桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

巡礼あれこれ3

2012-09-30 | Weblog


今日になって、やっと普通に歩けるようになった。まだマメの痛み、それを庇っての筋肉痛もあるけども、その痛みを気にしないで歩けるようになった。
足を引き摺るように歩いた足摺岬への道は、本当に大変で、金剛福寺に着いたときは、全く写真を撮る余裕がなかった。
それで、打ち止めた日、車で足摺岬に行って金剛福寺を写真におさめて来たが、そのときに新しく買った白衣に金剛福寺の印を押して貰った。次の巡礼からは、金剛福寺の印を背負って歩く。
写真は山門、境内の海に模した池など。

映画

2012-09-30 | Weblog
今日は福岡での映画だった。
あいにくの台風の襲来。どうなるかと案じられたが、福岡辺りは、さしたる影響はなくて雨も降らず、無事に行われた。
1回目が午前中から午後1時過ぎまで。百名は越えたろうか。
1時40分から、約1時間のトークをした。
今日は、何も持たずに映画を見た方に対して自由に話した。
元気を貰ったと言ってくださる人があったし、準備した井手さんの書籍にパンフレットが完売したことから、皆さんが俺の話を受け止めてくださったのを感じた。
写真は、トークの中で、ブログに書くためと、皆さんに断っての1枚。

福岡入り

2012-09-30 | Weblog
昨日は、高知から福岡に移動した。
飛行機が、横4席の小型。台風の影響で揺れた。
ホテルは西鉄イン。昼過ぎに着いた後、市内地下街を歩いて足の筋肉痛のためにエアーサロンパスを買った。食事をして3時のチェックインまで時間を潰し、その後は寝た。
相当に疲れていたのが、寝て判った。
台風の影響は、さほどない福岡は、小雨がパラついただけだった。

巡礼あれこれ2

2012-09-29 | Weblog
三原村と言う村があったが、ここは巡礼に冷淡な高知県内とは違った雰囲気があった。手作りの案内表示はあるし、村全体が人を大事にしてるような感じだった。聞けば周囲の町に合併を拒否された貧しい経済状況らしいが、それが嘘と思えた。
一つ、判ったのは、三原村のアッチコッチに「どぶろく」を売る農家食堂があったことだ。
歩かなければ判らないことかも知れない。

巡礼あれこれ1

2012-09-28 | Weblog
今朝、宿を出たとたんに、懐かしい秋の香りがした。何と表現して良いか判らないが、澄みきった風に稲刈り後の匂いや金木犀の匂いが混じったモノだ。
昨日、宿に着く直前にも金木犀が香り、探したが見つからなかった。錯覚かと思ったが、あった。垣根に、まだ黄色にはなりきらない花が、微かな香りを放っていた。
もうすぐ10月だなぁ。

打ち止め

2012-09-28 | Weblog

宿、鶴の家から39番札所までは、2キロ強。
8時過ぎから歩いて、9時ころには着いた。
朝のお寺は、清々しい。
延光寺も小さな寺だったが、眼洗井戸と呼ばれる弘法大師所縁の湧水があった。今回の予定は、宿毛駅まで。39番札所からは8キロくらいのはずだったが、足が重くて到着したのは11時過ぎてしまった。
これで修行の地は終わるが、自分の中ぬある獄中体験の大きさ、重さを歩く中に感じた毎日だった。

51キロコース

2012-09-27 | Weblog



金剛福寺から延光寺に行く道は、何通りもあって、最長が「月山神社宿毛経由」で72・5キロ。最短が「市野瀬三原経由」の50・8キロとなっている。
他に4経路あるが、足の痛みが酷くて、きっと延光寺には着かないと思い、片岡さんも一緒のことだし、せめて番外の「真念庵」を詣る経路を選んだ。
無口な片岡さんだが、事件のことはもちろん、人生のことなど、色々と話しながらの道は楽しかった。
小さな小屋程度の真念庵を詣り、あとは山道や林道、古道を歩いて、何とか39番札所の直前まで来た。今日は30キロくらいだったろうか。
足の痛さが消えたり、表れたり。下り道が辛くて、上り道は楽。そんな繰り返しをしていると、何だか生きている毎日みたいなものだと感じた。もっとも、俺の人生は、有り難いことに楽しくて、楽ばかりだけどね。
今日の民宿、鶴の屋は、何と、洗濯をしてくれる!
無料ってところもあったが、してくれるのは、初めてだ。有り難いねぇ。
高知県は案内表示も満足になくてお遍路に冷淡だと書いたが、三原村は違った。細やかに、しかも手作りのが要所に配置されている。しかも、洗濯もして貰い、良い場所もあると知った。

龍串(たつくし)

2012-09-27 | Weblog
昨夜は、39番札所へ歩くコース上の民宿に泊まる予定が、 残念ながら満室。
この近辺の民宿は、経営者の高齢化で辞めたところが多くて、それで、すぐに満室になってしまうようだ。そこで同行取材者が、少し離れた龍串と言う街に宿を取ってくれた。
昨日、夕方からは、高知白バイ事件の片岡さんも一緒に歩くことになり、色々と事件のことなどを話した。高知白バイ事件でも、どうも弁護士が証拠の秘密性を優先しているようで、この裁判所や検察に対する迎合性が、長く裁判で「当事者主義」とか「適正証拠主義」とか言われて、検察の好き勝手な証拠独占を許して来たのではないた!と思うと腹が立った。
この、新しい裁判村の傾向をぶち壊してやる!と思った龍串の夜だったが、高知白バイ事件の問題と再審に付いては、また改めて書くつもりだ。
龍串の土佐と言う民宿は、やたらと骨董品の多い店だった。

マメ

2012-09-26 | Weblog
今回は、足の真ん中にマメが出来たので、歩くのにストレートに荷重がかかり、広がってしまった。
明日、大変だが、これが修行の地、高知県たる由縁だと思う。
明日が楽しみなような、恐いような。

最悪

2012-09-26 | Weblog


昨夜の宿は、足摺岬で1番高いホテルだったようだが、今朝、起きて見れば朝の漁に出る船がいて、沖合いまで見渡せる眺望は最高だった。
それは良かったが、足のマメは、段々と拡大し、マメを庇って歩くから、他の足にもマメが出来て痛いこと、この上ない?
今日の歩行は、津呂保育園前から金剛福寺まで歩いたのと、金剛福寺から、次の39番札所に向かって歩いた二通りだが、30キロは歩けなかった。
足が痛いと風景を見る余裕もなくなり、今日は1枚も写真を撮っていなかった。