桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

台湾訪問記6

2018-08-30 | Weblog

今回の台湾イノセンスプロジェクト総会に参加して、最も強く思ったことは、冤罪撲滅を願って活動する人たちの有り難さだ。
台湾ではイノセンスプロジェクトを立ち上げた人が政府の要人になったこともあり、 法改正の期待が持てるが、この人権重視の裏には人権無視の中国大陸政治との対比精神があるのかも知れない。
法曹全体で冤罪撲滅を目指す姿勢が、最も印象に残ったし、羨ましいとも思った。
嘘やデタラメ、法律無視が横行する日本だが、台湾に負けない司法改革と冤罪撲滅の方策を実現したい思いを、ますます強くした。

台湾訪問記5

2018-08-28 | Weblog



26日は、午前中に台湾の冤罪被害者と一緒に壇上に上がり、羅大臣の司会で、それぞれの体験と思いを語った。
午後は、台湾イノセンスプロジェクトの羅弁護士、現職裁判官などから登壇で、冤罪被害者の補償制度などの問題を話した。
まだ、日本には及ばない台湾の補償制度だが、冤罪撲滅の制度も含めて、そう遠くない日に追い抜かれると思わされた。
その夜の晩餐会も、また盛り上がった。冤罪被害者の思いに国境は関係無いし、支援者の思いも同じ。
善意の心の集まりは楽しい!

台湾訪問記4

2018-08-28 | Weblog



25日の5時から俺が唄う時間と言われていたが、前の各国イノセンスプロジェクトの報告などが長引き、俺の出番は5時20分ころ。
短く2曲で終わるつもりが、凄く好評で、結局、事前に歌詞を送っておいた4曲、全部を唄うことになった。
伴奏は、大崎事件の報告をした鴨志田先生。先生は、自作の「アヤ子の歌」を披露したが、涙を浮かべて聴く人もいた。
台湾の皆さんは、俺の歌よりも歌詞に惹かれていたそうだが、林弁護士は「涙が出た、心が伝わった!」と言ってくれ、歌の力は国境を越えると感じた。
その夜の晩餐会は、凄く盛り上がった。
台湾式乾杯を重ねて、何時にホテルに帰って寝たのか、全く記憶が無かった。 

台湾報告3

2018-08-26 | Weblog


午後3時からは、また会議場に戻って各国イノセンスプロジェクトの活動報告を聞いた。
韓国、マレーシア、日本、台湾。
今回の総会はアジアのイノセンスプロジェクトの集まりだ。
その中心命題は「自由の中へ」。
俺が27年前に書いた詩だ。
この写真にある会議冊子には、俺の発言原稿もあるが、まさか27年前の詩が役に立つとは思わなかった。
マレーシアでは弁護士などの参加がないようで、参加者は学生。
会議場の参加者も圧倒的に若者たちが多くて、そこには日本から来た甲南大学の5名の学生もいる。
国立台湾大学は、日本では東大にあたるのだろうが、こうして社会に出て行く若者たちがいる限り、未来は明るいだろう。
大きな希望を貰った感じだ。

台湾報告2

2018-08-26 | Weblog

午後からは冤罪被害者と家族をサポートする活動が行われるというので、そちらを見学に行った。
冤罪のストレスを会場するために身体を動かしたりするものだった。
途中から俺も誘われて参加した。
家族のサポートもする台湾。進んでるなぁ。

台湾イノセンスプロジェクト総会

2018-08-26 | Weblog

昨日は、午前中に布川事件の話から、日本の冤罪の実態、今の思いなどを話した。
通訳時間も含めて2時間。
日本で話すときと、それほど変わらない内容だったが、直接に思いを言葉に出来ないのは、やはり物足りない気持ちだった。
この総会、最初の挨拶者が検事総長だから驚く。しかも、その話は、日本のような美辞麗句ではなくて、いかに冤罪を防ぐかという具体的な中身を伴うものだった。
また、台湾イノセンスプロジェクトの創始者は大臣になっていて終日参加し 、その立場から挨拶や話をするのだか台湾は懐が深い。
俺の話の後は、台湾の死刑冤罪者の鄭さんが、会場になっている国立台湾大学法学部教授と登壇して体験を話した。
台湾のシステムは判らないが、鄭さんは19年で再審で無罪になったとか。今は農業。米を作り、それを売っているそうだ。
冤罪は、日本も台湾も変わらないが、その実態に向き合う姿勢は、全く違うということを短い時間で教えられた思いだった。
鄭さんの話の後、鄭さんの米などをプレゼントされ、台湾の冤罪仲間と舞台上で記念撮影した。

街の不思議

2018-08-25 | Weblog


台湾ではバスと地下鉄に乗った。
バスは一律15台湾ドル。
地下鉄は距離で料金が違う。 
バスの運転は、かなり日本が上だった。サービス業としての意識が違い過ぎる。
地下鉄の椅子も硬い。
ただ、目の玉悪い人や身体の悪いとに対する意識は台湾が上。ホームの安全柵は完璧だし優先席に座る若手たちは独りとしていなかった。
地下鉄のチケットが面白かった。
カジノで使う岡山代わりとチップと同じ。それを乗るときは日本のスイカカードなどのように触れるとバーが開き、降りるときはコイン入れのような穴に入れと、またバーが開くようになっている。
日本の切符は1回限りだが、台湾は、何回も使い回しだ。経済的かな。
街で印象的だったのは、アパートや家の窓は、その大部分が鉄格子などで覆われていることだった。
日本統治時代のホテルは、今も目立っては建っていた。

淡水

2018-08-25 | Weblog



淡水は台北の北にある。
日本が台湾を統治したとき、この淡水が港町として重要な役割を果たしたらしい。
その当時の名残もあるらし、オランダ城と呼ばれる城跡があり、そこには歴史を感じた。
レンガの建物は2個あって、1個は犯罪者対応、1個はオランダやスペイン、イギリスなどが使った駐在員たちの建物だった。
俺は、どこでも鉄格子のある建物に惹かれるなぁ。
淡水を流れる川は、台湾でも日本と違う。広い。
すぐに海がある街らしく海産物や
各種の品物を売る商店が建ち並び、実に活気に満ちていた。

故宮博物院

2018-08-25 | Weblog


昨日は、参加した国のイノセンスプロジェクト同士の会議があったけども、俺は参加しないで良いことになり、台北に入って以来、付き添って通訳をしてくれている若者、2人に案内されて故宮博物院から淡水を見学した。
凄いなぁ、故宮博物院は。
展示された書物には中国5千年の歴史の深さ、重さを感じるし、陶器や絵画の展示された作品には品を感じた。特に陶器が素晴らしかった。
3時間ほど、鑑賞したが、まだまだ足りなくて、出来れば1日、見ていたい場所だった。

冤罪仲間

2018-08-24 | Weblog
台湾に着いた昨夜は、台湾で冤罪被害を受けた人、3人を含む、イノセンスプロジェクトの皆さんと食事をした。
不思議だよなぁ、話している言葉は判らないのに判るような感覚なんだ。
こちらの乾杯は、必ず飲み干すらしい。何回も、色々な人と乾杯し、かなり飲んだが、そんなに酔わなかった。
何人かと名刺を交換したが、政府関係者もいた。
台湾は懐が広いなぁ。