桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

人権弁護士

2010-12-31 | Weblog
赤旗に「併合100年 日本と韓国」という連載がある。 
武力が世界を支配した時代に犯した日本の罪である韓国併合。その罪を精算出来ないでいる日本政府だが、いかに日本と韓国の将来があるべきかを書いた連載だ。
今日の記事に「検察官を辞めた人権弁護士」とあったので、へぇ日本にも辞め検の人権弁護士がいたのかと思ったが、韓国の話だった。日本の辞め検に人権の判る奴がいる訳はないね。
日本の捜査機関は人権を理解しない。警察官や検察官の職が、なぜ人権を理解しないのか、その辺りに日本の捜査機関が第一に改める部分があるような気がするねぇ。
犯罪者は悪党。だから何をしても構わない。悪党を更正させるのだから、多少の手荒さが必要。それが社会の治安を守り、社会の平安を保つことになる。人権は二の次。こんな筋書で自分たちの行為を納得させているのだろうが、犯罪者の人権が守れない社会は、真面目に生きる人の人権を守れるはずがないよね。
民主主義社会は手段を選ぶのだが、手段を選ばない人たちが捜査権力を握っていては、日本は真の民主主義社会ではないとも言える。捜査機関の問題は、単に捜査機関の問題ではない、深い根を持っている。
日本に辞め検弁護士に人権弁護士と言える人が出て来るのは、何時のことやら。

大晦日

2010-12-31 | Weblog
毎年、年越しは利根町、我が家と決めていたが、今年は連れ合いのところにした。利根町の家はカビが凄い。呼吸器系に過敏さのある俺には、あの家での時間が凄い苦痛に感じるようにもなって来たのだ。
水戸のアパートでの年越しのつもりだったが、どうせならば連れ合いの実家で2人で過ごす両親と一緒の年の瀬にした。
新しいことの始まる年の暮れに相応しいだろう。

手造りビール

2010-12-30 | Weblog
先に結婚式をしたタケルとマリからの引き出物が届いた。
ハムに鰹節、これは普通かも知れないが、この二人ならではの物があった。
手造りビール!
タケルが造ったらしい話だか、どんなモノかと、楽しみに、少しの不安で飲んだけども、これがなかなか!濃厚な地ビールだった。
美味かった!

大阪暴言警察官

2010-12-29 | Weblog
逮捕もされていない、単なる参考人取り調べに過ぎない人を、人生をメチャクチャにしてやる!などと脅迫した警察官に対して、検察は略式起訴でお茶を濁し、決着を付けようとしたが、大阪簡裁は略式起訴を認めず、正式裁判になった。
当たり前だよね。
遺失物横領罪の捜査なのに、家族をも巻き込んでやると脅迫する警察官。悪質の極みだが、これを略式起訴とする検察は凄い。徹底的に警察に甘い。この甘さは、異様だ。
前から検察の警察に対する姿勢は裏金に起因すると言っているが、改めて、同じことを思った。
犯罪者でもない参考人を脅迫するような取り調べをする警察官は、もはや警察官としての資格はないと思うが、そこを理解しない検察は、弱味を握られているとしか思えない。
「検察が警察に楯突くならば、検察のやっている裏金でガサ入れするぞ」ね。捜査実行力のある警察に、もし検察の内部に捜査が入られたらば、一体どうなる?逆らえないよね、検察は、裏金をやってるんだもの。それに検察も警察と同じに脅迫、脅しをやってるから、この警察官の犯罪性を認識出来ないから、略式起訴なんて、不様な判断をするのだろう。
何をしてもダメだねぇ、検察ってのは。

かも知れない

2010-12-29 | Weblog
この前、襖を締めるときに、まだ足が外にあるのに閉めてしまい、自分の足を挟んでしまった。
それをみていた連れ合いが笑って、そそっかしいと呆れていた。
そのときは抗議して、そうは思わないと言ったが、もしかすると、少しそそっかしいかも知れないと思った。と言うのは、ペットボトルのお茶を飲もうとしたらば、口に入る前に傾け過ぎてこぼしたのだ。
これは、少しそそっかしい、かも知れないねぇ。

