5月に始まった全国キャラバンも、今日で一段落。
奈良を出るときは強い雨。ホテルを出てバスを待ち、駅前で下りて駅舎に入るまでに背広はビショ濡れでした。河川は大小なく茶色の濁流が流れ、雨の影響で遅延する電車に乗ってくる乗客は、誰もが濡れそぼり、サッパリと来るのは軽装の若者ばかり。大変な最終日と思いましたが、大雨予報の太平洋岸の和歌山が近づくと空は明るくなり、雨も小降りに。駅に出迎えてくれた救援会のNさんと事務所に向かい、会長の湯川さん、Oさんとご一緒しての団体回りには、「今日も雨が止む」というラッキー。本当に天気に恵まれ続けたキャラバンでした。
和歌山は、午前に案内のOさんと午後に案内のHさんは、ともに地元事件の専従をされたということで「気持ちが良く判る」と、事前の準備から当日の体制やカンパ要請など、細かな心遣いを頂き、各団体からたくさんのカンパのご協力を頂きました。
夕方の和歌山駅前宣伝も降られること無く無事に行いましたが、社会を明るくする運動をされている保護司会の方たちの宣伝とかち合い、そのお一人が私の話を聞いて署名をしてくれました。
夜はビデオを見ての集会。25名の参加で、読売記者が取材に来ていました。「恒例の私の歌」を聞いた記者から取材の中で「なぜ訴えながら唄うよう
になったのか」などのインタビューも受けました。なぜなんでしょうね?思えば読売新聞は、我々が最高裁で有罪が確定されたとき、その決定を批判して「疑惑に満ちみちている」と社説を掲載してくれたのでした。当時から常識の目で見れば無罪は明らかだったのが布川事件!キャラバンの一段落の地和歌山で、そのことを考え、改めて、もっともっと多くの人に冤罪を語り、真実の通る裁判にしたいと思いました。
和歌山の皆さん、全国の皆さん、有難うございました。
追記:和歌山市役所の組合を訪ねましたら、その廊下の掲示板に「布川事件ポスタ ー」が貼られていました。訪ねた先にちゃんと貼ってくださっている、凄く 嬉しかったです。
奈良を出るときは強い雨。ホテルを出てバスを待ち、駅前で下りて駅舎に入るまでに背広はビショ濡れでした。河川は大小なく茶色の濁流が流れ、雨の影響で遅延する電車に乗ってくる乗客は、誰もが濡れそぼり、サッパリと来るのは軽装の若者ばかり。大変な最終日と思いましたが、大雨予報の太平洋岸の和歌山が近づくと空は明るくなり、雨も小降りに。駅に出迎えてくれた救援会のNさんと事務所に向かい、会長の湯川さん、Oさんとご一緒しての団体回りには、「今日も雨が止む」というラッキー。本当に天気に恵まれ続けたキャラバンでした。
和歌山は、午前に案内のOさんと午後に案内のHさんは、ともに地元事件の専従をされたということで「気持ちが良く判る」と、事前の準備から当日の体制やカンパ要請など、細かな心遣いを頂き、各団体からたくさんのカンパのご協力を頂きました。
夕方の和歌山駅前宣伝も降られること無く無事に行いましたが、社会を明るくする運動をされている保護司会の方たちの宣伝とかち合い、そのお一人が私の話を聞いて署名をしてくれました。
夜はビデオを見ての集会。25名の参加で、読売記者が取材に来ていました。「恒例の私の歌」を聞いた記者から取材の中で「なぜ訴えながら唄うよう
になったのか」などのインタビューも受けました。なぜなんでしょうね?思えば読売新聞は、我々が最高裁で有罪が確定されたとき、その決定を批判して「疑惑に満ちみちている」と社説を掲載してくれたのでした。当時から常識の目で見れば無罪は明らかだったのが布川事件!キャラバンの一段落の地和歌山で、そのことを考え、改めて、もっともっと多くの人に冤罪を語り、真実の通る裁判にしたいと思いました。
和歌山の皆さん、全国の皆さん、有難うございました。
追記:和歌山市役所の組合を訪ねましたら、その廊下の掲示板に「布川事件ポスタ ー」が貼られていました。訪ねた先にちゃんと貼ってくださっている、凄く 嬉しかったです。