桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

一段落の和歌山から

2006-07-21 | Weblog
 5月に始まった全国キャラバンも、今日で一段落。

 奈良を出るときは強い雨。ホテルを出てバスを待ち、駅前で下りて駅舎に入るまでに背広はビショ濡れでした。河川は大小なく茶色の濁流が流れ、雨の影響で遅延する電車に乗ってくる乗客は、誰もが濡れそぼり、サッパリと来るのは軽装の若者ばかり。大変な最終日と思いましたが、大雨予報の太平洋岸の和歌山が近づくと空は明るくなり、雨も小降りに。駅に出迎えてくれた救援会のNさんと事務所に向かい、会長の湯川さん、Oさんとご一緒しての団体回りには、「今日も雨が止む」というラッキー。本当に天気に恵まれ続けたキャラバンでした。

 和歌山は、午前に案内のOさんと午後に案内のHさんは、ともに地元事件の専従をされたということで「気持ちが良く判る」と、事前の準備から当日の体制やカンパ要請など、細かな心遣いを頂き、各団体からたくさんのカンパのご協力を頂きました。

 夕方の和歌山駅前宣伝も降られること無く無事に行いましたが、社会を明るくする運動をされている保護司会の方たちの宣伝とかち合い、そのお一人が私の話を聞いて署名をしてくれました。

 夜はビデオを見ての集会。25名の参加で、読売記者が取材に来ていました。「恒例の私の歌」を聞いた記者から取材の中で「なぜ訴えながら唄うよう
になったのか」などのインタビューも受けました。なぜなんでしょうね?思えば読売新聞は、我々が最高裁で有罪が確定されたとき、その決定を批判して「疑惑に満ちみちている」と社説を掲載してくれたのでした。当時から常識の目で見れば無罪は明らかだったのが布川事件!キャラバンの一段落の地和歌山で、そのことを考え、改めて、もっともっと多くの人に冤罪を語り、真実の通る裁判にしたいと思いました。

 和歌山の皆さん、全国の皆さん、有難うございました。

追記:和歌山市役所の組合を訪ねましたら、その廊下の掲示板に「布川事件ポスタ   ー」が貼られていました。訪ねた先にちゃんと貼ってくださっている、凄く   嬉しかったです。

奈良

2006-07-18 | Weblog
朝から雨模様。
ホテルに迎えに来てくださった救援会奈良県本部のNさんの車で、市内と大和郡山市の13団体を回りました。
資料などが足らなくなり、もっと送ってもらえば良かったと残念でした。
奈良では事件の当事者を迎えるのは少ないことらしく、皆さんが良く話を聞いてくれました。話が長くなり、訪問団体を回り切れないほどでした。
夕方の駅前宣伝は雨模様で中止して回っても残してしまいました。

夜は、久しぶりにビデオを見て頂いての話でした。
歌も唄いましたが、学校の先生が来て下さっていて、生徒に見せたいとビデオを持っていかれ、また新しい出会いになりそうです。
奈良!心に深く刻まれました。

飛鳥へ

2006-07-17 | Weblog
 梅雨空が戻り、朝から雨。
外に出るのが億劫でしたが、石舞台と最古の仏像がある飛鳥寺へ行くことにしました。
橿原神宮駅に着けば雨は止み、また降りだして、昼食を食べ終えれば止みという具合の定番。さして雨に困ることなく見学できました。

 蘇我馬子墓説が有力で、その後の歴史から権力に破壊されたものらしい石舞台。

 そこに権力が存在して造られ、幾多の辛酸を身に刻んで今も立ち続ける飛鳥大仏。

 飛鳥は色々なことを考えさせてくれます。
風景は穏やかで優しくて、何時間でもいたい気持ちでした。
そういえば獄中で愛読した「橋のない川」の舞台は奈良だったと思い出したらば、今度は時間をかけてじっくり見たい、そうしなければ飛鳥の歴史に触れられないと判りました。

 妻は京都から水戸へ。私は奈良に戻って活動へ。
奈良での休日は束の間の夫婦の時間でした。

40年目の夏

2006-07-16 | Weblog
 あの夜、俺は19才。盗みをして、人を裏切って、関西へ逃げてきた。
京都は祇園祭の季節だった。

 大阪にいた同級生のKと一緒に、京都の女性に案内され、宵山の雑踏を歩いた。それから何かとあり、京都の中心地にある酒屋に飛び込みで働きに行き、温情あるご主人に雇って貰って丁稚として働き始めた。でも、またギャンブルで失敗して東京に舞い戻り、そこで「布川事件」に遭遇し、塀の中で29年を過ごすことになった。
 
 あの日から40年、今日の俺は奈良で目覚めた。
えん罪を晴らすキャラバンの中休みで三連休になり、一緒に過ごしたいと言う妻が隣にいた。

 東大寺、春日大社、興福寺、法隆寺、中宮寺と回り、予定では柳生街道を歩くつもりだった。でも、時間が足りず、予定を変更して京都へ。

 京都は祇園祭の宵山だった。灰色の雲に風景は消え、激しい雷雨が叩きつけるように降り、地上には流れる水が溢れ、奈良から京都へ向かう電車は視界が消えるようだった。でも、京都に着くときには雨も上がり、京都特有の蒸し暑さを流してくれ、立ち並ぶ「鉾」と「山」を見て回るには絶好の陽気になった。

 あの19才の夏から40年目。
歩くのに交通規制がされるような凄まじい人の波に揉まれながら、俺は40年前を思い出していた・・・。


(写真は人が溢れて身動きが取れない長刀鉾前です)

神戸

2006-07-15 | Weblog
 救援会のKさんの用意してくれた車で市内を回りました。
前回、この神戸を回ったのは、まだ震災の爪痕が沢山残っていた6年ほど前。
今回は、さほどは感じられなくなり、綺麗な町並みになっていました。ただ所々に残る空き地は、そこに戻れない人がいるらしく、あの震災の被害の大きさを示していました。

 夕方は元町駅前宣伝。5時から11名で1時間。370枚ほどのビラを配り、布川事件を訴えました。
何時ものことですが、街で人目に晒され、冤罪を訴えるというのは、余り気分の良いものではないですね。
我がことなので、必要なことですが、溢れる人を前にした元町では、改めて恥ずかしい思いになりました。

 神戸でも沢山のご好意を頂き、かなり感じた疲れを癒す力をも頂いた思いです。

大阪は暑すぎる!

2006-07-15 | Weblog
 13日、大阪府本部のIさんの運転する車で市内の12団体を回りました。

 夏祭りの季節に入り、地区を移動するたびに違った神社の祭り旗が棚引き、大阪は活気がありました。それに相応しく、用意した3000枚の署名用紙が無くなり、更に数百枚も要求していただきました。カンパも6万を超えましたし、葉書も340枚を普及しました。

 総てを終わらせて神戸に入ったのが午後8時半。
同行者のUさんに待望の神戸牛をご馳走になってホテルに帰ったら11時。少し疲れました!

 写真は活気に満ちた天満橋筋商店街。