桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

裏の裏

2022-02-27 | Weblog
プーチンのウクライナ侵攻と戦争は、ほぼ全世界が反対している。
誰が、どんな理由であれ、戦争が許されないのは当然だが、今朝のテレビでプーチンの主張を聞いたら、なるほどと思うことがあった。
ソ連が解体して影響を離れた東欧諸国は、軒並みナトウに加盟した。
プーチンは、それを指摘して、ナトウには行かないと言ったのに騙された、更にウクライナのナトウ加盟を許さないための行動だと言う。
時の総理大臣が幾ら噓や出鱈目をやっても責任を追及しない愚民国家である日本。こんな国の指導者だったならば、自分の将来に付いて案じたり、心配したりしなくて済むだろうが、しかしロシアは違う。革命を起こして皇帝を追放した国民だ。
プーチンは、その国民性と自分の立場を弁えているからこそ、強権だし、この戦争行為なのだと思った。そうしないと自分の地位が危うくなると思っての行動なのだろう。何をしても皇帝プーチンの末路は決まってるのに哀れだよね。
しかし、そのプーチンの思考が判れば、ただ制裁しか語らないアメリカなどの外交もお粗末だったよね。そこに歯止めを保証すれば侵攻は止められるのだもの。
もしかすると、戦争に踏み切らせるためにアメリカなどは、そのプーチンの思考を知りながら外交をしなかったのだろうか。戦争すれば儲かる兵器会社に繋がっているのが、世界各国の指導者たちだ。
だから、ひたすらに制裁だけを主張して戦争に踏み切らせたのかも知れないよな。
クワバラクワバラ。
今朝は、そんなことを考えたよ。

あえて言うけど

2022-02-26 | Weblog
ロシアのやり口は、ホントに汚いね。
まあ他国を侵略する国家、指導者の言動は、何時も同じだ。過去に中国を侵略した日本も、同じようなことを言って満洲国をでっち上げたからね。
戦争は、どんなことがあっても許せることではない。
今回のロシアが許されないのは当たり前だが、ロシアを非難、批判している連中って、アメリカがイラクのフセイン打倒と侵略したときに、何を言っていたろうか。
今もバレスチナを侵略し続けているイスラエルの行為を非難しているだろうか。 
利益のためならば、何でもやるのが資本主義社会。何よりもの金儲け材料は戦争だ。だから、それを望む輩はアメリカなどに多くて、今回のロシアの行為を 密かに喜んではいないのか。
1人の命こそ、この社会であり、世界だ。命を奪う戦争を許してはならないし、それを煽り、金儲けとしている連中も批判、非難して行くべきだろう。

春さん生誕祭

2022-02-23 | Weblog

今日は釜ヶ崎でリーダーだった中野春男さんの誕生日。亡くなっても誕生日に沢山の人が集まり、生誕祭が開かれるというのだから凄い。いかに春さんが仲間に慕われていたかが判る。
たまたま俺は癌治療で参加出来て唄わせて貰ったが、春さんと人生の話をしたかったと、改めて思ったなぁ。

西郷輝彦

2022-02-22 | Weblog
昨日、訃報があった西郷輝彦は、俺と同じ世代で同じ時代を生きたアイドルであり、歌手だった。
御三家、四天王と言われた人気者だった当時から、俺は、別に興味はなかったし、気にもしたことはなかったが、前立腺がんで闘病していたんだね。同じ癌仲間として、昨日からのニュースは、つい見てしまった。
オーストラリアで日本では未承認の治療をして癌は消えたのに腫瘍マーカー数値が高いと気にしているYou Tube動画を見て、俺とは、全然違うのに驚いた。
「癌は消えたのに400と数値が高いのが気になる。100、200と下がって欲しい」と深刻な顔で話していたが、俺の数値は13000だよ?
たった400だった西郷輝彦とは違うなんてモノではないが、俺は、そう気にはしていない。
まだやりたいことがあるから行きたいと語る西郷輝彦。生きることへの執着が、あの深刻な語るだったのだろうが、それなりに気にはしても、なるようにしかならないと気楽な俺との差が、もしかすると生きている俺、亡くなった西郷輝彦になったのだろうか。
もちろん、俺とて明日は判らない。闘病10年を頑張った西郷輝彦に負けないように俺も10年、頑張らないとダメだな。
そんな朝、ステージ4と、これも深刻な顔で語る西郷輝彦を見て、俺はステージ4の意味を知らなかくて、そう言った医師に「4の次は5ですか?」と聞いたのだが、連れ合いは「きっと先生は、からかわれたと思ったのではないですか」と言う。そうかもね。
ホントに俺は知らなくて4の次は5、幾つになればヤバいのかと思っていたんだよね。 無知だょなぁ。
色々と知り、生き延びる手段を模索していた西郷輝彦を知り、他人任せな無知の強さかも知れないとも思ったなぁ。

