桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

一段落

2009-11-30 | Weblog
そんな気分の一日、何もしない休養日になった。
昨日は古河の美術展最終日で、連れ合いと一緒に行った。
毎回、なにがしかの作品を得て帰るが、今回は、初めて掛け軸にした。
達磨さんの絵に合わせて「無何」と文字が書かれたもので、何も無し、と悟りの世界を描いたものだろうが、俺に相応しいかも知れない。
募金額は予定に達しなかったが、こういう行事に参加すると、いかに多くの人の善意に支えられているかを感じる。有り難い限りだ。ただ感謝だ。
終わって打ち上げ、水戸から参加した人を車で送って自宅に帰ったのは11時近かった。
で、今日は休みだった。

袋田宣伝

2009-11-29 | Weblog
昨日は、恒例の茨城守る会の袋田宣伝だった。
昨年が最後、今年は祝杯のみのつもりだったが、また宣伝になってしまった。
何時もの場所、滝の入口の橋でビラを配り、署名を呼び掛けた。
参加者は20名。足利事件の菅家さんも参加したことで、新聞記者が多数参加。しかし、シーズンは終わりになって、昨年に較べれば半分以下の観光客だった。署名は200くらいが集まったし、とにかく菅家さんの人気のお陰で盛り上がった宣伝行動になった。
ただ毎年のことだが、橋の傍の滝生屋の人が、我々の宣伝に文句を言って来た。悲しいよね、冤罪の訴えに理解無く、商売の邪魔と顔色を変えてクレームをつけるなんて。
宣伝後は、これも恒例の映画センター友の会との合同芋煮会。
何時もながらの美味い食べ物、楽しい仲間、俺たちは幸せだと痛感した一日だった。

救援美術展

2009-11-28 | Weblog
昨日から古河での美術展が開かれている。
布川事件支援とも銘打たれた美術展なので、俺も搬入・レセプションから参加した。
不況の時期、素晴らしい作家の作品と言えども、なかなか募金の協力を得ることは難しい状況になっているが、何とか成功して欲しいの思いで一杯だ。
レセプションでは、初めて聴いた電子サックスが良かった。

書き込み

2009-11-26 | Weblog
俺のブログを覗いてくれる人は、まあ何人かいてくれるが、余り書き込みは無い。たまに、あるのだが、飯塚事件のような重大な話は別だけども、基本的には書き込みに返事はしないことにしている。もちろん、書き込みは歓迎だし、俺の思いに応えてくれる人がいるのは嬉しい。だけども、公開したやり取りはやる気になれない。
今日も、昨日アップした六本木高校のことで、招いて下さった先生の書き込みがあった。
確かに、今までに沢山の学校を訪問して話したが、人生が楽しくないと質問されたのは初めてだ。あの質問は、何だか逮捕される前の俺のようで、思わずリキの入った言葉になってしまったが、サムアップした彼女の両手には、判ったよ!の思いを感じたし、俺の思いが通じた喜びを感じた。
昨日は話さなかったが、俺には学校の先生になりたい夢がある。
特別に何を教えるというのでは無くて、ただ人生は失敗した方が楽しい、苦しんだ方が喜びが大きいと、自分の体験として知ったことを教えて上げたいのだ。
人生は、何があっても楽しい。楽しみの月日を重ねた行動は、必ず埋もれた資質、才能をも開花させる。
次に六本木高校に行けるときは歌も唄えるようだが、その前に、次はどこの学校で話せるか、楽しみになる六本木高校の経験だった。尾形先生、有り難うございました。

もうすぐ帰宅

2009-11-26 | Weblog
昼前、自宅を出るときは、俺の万歩計はゼロだった。自宅から布佐駅。それから東京へ行き、六本木高校での話、六本木の友人との飲み会を過ごして帰ったらば、我孫子駅に帰り着いての万歩計は17000を超えていた。
何を信じ、どう生きるかは個人の自由。そして難しいかも知れない。でも、どう生きられるか、生きたかは確実に刻まれる。
今日の万歩計に刻まれた歩数のように、人は日々、自分の日常を刻み、人生を自分で創って行く。
俺の今日、確かに万歩計通り。六本木高校の若い心に、何かを残し得た思いは我が命の満足。