焚き火

2010-12-29 | Weblog
年末の掃除をしたが、もう家は解体するしかない状態。せめて庭を綺麗にしょうと始めたが、枯葉も少なくて簡単に終わってしまった。では、と枯葉の山を取り出して焚き火を始めたが、生憎にも風が強い。少しずつ燃しているが、目の前の消防署に交番、どう思っているなら。

村木さん

2010-12-28 | Weblog
国賠を起こした。その言がいいね。検証がなされていないと言った。
検察の検証結果に付いては、もはや書く意味がないと思っているが、今朝も辞め検の大沢弁護士が、テレビ朝日で害毒を振りまいていた。可視化の弊害と称して。
辞め検連中には、可視化に付いて発言権はない。可視化されては困る捜査手法を行使して来た犯罪者だからだ。そのやり方しか知らないし、それこそが取り調べだと信じる連中には、何にも語る資格はないのだ。
多分、辞め検連中は、どうせ逮捕されるような者は、手荒い取り扱いをしても構わないし、冤罪になっても仕方ない。それで社会の平穏が保てるならば良いのだと考えているのだろう。
今朝の大沢弁護士にしろ、辞め検で全うな発言をする人に出会ったことがない。辞職した大林宏は任期半ばの辞任を「痛恨の極み」と言ったらしい。
大林宏には、自分の辞任が痛恨の極みであって、冤罪を作ったことが痛恨ではない。
この程度が検察官だ。
そもそも国民の検察に対する信頼は、幻想によって作られている。検察が正義と真実を護る組織だと言う幻想によってだ。
残念ながら検察に普遍の正義はない。真実もない。自らが判断した結論だけを守り、その判断を守るためには証拠を隠しても良しとする歪んだ思考。そこに検察腐敗の原点があることに気付かない限り、検察の再生はあり得ない。

忘年会

2010-12-27 | Weblog
このところ忘年会と称する集いが続くが、昨夜は冤罪ファイル誌の忘年会だった。菅家さんや狭山事件関係者、雑誌編集スタッフなど、10名で開かれた。
会場が「音音」と言う上野駅前。菅家さんにはカラオケが付き物だから、その店名からカラオケ店だとばかり思っていたらば、普通の料理店だった。
カラオケのない店では、菅家さんは話に加わるにしても、総てとは行かず、ときどき退屈そうにしていた。約3時間半くらいだったが、食事後、今度はカラオケというこてで行ったが、俺は水戸帰りだったからカラオケにら参加しないで帰った。久しぶりにカラオケにも行きたかった。

呆れて

2010-12-26 | Weblog
昨日、検察の改革に付いての検証が出された。
色々と書きたかったが、もう書く気持ちがなくなった。
検証した人が検察OBの高井氏。ダメだよね、OBなんて。
とにかく検察の言動を取り締まる組織を作り、法律を作る以外、この連中の悪意を正す道はない。

クリスマスプレゼント

2010-12-24 | Weblog
昨夜、連れ合いの実家に行って帰ったらば、玄関に鉢状のプレゼントが置いてあった。封筒にはメッセージも、朱音(あかね)と翔(かける)の言葉が書かれていた。
私たちが結婚したのは、もう11年前だが、あかねは3才、かけるは生まればかりだった。その子供たちからメッセージで思いを贈られるようになったのだと思うと、嬉しさと一緒に深い感慨を感じた。
我が相棒の杉山は、愛息を持ち、愚痴りながらも幸せそうに息子を語る。先夜など、「ショウジが知ったらば、悔しいことを教える」と言いながら携帯の写真を見せ、他にも息子が存在するなどと酔った寝言を語っていたが、俺には子供がいなくても、それに代わる存在は沢山いると思った昨夜だった。