桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ツクシ

2009-03-30 | Weblog
今年、初めてツクシを見た。日溜まりの路肩に沢山成長していた。野を歩いたり、野に近い場所での仕事をしていないせいで見られなかったが、かなり大きくて、朝晩は冷えるものの、日中になれば汗ばむほどの日差しに育てられていたのを知った。
野を歩かなければ、野の物を知ることは出来ないね。

2009-03-30 | Weblog
家から布佐駅まで歩く途中に中学校がある。布川中学校が移転しての利根中学校だが、三年前に統廃合されて、今は無人となっている。ここに学んだわけではないし、廃校に感慨はないが、桜が無人となっても咲いているのには、些かの感傷がある。
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず

でも、今年の桜はおかしい。例年ならば桜色一色なのに、今年は葉が芽生え始めて緑色が強い。咲き始めてから花冷えが続き、時間が掛かっているせいだろうか。昼は日差しがあるから葉が芽生えてしまったのかも知れない。
まあ長く桜を見られるのは嬉しいことだが。

可視化問題

2009-03-29 | Weblog
布川事件は、五月に新聞に意見広告を掲載する運動を始める。
その主張の一つは全面可視化せよだが、先日の新聞には、警察が試行した一部可視化に付いての発表が載っていた。
「人間関係が築けないから反対」と言うのが取り調べ関係者の総意らしい。
人間関係ねぇ。巧い言葉だけども、要は脅したりすかしたり、嘘八百を並べ立て、ごめんなさいと言わせられないから反対なんだと思うが、現状の捜査が続いてきた結果、今の検挙率になっていることに反省がないよね。
重大事件の未解決率は、本当に高くなっている。これは可視化問題とは、全く関係はないだろう。犯罪を抑止する最高の手段は、総ての犯罪者を検挙することなのだから、警察は正面から検挙率を高める方策を考えて努力をすべきだろう。
警察が可視化に反対する理由は、それなりに納得する人はいるだろうが、絶対に検挙率とは関係ないし、真に科学的捜査に進む道を阻んでいると思う。
警察は、社会の安全と平和を守る大事な組織なのだから、それに相応しく変わって欲しいと願うばかりだ。まあ無理だろうけどね。

ゴキブリの足音

2009-03-29 | Weblog
昨日の仕事中、「俺はゴキブリの足音で目を覚ますんだよね」と言ったらば、「足音なんか判るわけない!」と笑われた。
だよね。そう思って当然だ。微かにモノに触れるよう音を感じて目を覚ますなんて、信じなくて当然だが、これが判るんだな。
再審開始決定があったときに、少しだけ熟睡できるようになったが、今はまた元に戻ってしまった。
闘いが終われば眠れるようになる。おれの勝利の楽しみは、そこにもある。

休日

2009-03-29 | Weblog
今日は、俺の住んでいる中田切地区の総会。次年度の区長などが決まるが、これは自動的な順送り。さして議論される問題もないから、予定があれば、そっちを優先するから総会には出ないことが多いが、今日は予定がないから参加する。
その前に庭の草取りをしなければ。これが大変なんだ。除草剤でも散布すれば手間はないが、どうも除草剤は使う気にならなくて、毎年、この時期からは草取りの面倒を味わう。

休み

2009-03-27 | Weblog
このところ、ブログは休みがちだ。電車に乗っても、今までならばブログを書いていたが、今は任天堂DSで英語を遊んでる。
休んでいる間に、俺の身辺は慌ただしくなった。
人生は面白いというか、不思議というか、色々とある。あるから楽しいとも言えるが、再審請求という難事に立ち向かう身としては、もう少し安心して闘いに集中したいと言う気持ちだ。
俺の傍には敏感な人もいて、俺が苛立っていると言う。高裁で勝って変ったとも言う。
人生はなるようにしかならない、とも言えるが、なるようになるには、なるように努めなければならない。一生懸命、それが出来なければ、なるようにはならない。ただ、流されるだけ。
眠りたなあ。休みたいなあ。

根切り

2009-03-27 | Weblog
ブロックを積む前には、そのラインに添って高さを決めて、写真のような「チョウハリ」と言うモノを作り、穴を掘る。
そこに採石を敷き、その上に生コンを流してブロックを積む。
生コンを流してしまったら、固まらないうちに総てのブロックを積みあげなければならない。結構、大変だが、毎回、違った感覚で仕事を出来るので、俺は楽しくやれている。

仕事

2009-03-24 | Weblog
昨日は五日振りの仕事だった。駐車場にする場所に生コンを流したが、この作業が、結構大変で疲れる。
まず、積み上げたブロック塀に高さの墨をだし、駐車場の広さによって何列かに鉄筋棒を立てて生コンの高さを示す。この目印に添って生コンを流して行く。
更に、流した生コンを平らにする作業をし、この上に二度、鏝を掛けて仕上げとなる。
写真は一度目の鏝掛け後。仕上げ鏝、磨きと言われる作業ができる状態になるまで、生コンが乾くのを待ってるときのものだが、この仕上げが力を使う。前屈みの姿勢も身体に負担をかけるから疲れるのだ。
俺のように仕事に行くのが不定期だと、たまに行って生コン作業をするのは、少し疲れるようになったのかもしれない。
あと何年、こんな生活が続くのだろうか。

ジーパン

2009-03-23 | Weblog
ジーパンの左膝が切れた。擦り切れを放置していたらば、一気に破れが広がった。若者は、わざわざ破って着ているから、オヤジの俺だって穿いて構わないと思ったが、連れ合いは反対だと言う。
何を言われても、思われても構わない、俺は俺だものとは思うが、闘う立場としては人様の思いや印象は大事。オヤジのジーパンの破れは不恰好、不潔かもしれない。
納得して穿くのは諦めたが、珍しく皮肉めいた言葉が続いて、アナタは何だか判らない人だ、歯ブラシを使ったまま机に置いて、また洗わないで使うなんて、こんな不潔なことをしてるなんて、誰も思わないよね、私しか本性を知らないね、などと言う。
何も俺が使うんだもの、不潔も清潔もあるまい。聖書にあるよね、人が汚れるのは口に入るモノにはよらない、口から出るモノによって汚れるのだと。
俺は、その点では汚れているとは思うけど。

イギリスの冤罪

2009-03-22 | Weblog
昨日付けの赤旗にロイター電として、27年服役していた終身刑の男性がDNA鑑定で無実が証明されて有罪判決が取り消されたニュースが載っていた。
この人は、自白や血痕などを証拠に有罪にされたらしいが、弁護士の訴えを受けた警察が再捜査に同意して、現場から採取した資料を再検査したところ、男性のとは一致しないことが判って無罪にされたのだと言う。
日本とは違うね。日本だったらば、まず警察は再捜査、再検査なんてしない。日本は隠すだろうね、こんな場合。北陵クリニック事件など、証拠の血液を残さずに使い果たしたといい、再検査の道を閉ざしてる。千回分の血液を使い果たしたと言うのだから呆れる。嘘だよね。鑑定結果をでっち上げたから、再検査をさせないために全部の血液を使ったことにしているだけだろう。
更に違うのは検察の態度だ。イギリスの検察局は、DNA鑑定が採用される前になされた同じような判例を総て再検討すべきだという提案について検討しているともあった。当然の話だが、日本とは、本当に違うよね。
日本でも死刑囚が何人も再審で無罪になったことがあった。検察が隠していた証拠が開示されたことで無実が証明されたのだが、日本の検察は、その後、検察首脳が集まって、以後、証明は開示しない、隠し続けることを決めたのだ。
この違い、何だろうね。