桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

マリちゃん

2008-12-31 | Weblog
昼、ラーメン屋に食べに行った。
何だか、俺の大晦日を撮影したいと取材にきていた人と一緒だったが、ある客が帰ろうとしたときに、立ち上がった人が、俺の同級生の布川に住む弟と判った。あれ?と、続いて立った人を見ると、同級生、マリちゃん!
すぐに、俺は立ち上がった行った。
マリちゃん?
と言ったらば、すぐに俺を判ってくれた。
そのマリちゃんが言った言葉は「まだ人生は、これからだから」だった。
きっと俺が不幸を背負って生きていると思ったのだろうが、本当は違います、とは言わなかった。判らないものな、普通は。
マリちゃんはマドンナだった。やはりトシを取っていて、俺の長い闘いの月日を感じたが、改めて、俺の満ち足りた人生を識った。真実を求めて来た俺は、これから闘った月日が歴史に刻まれ、日本の何かを変える。変えられる。
判らないよな。普通の社会人として生きた同級生たちには。
同級生に会って思ったね、同級生たちの人生はこれまでにあった、でも、俺の人生は、これから!
大晦日にふさわしい思いだったな。
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大晦日

2008-12-31 | Weblog
庭を掃いて、少しだけ家を掃除して、多分、今度が最後だろう我が家に感謝を込めて、細やかにしめ飾りを飾ってやろうとしたが、朝から冷たい風。寒くて無理だった。
仕方なく、午後から玄関回りだけを綺麗にして、庭掃除はしなかった。でも、夕方に風が弱くなったので、急いで掃いた。
これで正月が迎えられる。我が家、本当に頑張った。電気のアース線が、本来は真っすぐなのに家が沈下して歪んでしまっている。
来年は、なにがあるか判らないが、何もかも新しいことが始まることは間違いない。
また俺らしくやり抜くだけだ。
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2008-12-29 | Weblog
本当は脳なのだろうが、不可思議なモノ。
泣いたり、怒ったり、笑ったり、恨んだり、愛したり、憎んだり、あらゆる思考の根源にある。
悟りを開くことは、それらの感情の波を無くすことなのだろうか。感情の波をコントロールすることではあるのだろうが、何も感じなくなることだとは思えない。
今年も色々なことがあったな。常に感情に流されている俺などは、まあ悟りなどとも無縁だが、来年は、少しは感情の波をセーブしたい。俺だって辛いことはある。それが生きるのがイヤ、闘いを捨てたいと思うこともある。あるけど、俺は、そういう感情の波こそが、生きる人間の喜びだし、そこから何かが生まれると思ってる。
まあ、だから感情の波、これからもあるし、甘受するね。
今年あった全てのこと、ありがとう!今日、今日だから言いたいかな。
心は不思議。昨日の思いが今日じゃない。今日の思いが明日じゃない。
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仕事納め

2008-12-29 | Weblog
今年の仕事は、昨日で終わった。会社に出た日数は109日だった。半日だったことも多いから、実際の日数は、もっと少ないだろう。こんな我儘な働き方を許して貰えて、実に幸せだと思う。
前の会社にも、同じように働かせて貰えたし、本当に恵まれている。
もし、このように働けなかったらば、俺の闘いは無い。そのことを思えば、再審を実現させてくれた恩人と言ってもいいだろう。
恵まれていることを自覚し、来年も、常に全力で働く。それしかないが、来年は闘いも決着する。
今後の見通しは、まだまだ判らないが、俺の予想を越えたことが起こるだろうと思っている。
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相性

2008-12-29 | Weblog
俺の冤罪生活は42年目になる。実に長い月日だ。
その間、共犯とされた杉山とは、同じ月日を重ねて来たわけだが、彼と心が通ったと思うことは、殆ど無かった。思えば不思議な話だ。命を削るような体験を行有しながら、手を取り合って喜んだり、楽しんだことが無いというのは、とにかく相性が合わないとしかいいようが無い。
相性というのは怖い側面がある。合うというのを体験すると、余計に合わないことが判ったり、感じたりする。
布川事件の支援者には、沢山の人がいる。沢山の人と触れ合えば、勿論、合う合わないもあるが、杉山ほどに強烈に相性を考えさせられる存在はいない。
我が弁護団は、「この二人が一緒に犯行をすることは無い」というほどの二人は、やはり冤罪の共犯者に相応しいのかも知れない。
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今日

