁判官魂、飯塚事件は死刑。北陵クリニック事件は無期懲役で一件落着だ。
久間氏には自白は無い。車のシート繊維が一致と言っても、同じ車は福岡県内に165台。他の県は調べてもいないのだ。「ほぼ一致」などと、いい加減なDNA鑑定をする組織のやることでは、その車シート繊維の一致だって信用できたものでは無い。
この飯塚事件、死刑が確定して、僅か2年で執行された。平均では7~8年経過後の執行というだが、死刑に判を押したのは鳩山邦夫法務大臣だった。首相は誰?
飯塚市は麻生首相の城下町。この飯塚事件をマスコミが調査に行けば、すぐさま取り囲まれるという複雑さもある。怖い話だね、怪しげな話だ。
足利事件がDNA検査で無実が証明された今、この飯塚事件の異様な結末を社会が注目して欲しいものだ。

渡辺恒雄読売会長

2009-05-29 | Weblog
我が茨城県に山口武平氏あれば、自民党政府には渡辺恒雄氏がある。
お年寄りの欠点は気が短くなったり、自分の思考だけが正しいくて総てだと思ってしまうところだろうか。何年か前に、プロ野球選手会がストを行ったとき、渡辺恒雄氏は「たかが野球選手風情が!」と、当時の古田選手会長を侮蔑したことがあった。その言葉がファンの憤激を買い、渡辺会長が目論んだ球界再編を阻止し、今の体制を維持する盛り上がりになった。ジャイアンツは、あのとき以来、渡辺恒雄読売会長の傲慢さにファン離れが起こり、満足にテレビ中継が出来ないほどに人気を失ってしまった。
昨日、厚生労働省の分割案を巡り、その発案者らしい渡辺氏は、薬害被害者の山口美也子氏から選挙目当ての党利党略でパフォーマンスと批判されて切れてしまい、無礼だ!と激怒したらしい。
山口氏の発言趣旨を誤解したらしいが、そもそも渡辺氏は中曽根康弘元首相の盟友で自民党応援団。当たらずとも遠からず、人間、図星されると怒るものだ。
まあ自民党辺りが渡辺氏の無惨な言動で人気凋落ならば嬉しいけど、俺はジャイアンツファンだから、渡辺読売会長の存在は困ったものだと嘆いてる。
総ての組織に言えるが、組織の一番の課題は若者の育成だ。それが出来ない組織と体制は衰退するしかない。老人が何時までも我こそはと存在していいことは無いのだが、渡辺氏辺りは判らないんだろうなあ。そこがご老人、過激な人には老害と非難される所以だろうが。

再び池本寿美子判事

2009-05-28 | Weblog
昨日、日大法医学部の押田教授を訪ねて、足利事件を無下に棄却した池本寿美子判事の話にもなった。
池本判事は、その後、検察官の求刑を上回る量刑判決を下し、検察に厳しいしっぺ返しをしている。
この検察官、転勤させられたらしいが、もう関東には戻れない島流しだそうだ。
やるもんだねぇ。だけど、菅家さんに行った判断は消えない。今後裁判官職を続けられるならば、ぜひとも事実認定において検察や警察を盲信したり、科学的事実を無視するようなこては止めて欲しい。
ただ願うばかりだ。
2ちゃんねるで公開されている池本判事の写真があった。
俺もそうだったが、人間過ちを犯すと辛い。生涯、やってしまったことは消えず、責め、責められるのだから。

