桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

裁判

2017-08-31 | Weblog
昨日は裁判だった。
証拠開示に対する地裁決定が高裁でも決着したことから、地裁での裁判官交代で更新手続きとして陳述が行われた。
被告の県と国は陳述を行わなかったので、原告側だけの陳述だった。
俺は5分ほどの短い陳述だったけども、洪水で倉庫から証拠品が流失したなどとする警察の主張を鵜呑みにする裁判官を目の前にすると、こういう裁判官が冤罪作りを助長するのだ!との怒りや悔しさが湧いて来てしまえば、2度ほど、絶句する思いになった。
窓ガラスが破損して証拠品が流失したとした弁解が、窓ガラス破損は見ていないとする警察官の答弁書で嘘と判っても、咎めもなく証拠開示しないで進む裁判。
日本の裁判システムは狂っている。
法治国家の法廷で嘘がまかり通つて良いものか!
怒りは収まらない。
コメント

馬鹿騒ぎ

2017-08-30 | Weblog
昨日朝、ユウトから電話。
先日、違う用件で電話したのに応えたものだったが、朝からミサイルのアラームで起こされたよ、と言う。
携帯は階下に置いて寝るからアラームに気付かなかった。
テレビを点けたらば、北朝鮮のミサイルが北海道の先、遥かに発射されたと各局が騒いでいた。
今朝も、我が茨城県では龍ヶ崎市がミサイル避難訓練をしたとの映像が放送されていた。
それが講堂の机の下とかだからマンガだよな。
北朝鮮のミサイルは地震か?
確か、いざとなれば核兵器を搭載するよね?
こう前の戦争のとき、日本はアメリカの空襲にバケツリレーの消火活動をしたし、日本にアメリカ軍が来たらと竹槍の訓練もしたが、今にして思えば笑い話。馬鹿げたことをしていたと判るが、北朝鮮のミサイル騒ぎを見ると、まだ同じ精神を引き継いでいるのが判る。
北朝鮮の核兵器やミサイルの開発が良いとは言わない。だが、人類の生存を危うくする核兵器は、本来ならば、どの国も所持してはならないのだ。アメリカやロシア、中国やフランス、イギリスなどだけが、なぜ所持を許されるのだ。
一度核兵器を使った戦争になれば、どの国にも多量の原発がある世界は、単に核兵器の被害では終わらない。核兵器は原発を破壊し、修復不能な放射能拡散となり、人類滅亡は現実の問題なのだ。
いたずらに危機を煽るだけで、何の役にも立たない避難訓練などを行うことは、却って問題だと俺は思う。
金正恩が、なぜ核兵器とミサイルの開発を止めないのか、冷静に考えれば、北朝鮮の生存権を主張がいることが判るだろう。
確かに、金独裁王国には国民弾圧などの問題があるし、自由と人権を保証する民主主義社会から見れば、あれこれの注文もあって当然だが、どのような国家体制を選ぶかは北朝鮮国民の問題だ。
北朝鮮国民に自由な世界を見せればいい、人権が保証される国家の素晴らしさを見せればいい。経済制裁ではなくて、もっと交流すれば良いのだ。さすれば金独裁王国など、10年ほどで内部崩壊するだろう。
しかし、本当に日本国民も危ういなあ。ミサイルに電車を止めたって、どうしたいのよ。
コメント (2)

仙台高裁

2017-08-29 | Weblog
50年前の昨日、布川事件と呼ばれることになる事件が起きた。
まだ20歳だった俺は、一体何だったのか、夢も希望も持たず、ただ混濁の中で時を重ねていた。そして、自らの生き方が冤罪を招く原因となり、29年の獄中生活を過ごすことになった。
あれからの俺に重なる歳月を過ごす映画仲間は、あちらこちらも存在するが、昨日、たまたま北陵クリニック事件の裁判所要請があったことから、俺もいばらから参加した。
今、仙台高裁で再審請求の審理をする法廷には、布川事件の再審請求に係わった裁判官が2名いる。
北陵クリニック事件は、犯罪そのものが存在しない冤罪だ。最新鋭医療を売り物にして東北大医学部や仙台市が作った北陵クリニック病院は、その最新鋭医療技術が失敗に終わり、終末期患者を受け入れる病院になり、経営も火の車になった。
終末期患者が多くなれば死者も増えて当然だが、その死者を筋弛緩剤投与殺人にしたのは医療に無知で、何でも疑う警察だ。
守大助さん犯人とする証拠は、全く無い。いや、検察が隠している筋弛緩剤アンプルなどの証拠品を1つでも提出のならば、たちまちでっち上げ事件であることが判るだろう。筋弛緩剤など、使われていないのだから、使ったとされる筋弛緩剤アンプルは無いからだ。
余りにも捏造が大きくなると、裁判官は見抜けない。狭山事件と同じだ。布川事件で正しい判断をした裁判官に誤って欲しくないと、昨日の記念日に要請をして来たが、年度内に決定を下すと語ったらしい裁判官。
まだまだ俺たちは声を上げるしかない。闘うしかない。
コメント

