桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

最後のレコーディング

2012-11-30 | Weblog

3回目になるが、これまでは、前日に唄いすぎたとか、風邪とかで、全くダメだった。
今回も、遠距離移動での疲労から風邪にやられてしまい、どうなるかと案じられたが、何とか「この程度ならば」と思える吹き込みは出来た。無事に終了だ。
上手い人はきら星のごとくにいる。でも、俺は俺。
闘いの中で、これらを武器として使えればいいよね。スタジオの写真も、これが最後かな?

大阪へ

2012-11-30 | Weblog
明日から大阪で再審連絡会の総会がある。
布川事件は終結したが、新しく国賠裁判として加入するため、俺も参加して挨拶をさせて貰うことにした。でも、今日の大阪行きは、この機会を利用して、最後のレコーディングをするための、前日入りだ。
これまで2度の吹き込みは、どちらも満足出来なかったが、今回は、何があっても最後だ。これをCDとして作成し、闘いの道具とするつもりだ。
さて、どうなるものやら。

2012-11-29 | Weblog
昨日から、本当に熟睡するようになって今朝も、朝までじっくり寝た。
連れ合いよりも早く起きて、カーテンを開けてビックリ。地面は霜で白くなっていた。
冬になったんだなぁ。

最後の行事

2012-11-28 | Weblog
昨夜は弁護団解散パーティーだった。
これで再審を求めた闘いに終止符が打たれた。
弁護団長の柴田先生と会って42年。布川事件とともに弁護士生活を重ねられた先生方と沢山いるが、その先生方のご苦労があればこその勝利だと思うと、ただただ感謝しかない。
守る会を支えた1部の人や日弁連の職員も交えてのパーティーは、楽しく明るく終わった。
次は、国賠!
この闘いに己を貫くことこそ、先生方から頂いた深いご恩の恩返しになるだろうから、ひたすらに闘うつもりだ。

ぐじゃぐじゃ

2012-11-28 | Weblog
ネパールから帰ると、ますます政治が大騒ぎになっていた。
くっ付いたと思ったら離れ、離れたと思ったらば、くっ付いて、何だか判らないが、政治権力の座を狙っての野合が続いている。
こんな連中が政権を握っても、国民の利益になる政治は出来ない。
分け合え、分かち合う、政治は、その部分で差配を振るうものだろうが、日本では差配の方向が間違い続けている。
税金は、日本と言う社会を維持するために使うものだろうが、その方向が国民第一の使い方にはなっていない。
政治屋家業の渡り鳥政治家が、今回も、烏合集団から生まれるだろうが、結果は見えている
俺にとって初投票行動だが、真面目に命と人権を考える共産党に投じるつもりだ。

野球2題

2012-11-28 | Weblog
日本ハムがドラフト指名した大谷選手と栗山監督が会った。そして、日本ハム入団への道などを話して、大谷選手の将来に何がプラスかを説いたらしい。
大谷、日本ハムに入れ!そこで大きくなってメジャーに挑戦しろ!
昨年の菅野党首指名に続いて、今年の大谷使命は、日本ハム球団の球団経営の爽やかさを感じて、強くなるのは当然だと感じたし。ますます良い球団になって日本球界の発展に尽くして欲しいと思った。
我が巨人軍は、優勝パレードをして万々歳のシーズン終了だが、納得できないことがある。
原監督の1億円問題だ。
原監督は不倫の代償として「1億円」を支払った問題が発覚したが、何もないままに終わりらしい。
原にとっては1億など、大した金ではないかもしれないが、大金だ。そのような大金が支払われるのは、何があったのか。見過ごせる問題ではないだろう。
「若大将」が地に落ちる問題だが、うやむやにしては、地に落ちるだけでは済まないのではなかろうか。
爽やか日本ハムが羨ましいねえ。

ちょっと心配した

2012-11-27 | Weblog
偏見ではないが、カトマンズの衛生状態は悪い。
風景が霞むほどに舞い上がる埃には、何が混じっているか判らないし、訳の判らない人が厨房に出入りする街の食堂は、無菌状態の箱入り息子が長かった俺には、どんな刺激があるか判らなかった。
だから、帰国して即、激しい腹痛、下痢、嘔吐には、何か悪いモノでも?と心配になったなぁ。
でも、大丈夫!
重なった遠距離の移動が疲労となり、そこに風邪を引いたモノだと判った。
美味かったとは言え、辛いカレーを食べながら青い生の唐辛子を食べたりしては、胃も悲鳴を上げる。
野獣派を自認しているが、そろそろ自重しろと言うことだろうと自覚した。

同窓会

2012-11-25 | Weblog
今日は2年振りの布川小学校の同窓会だった。
本当に体調が悪くて、ギリギリまで、 行くかどうかを悩んだ。決断して行ったが、電車内に漂う食べ物の香りでムカムカして吐きそうになるし、余程、止めようかと思った。
行って悪化したらば、即、帰ることにして行ったが、アルコールを入れたらば調子が良くなって、最後までら同窓生と楽しんで来た。ノンタが持って来た卒業写真コピーで、ワイワイやったが、最後まで、名前の判らない同窓生がいたのにはビックリ。
何でも、2年前の同窓会で、名前を忘れまくったノンタを「お前は薄情な奴だ!」と、俺が詰ったそうで、それでコピーして持って来たと言ってたが、参加者20名が思い出さない同窓生は、どこで何をしているのかと、失った時間の痛みを感じるような気持ちになった。

体調

2012-11-25 | Weblog
昨夜はネパール報告を兼ねて、ゴビンダさん支援の人と夕飯を食べながら話した。
少し腹が痛いなぁ、と感じていたが、寝た後、一気に悪化した。
腹痛、下痢、嘔吐。
朝までに腹にあるものは、総てがなくなった感じだ。まだ、少しの吐き気が残り、回復したとは言えないが、今日は同窓会。みんなの顔を見に行って、早目に帰るつもりだ。

最後のハプニング

2012-11-24 | Weblog
香港から成田行きに乗り、これで終わったと席に座っていたらば、若い中国人カップルが来て、チケットを見せながら、何か言った。勘違いの多い俺のこと、最後にやってしまったかとチケットを見れば、間違いない。
マイシートだと返答したが、まだなんたら言い、キャビンアテンダントがなんたらとかも言う。
ノオ?と聞くから、当然、ノオと返答したが、若い男女は話し合い、男が空いている窓際に座ろうとする。ミスをしたと焦ってしまい、良く聞き取れなかったが、これは若い男女が席の交換を求めるのだと気付き、your want change seat?と言ってみたらば、イェース!だって。
貴方の言ったことが聞き取れなかったて、移って上げたらば、キャビンアテンダントが来て、特別の要求があればやるので言って欲しい、なんて言っていたと思う。
俺が席を移ったらば、周りにいた中国人客の眼が笑っていた。小さな外交だったかも。しかし、言葉が良く判らない1人旅は気苦労が多いわ。