大崎事件

2009-05-28 | Weblog
鹿児島の冤罪で有名な志布志選挙違反事件。有りもしない選挙違反事件をでっち上げた志布志警察署は、その前にも同じように事件でないものを事件に作り上げた前科があり、それが大崎事件だ。
大酒飲みの義弟を殺したとして原口あや子さん夫婦らが逮捕され、嘘の自白を強要されて犯人にされたのだが、原口あや子さんは否認を貫き、80才を超えた今も闘い続けている。
一度は再審開始決定が出されたのに、三審制を崩すとかの理由で棄却されてしまった。この判例に縋って布川事件なども最高裁に特別抗告されたのだと思うが、裁判で大事なのは真実だけなのに、優秀な頭脳を持つ裁判官は、そこが判らない。一度下した判決は何があっても守る、それで裁判の権威を守れるとでも思っているのだろう。
大崎事件は、元々が事故。酒に酔って自転車に乗り、深い側溝に落ちて頸椎を損傷した。そこに通り掛かった近所の人が、ずぶ濡れの故人を自宅に運んだ。何時も酒で迷惑を掛けていたらしい故人を、多少乱暴に扱いながら自宅に運んだが、頸椎の傷がダメージとなり、死亡した。
そこで殺したと勘違いした誰かが堆肥の下に埋めてしまったことから、この事故死が事件にされてしまった。
これらの経過は、全体を見れば明らかなのだが、その関係者が次々に他界し、人の告白に依って解決する手段は失われてしまった。
それで事故死を解明する手掛かりを得たくて、日大法医学部の押田教授に教えを請いに伺った。
押田教授は、今、一番熱い足利事件でもDNA鑑定を行った方で、すでに9年前に鑑定書を出したのに無視されたと憤慨され、冤罪に存在する不正に強い怒りを持っておられ、その思いも語ってくださった。
押田先生は、長い法医学者のご経歴をお持ちで、ここに記せない法医学者や司法関係者、警察などの話も聞かせて下さり、大変に勉強になった。お願いに伺った我々を試された感じのお話、質問などもあり、それも知的な好奇心を刺激されて楽しかった。
私は死刑や無期事件しかやらないと先生は言われた。北陵クリニック事件、東電OL殺人事件なでも手懸けておられるそうだが、例外として福井女子中学生殺し事件は鑑定されていて、それで被害者の顔に残された50ヵ所もの刺し傷の写真を隠していたと、強く憤慨されてもいた。
先生は、とにかく嘘と不正が大嫌いのようで、あれこれと纏わるお話を伺ったが、これもオフレコで書けない。残念!
最後には、大崎事件の鑑定書を検討して下さるとのご返事で、これを切っ掛けに大崎事件にも、再び光が当たれば、総ての仲間に勝って欲しいと願う俺には嬉しい限りだ。
最後に、押田先生から記念写真を!と言って下さり、各自の携帯カメラでパチり。
次にお会い出来る日が楽しみな訪問になった。

2ヶ月振り

2009-05-27 | Weblog
昨日は久しぶりに仕事をした。
伊奈町、今は合併で地名は変わったが、北海道の美瑛を思わせるようなうねった畑が続く中に車の修理工場の造る基礎工事だった。
日射し遮るものがない現場で身体を動かして汗を流すのは、本当に心地良い。
再審の活動をしているときは、それなりに満足や喜びはあるが、やはり土方は最高だ。俺の天職は土方だな。

御殿場少年事件

2009-05-25 | Weblog
この事件が架空のでっち上げ事件であることは、前に書いた。一人の少女の嘘が、他の人の人生を狂わす。あってはならないし、考えられない展開なのだが、裁判は小説など、全く及びもつかない奇天烈で存在している。
最高裁判所で作り話が事実と認定され、少年たちは、明日下獄する。刑務所に入る。どんな思いがと考えると言葉が無い。
人は嘘を言う。だから裁判では証拠が必要なのであって、人の言葉よりも物的証拠によって判断すべきだと言われているのに、今の日本の裁判所では証拠よりも言葉が重要視されている。被告とされた者の無実を示す証拠ほど、無視され、曲解されて事実を歪めてしまうのだから、全く話にならない。
この実態をイヤというほどに知る俺は、ゆえに裁判員制度に期待するのだが、裁判員制度に反対する人たちは、この実態を知っているのだろうか。今の裁判所でいいと言う気持ちが俺には理解出来ない。
御殿場少年事件、必ず無実が証される日は来るが、明日刑務所へ行かされる人たちには、ただただ健康で頑張って欲しいと願っている。

朝寝

2009-05-24 | Weblog
今日は、久しぶりに長く寝た。何時もならば、何時に寝ても5時過ぎには起きてしまい、それから日課の英語をやり、それからテレビをつけるのだが、今朝は何度も眠ってしまった。昨日、東京の事務所で机に突っ伏して眠ってしまったのだから、流石に疲れているのかも知れない。
今日は予定も無し、他にやりたいことも無かったから、水戸に来て子供と遊んだ。
子供たちと遊ぶのは癒されるが、却って疲れることある。しかし俺の闘いの原動力だな。