同じ思いを知る身

2022-02-20 | Weblog
我が家の2匹目の同居猫のヒメは避妊手術をした。
手術跡を舐めないように頸枷を嵌められて、歩くたびに物に当たり、可哀想うだが、今日は5日目。かなり歩いたり、走ったりも慣れて来たようで、昨夜は2階にも自分で上がって来て俺のベッドに入って来た。
今朝、俺のヒザにいたとき、突然、激しく暴れ始めた。頸枷を取ろうとしている。
その狂ったような動きを抱きしめて落ち着かせようとしたが、頸枷は半分が抜けて口に入ってしまうほどに、必死に暴れた。
連れ合いが来て撫でたら落ち着いたが、その動きを見て刑務所にいたときの俺の体験を思い出した。
外に出たい、自由になりたいと思ったとき、骨が折れようが、砕けようが、この鉄格子を壊してでも出たい、と思った。目を閉じて深呼吸し、俺の上に空がある、自由な空があると思って気持ちを鎮めたあのとき。
きっと今朝のヒメも、あのときのオレと同じなのだと思ったら胸が熱くなったなぁ。

春の雨 

2022-02-20 | Weblog
余命宣告
明日は二度目の
  春になり
先日、立春を前に寝ていて、こんな句を思った。
2年前に余命1年を宣告されたが、まだ死なないでいる。だからと言って、また春が来たことに特別の思いがあるわけではなくて、ただあれから2年になるんだなぁという思いだけだ。
癌は、ホントにしぶとい。良くなったように感じることもあるし、全く変わりないも感じることもある。メタトロンでは悪い数字が出なくて良くなっていると示されるが、発覚した当時と癌は変わらないで存在しているのも事実だ。
食事療法も、当初に較べれば、大分緩んで肉や魚も食べている。
なかなか貫き通すことは難しい。これでどうなるかは判らないが、とりあえず2回目の春を迎えて俺らしく時を重ねるだけ。
そんな今日だ。
 

福寿草

2022-02-19 | Weblog
昨日は連れ合いの実家で畑を耕すつもりだった。そろそろ春に作る野菜の床を準備したいと思った。でも、行ってみると、キウイの剪定は今だ、と言われていたのを思い出してキウイ剪定をした。
今まではみ出たモノしか切らなくて、剪定をしたことがないキウイの枝だから絡まったり、違う木に巻き付いたり、伸び放題。
それらを適当に切り、綺麗にしてキウイ棚の下をキレイにしたらば、隠れていた福寿草の花が出て来た。
春だねぇ。

名張事件決定

2022-02-17 | Weblog
布川事件の勝利を導く再審開始決定があった名張事件は、その後、検察の異議申立てが認められた結果、冤罪仲間の奥西勝さんは獄死することになった。 今日、その名張事件に対して3月3日に再審の可否決定が出されると知らされた。
布川事件で再審開始決定を維持する決定を出した門野博裁判官は、その異議審の裁判長だったことで名張事件を支援する人たちからは恨まれている。 
あれから10年以上の歳月が過ぎたが、検察の隠していた奥西勝さんの無実を示す証拠が開示されたことから、今度の決定は再審開始、間違い無いだろうと思う。
証拠を隠していた検察の責任と罪は、誰が考えても許されるはずはないが、あのときに再審開始決定を取り消した門野コートの裁判官たちの責任と罪も明らかにされるだろうと思っている。
ここから始まる冤罪を無くす闘いに、我々冤罪犠牲者は 更に力を入れなければならないだろう。
生きている冤罪犠牲者の責任も問われる日になるのだろうが、ここからだ。これからだ。

You Tubeテレビ

2022-02-16 | Weblog
今日は、家田荘子さんのYou Tubeテレビ撮影に行って来た。
渋谷に泊まったので、午後からの時間に余裕があり、日比谷公園などでノンビリした後に赤坂へ行った。
どんな場所かと思っていたが、若いスタッフが5、6人動いている、普通のマンションの1室だった。
この前のと同じだな。
事前に質問から俺の答えまで書かれた予定原稿が届いて驚いたが、何時もと変わりなく、家田さんの質問に俺が答えるという形で1時間半。
どんな番組になるのかねぇ。

死刑映画

2022-02-16 | Weblog
昨日は渋谷ユーロスペース想い行われている死刑映画の上映後のトークをした。
映画は、免田栄の生。
死刑囚として再審の道を切り開いた免田さんが拘置所から支援者に書いた手紙を、免田さん自身が読み、闘いの歳月を回想する内容だったが、無実の死刑囚として、再審すらも知らなかった免田さんが切り開いた道の偉大さ、困難さを、初めて知らされた。
正直、「私は死刑囚のままだ」と語る免田さんは、何か格好付けだなぁと感じて、余り好きになれない思いでいたが、死の恐怖と闘う中での諸々の思考や行動を知り、もう少し話しておきたかったと思った。
その免田さんの闘いは、今再審を闘う仲間と同じ困難を背負わされていた、検察の証拠隠しだ。
昨日は、近く再審決定のある大崎事件で検察の恥知らずな反論と、それに怒りの反論をした弁護団のニュースがあったけれども、なぜ昔も今も、こうした検察の噓や出鱈目、事実を歪める好き勝手が許され続けるのか、信じられない思いだ。
司法に道理を取り戻すために、この検察を正さなければならないと、改めて気持ちを固めた夜だった。
映画は、まだ続きますので、ぜひ皆さんも!
トークが終わったのが9時過ぎ。それからホテルに行って食事。
寝たのは、もう日付が変わるころになったけど、毎晩、9日に寝ている俺には、久しぶりの夜更しの夜にもなった。