桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

北九州から 2

2006-08-22 | Weblog
翌日はKさん宅に招かれて朝飯。
娘さんのN子さんの手料理でしたが、関東で料理人修業をしたらしい彼女の腕は確かでした。
家は清潔で品があり、Kさんご夫婦の暮らしぶりを感じたし、近所の方たちが警察の妨害をはねのけて「兄弟を支える会」を作って活動されるのも当然だと感じました。

 その後、救援会のKさんの案内で市内の団体を訪問。
団体回りは初めてらしいK.Kさん(長男)でした。

 引野口事件は出火前に家から出てきた男を子供が目撃してるとか。
「布川」以上に劇的な展開が期待できますし、「布川」を勝利させた後、私のやるべきことが、また確認できた北九州でした。

北九州市から 1

2006-08-21 | Weblog
 三度目の北九州は、引野口事件の集会に参加するため。
「引野口事件」、多分知らない人が多いでしょうね。

 介護していた実家の兄が殺害された。家に鍵が掛けられていたことから内部犯行となり、妹さん、K.M子さんが犯人にされた。
ところが、自白ではなくて、留置場でスパイとして同房者になっていた20才の女性(S.Mと言う覚醒剤常習者)が「M子さんの自白を聞いた」と話した伝聞証拠に秘密の暴露があるからだとか。
勿論、秘密の暴露らしくした警察の作為なのですが、恐い話ですね。このようなやり方が許されるならば、警察の睨んだ人は逮捕し、同房者を入れ、上手く利用して「自白を聞いた」と言わせれば、誰でも犯人になります。
別居中で離婚訴訟中の妻だった人は、M子さんがしていた介護を自分がしたように話したり、兄妹の仲が悪かったとか、かなり中傷したようで、それを真に受けた警察の、何時ものような思い込みでのデッチ上げですね。
Kさんの夫は警察に責められて自殺!ひどい話です。また一つ、必ず勝たせたい事件を見て来ました。

 集会は近所の人、百名弱の参加。
普通の社会人の近所の人たちには、私の話は衝撃だったみたいです。
三次会まで続いた懇親会は、新しい人、仲間との出会いの喜びで一杯でした。

信州・上田市で

2006-08-20 | Weblog
上野から新幹線で一時間と少し。思いの外、上田は近かった。
駅に下りれば、真田幸村像に六文銭の旗印がある広場。デジタル寒暖計の文字は
39度!
でも、さすがに信州。吹き抜ける風は涼しく、山の緑も爽やかに感じました。

 上田は救援会の上小(じょうしょう)支部総会に招かれたもので、キャラバンと同じようにビデオをみて頂いての話でした。

 総会後には暑気払い。
余興では、何時もの歌ではなくて「敦盛」をうなりました。
これは11月の私のコンサートで披露する予定のもの。風邪気味でしたが、好評でした。小諸節の全国チャンピオンという方も美声を聴かせてくれましたが、正に野に偉賢ありでした。

 その後の二次会では、今週末に行われる全国現地調査の参加者も得られたのですが、その方は古くから布川事件を支援され、「杉山の母」を自認されていた女性をご存じで、
「社会に戻って再会出来たかを知りたくて来た」とおっしゃる支部長夫人。
世間は狭い!

番外記

2006-08-17 | Weblog
 キャラバンが一休みの八月。
「全国現地調査」の月で、その成功に向けての活動が重ねられてます。
私も事件現場のセットを作り、現地調査に参加して下さった皆さんに、いかに「自白」がデタラメかを、見て、知って頂こうと時間を使っていま
す。
 あの「畳が落ちた現場」では、何しろ「自白」のように殺せないのですから。


 その八月、私には初体験の“赤ちゃんの誕生”を身近に味わいました。

 再審開始決定時、私の両隣にいた子供たちに(4年前?・・・私の作った『母ちゃん』という曲を聴いて、当時4歳だった兄のマサトは「ショウジのおかあさんになってあげる」と言い、後に、弟のユウトも「お兄ちゃんがおかあさんなら、僕はおとうさんだ」と言う兄弟に)弟が産まれたのです。

 誕生した日の夜(8月6日)、顔を見に行きましたが、思った以上に目鼻立ちがシッカリして、でも恐いような小ささ。

 あの日から10日余り、何度か抱き上げましたが、この子は私を何と呼んでくれるのか、愛しさと同時に楽しみを感じ、味わってます。

(写真は、生後3日目。ユウトに抱かれて)

燃えるような山梨で

2006-08-10 | Weblog
 台風の上陸が案じられた山梨行き。
でも、布川事件は雨に降られる筈は無く、今日の甲府盆地は鋭い日差しに照り返し、むせ返るような空気。
火が点きそうな暑さでした。

 山梨県本部のの会長のHさん、事務局長のTさんの案内で市内の団体を訪問。
署名用紙千枚を求められたり、カンパ、要請ハガキなど、沢山の協力を頂きました。

 夕方は甲府駅前で宣伝、ビラ配り。前日の(東京)御茶ノ水駅宣伝に較べたら、ビラ取りも反応も違い、気持ち良いくらいで、予定を30分余りを残してビラが無くなりました。

 城が好きで、今朝はホテル裏の甲府城の天守閣址に上がり、まだ人の少ない街と山を眺め、遠い時代を思いました。
自分が時代の存在になったとき、布川事件を背負って生きた人生が判って貰えたらいいなと考えながら。

前橋から宇都宮へ

2006-08-08 | Weblog
 前橋駅前には掛け流しの天然温泉!

 集会後、群馬県本部のKさんの案内で行きました。
成分が濃厚なせいか、熱い湯が苦手な私が簡単に入れるのに、すぐに汗が出るんです。身体に染みる感じの湯も気持ち良く、最高でした。
もちろん、温泉後の一杯も!

 翌朝、6時の出発予定はズレましたが、宇都宮へ。
途中から台風7号の影響で激しい雨が降り始めましたが、例のごとく、団体回りをするころには止み、今回も天気に恵まれた一日でした。

 宇都宮は広くて、栃木県本部のTさんの車で回りましたが、相手に事件を訴える時間より車に乗っている時間の方が長かった!
栃木は要請ハガキに沢山の協力を頂きました。
それに栃木からは現地調査への参加申し込みが10名もありました。

 宇都宮から水戸へは2時間もかからず、十分な成果とともに、さほど遅くならずに帰れました。

真夏の前橋

2006-08-07 | Weblog
 朝の6時過ぎに水戸を出発。

 国道50号を真っすぐに前橋へ。
何とか10時には団体訪問を始められると考えていましたが、とんでもなかった!約束のホテルに着いたのが10時30分でした。

 待ちわびる救援会の兼松さん、山本さん。
それに茨城から前泊の同行者Yさんと合流し、それから回ったのが、19ヶ所、24団体。
急ぎ足で飛び歩いた感じでした。
強い日差しに身体が燃えるような空気で、車を下りても、また乗っても汗が吹き出る一日でした。

 夕方からは集会。
ビデオを見て頂いて話す、何時もと同じ内容でしたが、最後に救援会の女性から激励の色紙を頂き、感激でした。