2008-12-29 | Weblog
当たり前だが、今日は一日限り。
人間だけでは無くて、この世にありしあらゆる存在は一度限りなのだ。
アナタの命の今日が、豊かで楽しくありますように。
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裁判員制度

2008-12-28 | Weblog
約30万人に発送された裁判員に選ばれた通知が、予想以上の反応を生んでいる。まさか、この時点で、これだけの反応や反発が示されるとは思わなかった。実名と顔を出して反対を言う人まで、出たが、これは序の口だろう。
裁判員制度には欠陥が多すぎる。大体、我々のようなケースは想定されてもいない。公判前整理手続きで、総てを決めて、後はエスカレーターのごとくに一件落着!としたいのだろうが、そうは行かない。俺は第一回公判で無実を訴えた。そんなとき、どうするの?
公判前整理手続きで主張しなかったからアウト!かな?
混濁の始まりという気がするが、それでいい。今の裁判村は変革しなければならない。司法試験に合格した有資格者の中では変革など、望めるはずはない。一般国民の素人が思う、なぜ?という素朴な疑問によってしか、裸の王様は暴けない。今の裁判が正しいという前提にある裁判員制度は、裸の王様を知らしめる力になるだろう。
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日本一

2008-12-28 | Weblog
日本一、悩んでいる人の話を聞いてあげたいな
日本一、悲しんでいる人の涙を拭いてあげたいな
日本一、疲れている人を背負ってあげたいな
日本一、苦しんでいる人の傍にいてあげたいな
日本一、苦労している人に、俺の総てをあげてもいいな
俺は日本一幸せな冤罪者だから
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テリー伊藤

2008-12-26 | Weblog
毎日のようにテレビに出てるよね。
今、太田総理とかの番組にも出てる。
三浦和義、田母神など、まあ関心人物を呼んで、喚問とかやってるけど、このテリー伊藤、悲惨だね。
弱いヤツには言う。三浦和義とか、ミートホープとか、言うね、平然と。でも、田母神とか、権力の傍の喚問者のときは、必ず弁明には回る。こんなヤツ、電波芸者の極み。
金、テレビ社会も金が総て。だから、金を呉れる存在におもねるのは当たり前だけど、こんなヤツ、抹殺したいね。
全うに社会を見られもせずに、まるで社会の総てが判かるごとき言動、おい、テリー伊藤!三浦和義は無実、冤罪者を冒涜するな!
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飯島愛

2008-12-25 | Weblog
俺の携帯は、イイジマと打つと、予想文字として飯島愛の名前が出てくる。
今日のスポーツ紙のトップは、どこも飯島愛の死だった。
何で死んだのかと、今朝のテレビでも嘆く人が多かったが、全く、なぜ死んだのか。自殺の可能性もと言われているが、いずれにしても若い身空、惜しい命だ。生きていれば、どんなことがあったとしても、それを乗り越えた次が待っているけれども、死んでしまってはお仕舞いだ。
俺も、飯島愛のAV映画を見たことがある。今も付き合いのあるムショ仲間が、見なよ!とくれたのだが、SEXをする直前の顔に、なんかイヤそうな彼女の本心みたいのを感じ、なんで職業としたのかなと不思議な気持ちになったものだった。
心は不思議なモノ。心に背く行動を重ねていると、どこかで歪んでしまうのが人間だと思う。もしかすると、飯島愛さんも、そんな時間を積み重ねたことで精神に災いをもたらしたのではないかなと感じた。
華やかだった飯島愛さんの死にまつわる言動を聞いて、彼女の寂しさを知ったが、独りだったと言うブログの言葉にある寂しさに同情した。
俺はどうだろう。
桜井のように好き勝手を言いながら生きられたら幸せだよな、と、前に言われたが、俺の心にあるものなど、まあ判らないかも知れない。
明るい行動が明るさから生まれるとは限らない。その逆もあるし、人の本性、本心は、なかなか理解されないのかも知れないね。
今夜はクリスマス。ゆっくり独りを考えるにはいい日かも知れない。
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