知らぬが仏

2017-08-27 | Weblog
何も考えず、何も見ず、言われるがままを信じて生きていられる人は、幸せだろうか、不幸だろうか。
俺が創価学会の人や自民党支持で動く人たちを見るとき、何時も想うのは、哀れだなあ、だ。
もちろん、俺は信仰は否定しない。資本主義の利益に預かって生きる人たちも否定はしない。だけど、人間は1人では生きられない。人は繋がり合い、手を取り合い、集団で生きる存在だから、自分たちの世界や、利益だけを良しとして生きてはならないはずなのだ。
自分たちの世界観だけが良しとする創価学会。自分たちの利益を守る政治しか行わない自民党。それを疑わずに信じられる人たち。
何とか目覚めて欲しいものだが、今日は映画、スノーデンを見て、今、日本や世界で起きていることに無関心、無感動でいられるのは、幸せなのかも知れないとも思った。
いや、自民党や創価学会の支持者たちは、北朝鮮のミサイルを案じて眠れない心境かな。まさか、自分たちの支持する政治が北朝鮮にミサイル発射をさせているなどとは思いもしないのだろうなぁ。
知らぬが仏、だよ。
コメント (1)

東海原発包囲行動

2017-08-26 | Weblog
今日は、老朽化した東海原発の再稼働に反対する集会と原発包囲行動に行って来た。
阿漕が浦公園での集会は、そんなに人は多いとは思わなかったが、包囲行動に移動してみると、何人かなあ、4桁くらいはいたかなあ。
俺は、小学生のとき、日本で最初に点った原子の火を見学に行った。水の中で揺らめく蒼い火を上から見下ろしたのを、今でも覚えている。
それは1号機だ!と教えて貰ったが、あれから60年。少なくても原発は人類の存在を脅かす怪物になってしまった。
東海村は、原子力関係者が多くて、なかなか原発反対は言えない人が多いようだが、原発を無くすことは、即失業にはならないし、多く存在する原子力研究機関は、そのまま残るのに、それを理解しない人が多いようだ。
早く日本全国の原発を無くしたいなぁ。
コメント (1)

梶山静六家だって

2017-08-25 | Weblog
今、茨城県は知事選挙の最中だ。連日、報道されているが、落ち目の安倍政権、自民党は、公明党と一緒に推薦した候補の応援に必死だ。大物と言われる人、人気者などが、茨城県入りしているそうだ。
その中で菅官房長官は、茨城県入りしたが、選挙応援はしないで、自分の政治の師と仰ぐ、故梶山静六さんの墓参りだけをしたことが報道された。
今朝、その映像を見たらば、派手な墓には「梶山静六家の墓」とかの文字。驚いたなぁ。
今、息子が地盤を引き継いでは政治をやってるけど、梶山家は、静六さんが創生した家なのだろうか?
普通の感覚は「梶山家の墓」とかだよなぁ。
この自己顕示欲こそ、自民党政治屋の面目躍如たるところだろう。
もちろん、菅官房長官は、ただ墓参りに来ただけのはずはない。密かに支持者を周り、支持企業家などを回り、自公候補の押し上げをしたろうし、安倍晋三の応援があり得るかを探って帰ったはずだよ。
コメント

岡山も千葉もだよ

2017-08-25 | Weblog
俺が、加計学園問題を書いたときに、加計学園は財政基盤も安定してるし、獣医学部新設に相応しいとかの書き込みをした人がいた。
無知だなぁ、と思っただけ。反論する気にもならなかったが、加計学園問題の違う本質と問題が、やっと表面化したな。
補助金詐欺。
今治市に作っている獣医学部新設工事費は192億円と言うが、建築士などの専門家が設計図を見ると、70億円程度。どんなに多めに見ても百億円にはならないと報道された。
加計学園は、建設費の半額を補助金として愛媛県と今治市から96億円を貰う予定らしいが、半額じゃない。丸々補助金で建設、新設する訳だ。巧いねぇ、商売が。
加計学園は、岡山でも千葉でも補助金を得て大学を建設したけど、その補助金には詐欺は無かったの?
1度あることは2度。旨味を知った犯罪者は、何度でもやるさ。
加計学園の本質は、こんなモノだな。
コメント