都立六本木高校

2009-11-25 | Weblog
不登校や中退者を集めたとか言う高校で、布川事件の話をして来た。
単位制学校で登校は自分に合った時間に来れば良く、制服もない。かなり自由な学校だ。
今日は17名ほどの参加者だった。女性が大半で、男子は2名。
最初から最後まで、自分たちの世界に入り込んでお喋りをする人もいたが、熱心に聞いてくれる瞳は、どこの学校にも負けないモノがあった。
「布川事件の40年」を見て貰ったし、事件のことは判って貰えたと思うが、最後に予定していた歌が、テープ再生機が無くて出来のが残念だった。
質問時間を余計に取って、子供たちの質問を受けたが、「私は人生に夢がないし、楽しくない、なぜ桜井さんは、その年になってめ夢や希望を持っているのか」と聞いた人に、俺は苦しみや困難に立ち向かって、それを乗り越える自分に楽しさを見いだして生きてきた。重いモノを持てば力がつくし、エクササイズにもなる。得になる。苦痛の多い獄中生活にある楽しみを探して生きていた。だから、その生き方が自分を作り、今の俺になった」と、俺のポリシーを語った。
今、20才たど言う女性は、俺の話に両手の親指を上げたサムアップで応えてくれた。
生きることは大変、困難があるが、今日の話で一人でも、これからの生き方に力となるモノを得て貰えれば幸せだと思った。
今日は楽しかったし、疲れた。

不便この上なし

2009-11-25 | Weblog
昨日は、車を水戸に置いて来て利根町に帰った。
昨夜、バス停を降りた辺りから降りだした雨は、今朝も残って屋根での雨音を聞きながら目覚めた。
さて、どうしたものかと思ったが、しかし、車がないから動けない。陶板浴、ゴミ出し、諦めてパソコンを開き、ブログの修正などをして時間を過ごした。
昼が近くなるにつれ、雨は止みだして、家を出た10時30分には、完全に上がった。
車がないのは久しぶりだが、今の田舎暮らしは車がないと成り立たないと判った朝だった。

不正経理

2009-11-25 | Weblog
先日、岩手県警で不正経理の処分が発表された。元県警本部長など、200名以上だと言う。
こんなことは警察では常識的に行われていることで、全国的に見れば氷山の一角だろう。今、公開されながら行われている民主党による事業仕分けは、ここにも及ばなければなるまい。
警察が治安を守る大事な組織であることは言うまでもないが、だからと言って何をしても無批判に許されることにはならない。警察にしても検察にしても、その社会的存在の重要性を隠れ蓑にして、好き勝手な違法、脱法行為をしている。そして、その組織的重要性を不可侵的に錯覚したマスコミは、本気で違法、脱法行為を追及出来ないでいる。
本来は、立法府である国会が法律の網を作り、検察、警察を監視しなければいけないのだが、叩けば埃の出る生業。政治家は警察の情報を背中に隠した、柔らかな陳情に逆らえない。スキャンダルは木から落ちた猿になる落選に繋がる恐怖。情報はわんさと持っている警察には逆らえないよね、こっちも金には怪しい国会議員は。
かくして、更に警察の裏金は続く!か。
この泥棒連中、何とかしたいねえ。

菅家さん

2009-11-24 | Weblog
本当に善人で、人に危害を加える人ではない。
このところ、良く一緒に食事をしているが、前回の公判のとき、自分で誂えた背広とネクタイをして来たことを聞いたので、次回公判用に、俺が明るいネクタイを送った。
今日、裁判傍聴に入り、菅家さんのネクタイを見たらば、俺のを締めていた。
昼飯後、裁判所に入る前に捕まえて、その姿を撮った。
余り良く映らなかったが、黄色系の明るいモノ。
本当は俺じゃなく、ネクタイを選んで贈る人がいればいいよね。

足利事件公判

2009-11-24 | Weblog
今日のDNA科学者の証人尋問が終わった。
色々と書きたいことはあるが、検察は何があっても科警研、科学警察研究所の鑑定結果を守りたい。その欠陥、疑惑を指摘した弁護団推薦証人を追及したが、問題の科学警察研究所の鑑定結果に対する疑問を指摘した部分には踏み込めなかった。
科学警察研究所は飯塚事件でも同じように鑑定をでっち上げ、すでに被告を殺してしまった。
だから必死だろうが、科学は誤魔化せない。
今日の法廷には、警察からも傍聴があった。
あいつら、15名くらいが傍聴券に並び、抽選前に裁判所に来る。そのトップみたいな奴が、俺の側にいた。
あいつらは臭いで判り、警察嫌いの俺には不愉快極まりないね。
この写真には、その連中の先頭が映っている。