スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

グランマスティーヴンス&第二部定理四二の意味

2011-05-17 18:54:11 | 血統
 東京開催となった今年の皐月賞オルフェーヴルが優勝しました。この馬の輸入基礎繁殖牝馬は1977年アメリカ産のグランマスティーヴンス。オルフェーヴルの曾祖母にあたります。ファミリーナンバー8-c
                         
 アメリカで1頭の産駒を産んだ後,社台が輸入。記録をみますと,種付けはされたものの産駒はなしという年も多く,体質的にはやや問題があったのかもしれません。ただ,輸入後に登録されたのは4頭続けて牝馬で,このために枝葉は伸びました。
 この4頭のうち,3頭目がオルフェーヴルの祖母になります。一族から重賞の勝ち馬はなかなか出てきませんでしたが,ついに2006年になって,オルフェーヴルの全兄にあたるドリームジャーニー朝日杯フューチュリティステークスを制覇。つまり一族の最初の重賞制覇が大レース制覇となったのです。ドリームジャーニーはその後も大レースを2勝するなど,近年の名馬の1頭になりました。
 オルフェーヴルはドリームジャーニーの朝日杯優勝の翌年に種付けされた産駒。配合相手にステイゴールドが選ばれたのは,ドリームジャーニーの活躍があったからでしょう。だからといって成功するというのは稀なパターンなのですが,この馬の場合は大成功。おそらくよほど相性の良い父と母の組み合わせなのだろうと思います。ドリームジャーニーもオルフェーヴルも牡馬ですから,一族をさらに繁栄させていくということはできませんが,この兄弟の間には牝馬が2頭いますので,そちらの子孫から活躍馬が出てくる可能性は大いにあるのではないかと思います。

 第二部定理四二は,個別の真理veritasについての言及ではなく,真理一般に関する定理Propositioであるというように僕は理解します。すなわちそこでいわれていることは,たとえばAの真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataがAについての真理と虚偽falsitasとを分つということではなく,むしろ何でもいいのですがあるひとつの真理は,すべての真理の規範である,いい換えればすべての真理と虚偽とを分つような力potentiaを有しているというようなことだと僕は考えるのです。
 僕がこの定理を上述のような意味に理解する根拠を説明しましょう。もしもこの定理が個別の真理に関する言及であるなら,たとえば人間の精神mens humanaは,Aの真理と虚偽を分かつために,Aの十全な観念を有していなければなりません。しかしこのAというのは任意のものですから,どんな場合にも妥当します。したがって人間の精神は,その十全な観念を有するものについてはそれに関する真理と虚偽とを分かつことができるけれども,そうでない場合にはそれが不可能であるということになります。しかし僕はこれをいうのは不条理なのではないかと思うのです。
 これは論理的に考えるよりも,経験的に反省してみた方がよく理解できるのではないかと思います。そしてこの場合には,人間の精神の一部を構成する混乱した観念idea inadaequataの代表である表象像imagoを例にするのが手っ取り早いでしょう。
 第二部定理一七の仕方で,ある人間の精神のうちに外部の物体corpusXの表象imaginatioが生じたとしましょう。もしも第二部定理四二が個別の真理に関する言及であるなら,この人間がそのXの十全な観念を有していない限り,この人間はXの表象像が真理であるか虚偽であるか,つまり十全な観念であるのか混乱した観念であるのか分からないということになります。しかしそんなことはあり得ません。たとえこの人間の精神のうちにXの十全な観念が現実的に存在しないのだとしても,この人間はXの表象像がXについての真理ではない,つまり虚偽であるということは知り得るでしょう。すなわち,Xの真理がどういうものであるかを知らない場合でも,このXについての表象像が虚偽であるということだけは,この人間は認識するcognoscereことができるのです。したがって,やはり第二部定理四二というのは,個別の真理と虚偽に関する言及というより,真理と虚偽一般に関連する言及だと理解するべきだと思います。
コメント
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