見送った

2017-08-24 | Weblog
この1週間、ブログの更新を怠った。書きたいことが無かった訳ではないし、柴田先生の喪に服する気持ちでもない。何となく書く思いにならなかった。
昨夜の通夜。今日の告別式。参列して先生を見送った。
2女1男。そして7人の孫。柴田先生が愛してやまなかったろう家族から語られた父親、祖父の思い出は、どれもが先生らしいエピソードだった。
柴田五郎弁護士と出会って47年だ。ある意味、ご家族よりも長く、深く、同じ想いを抱えた歳月を過ごし、同じ意思を持って闘った時間を過ごした先生と俺は、杉山とは違った同士だったことを、ご家族の語る話で再確認した。布川事件は、柴田先生の人生でもあったのだ。
穏やかで立派な柴田先生のデスマスクは、柴田五郎の生きた月日を表してもいた。
先生は、中学校を卒業後、酒田東高校の定時制に進学して、昼間は、兄の鉄工所で働きながら学んだとか。中央大学も二部法学部に進学して、タクシー運転手など、あらゆるバイトをして学んだそうだ。でも、バイクにはまり、当時は雷族と呼ばれた、暴走族のハシリのようなこともしたそうだから、柴田先生の人生は深い。4年の卒業時に授業料と滞納を整理するために、泣く泣くバイクを手放したらしい。
普通の会社員として就職も決まっていたし、司法試験を考えていなかったらしいが、このままいいのか?と自問自答し、司法試験を目指した。が、金はない、どうしたものか?のとき、高校時代と友人が、その金を出してくれたと言う。友人のアパートかに同居して1年、好きな酒を絶って猛勉強。司法試験を突破。その間、友人は毎月の給料のかなりを柴田先生に渡したというのだから凄いエピソードだ。
信頼した友人、信頼させ、信頼に応えた柴田先生。先生らしい話だ。
弁護士になって3年目、布川事件に出会うことになる。
それから47年だ。
先生が静子さんと結婚されたのは1965年10月10日。俺が逮捕される2年前。それを知っても、なぜか涙が溢れた。
もし柴田先生以外の弁護士だったらば、果たして救援会につながったろうか?あの素晴らしい弁護団を構成出来たろうか?
間違いなく柴田五郎先生は、俺の恩人だ。何も感謝を贈れない俺は、四国巡礼で頂いた88カ所の寺と札と、あの四国巡礼中に使った袈裟を棺に入れさせて貰った。
国賠裁判が終わったならば、先生が回り残した空白の納経帳も一緒に持って、もう1度、四国巡礼をする。先生、先生の納経帳に88カ所の寺の御朱印を貰って埋めるからね。それを墓前に捧げるからね。
本当に、本当に有り難うございました。
コメント (2)

哀しい知らせ

2017-08-19 | Weblog
布川事件を生涯の弁護事件とされた、柴田五郎元弁護団長が他界されたとの知らせが届いた。
奥さんと亡くし、独り暮らしとなった先生は、俺には奥さんの後を追うような時間として生きているように感じで、やがて体調を崩して施設に入られた。施設から蕎麦を食べに連れて行って貰ったそうだが、蕎麦を喉に詰まらせ心肺停止状態となり、緊急搬送され、そのまま亡くなられたと知らされた。
柴田先生と会ったのは、もう47年前。有罪判決を受けた後、杉山の弁護士だ!として土浦の拘置所に来たときだった。
検察官志願だったという先生は、実に感じが悪かった。「何をやったんだ」「なぜ自白したんだ」と聞く言葉と目は鋭くて、俺の言葉に対して、時折、腹立たしそうに舌打ちをしながら汚いモノを視るような目もした、あの日の出会いだった。
俺も盗みなどをしたし、良いをしたとは思っていなかったが、あの視線は応えた。杉山を視る目とは、全く違うのだから参った。
俺たちの無期懲役が確定したとき、先生は「俺も無期懲役を背負った」と言われた。そして、再審の勝利まで、布川事件の弁護をして下さった。杉山とは違う意味での同士だったのが柴田先生だった。
柴田先生と共にあった41年の闘いを考え、こんなに突然別れを考えると、考えるたびに深いところから哀しみと寂しさが湧いて来る。
この人に信頼される人間になろうと思わせてくれた柴田先生だったが、その願いは実現した自負はあって、「先生、なぜ、こんなに早く往ってしまったんだよ!」と腹立たしい思いになると、笑顔になる先生が思い浮かぶし、「桜井も頑張ったなぁ!」と言って下さる言葉も聞こえる。
柴田五郎先生、有り難うございました!まだ俺の闘いを見ていて欲しかったよ!
コメント

勝ってる!

2017-08-16 | Weblog
飼い始めめた猫、クーは、我が家に来て20日くらいになるが、まだ生後3月に足りない。だから、意思の疎通は、とても出来ないが、少しずつ何が言いたいのか、判るようになって来た。
昨夜も、午前1時過ぎに、ゴロゴロと喉を鳴らして俺の頭周辺に掏り寄って来たのに起こされたが、きっと母親を求めたんだよな。
新聞を読み始めると、狂ったように新聞や俺の手にとびかかって来る、は、遊んでょ!なんだよな。
俺が話し掛けても、まだ判らないらしいクー。
俺の方が、まだ勝ってるね!
コメント (1)