金沢から1頭,笠松から2頭が遠征してきた第37回東京2歳優駿牝馬。
1番人気のノットオーソリティーが出遅れるという波乱のスタート。先手を奪ったのはタントタントで,やや掛かっていたように見えたラブミーブルー,笠松のワンダフルタイムの3頭がレースを引っ張りました。内にレインボーラヴラヴが続いてエドノミリアン,クライリング。さらにブセナ,コマンドゥールキイが追走。中団以降はブルーセレブ,イグレシアス。追い上げたノットオーソリティーは,向正面に入る辺りでこの後ろ。シャークファング,ストロベリーランと続きました。前半の800mは51秒1でこれはミドルペース。
ノットオーソリティーは向正面でも外を漸進していったので,あまり落ち着くところがないレースに。直線の入口ではまだタントタントが粘り,ラブミーブルーは後退加減。ワンダフルタイムが外から2番手で内にレインボーラヴラヴ。これらの外にコマンドゥールキイがいてさらに外からノットオーソリティー。ただ,いずれも早めに動かざるを得ないようなレースであったため,最後はもがくことに。控えていたブルーセレブが馬場の中央を突き抜けて優勝。3コーナーから一旦は下がったクライリングが盛り返して2番手に上がりましたが,大外を伸びたストロベリーランがこれを差して1馬身半差の2着。クライリングが4分の3馬身差で3着。
優勝したブルーセレブは7月の新馬を2着の後,連勝。前走は地方交流のオープンで6着に敗れましたが牝馬戦のここで巻き返しました。ただ,レース展開に乗じたという面があったことは否めず,この路線でトップに立ったとはまだいえないように思います。父は2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエンで,その母はホワイトウォーターアフェア。母の父はゴールドアリュール。祖母の従姉に1996年のJRA賞最優秀短距離馬,最優秀父内国産馬のフラワーパーク。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は先月の勝島王冠以来の南関東重賞制覇。第35回以来2年ぶりの東京2歳優駿牝馬2勝目。管理している川崎の武井和実調教師は南関東重賞初勝利。
セレモニーホールはこのバスのふたつのバス停の間にあり,また国道16号線の向って反対側に存在しますので,やや時間を要することにはなりましたが,出た時間が早かったですから,十分な余裕をもって到着することができました。そして納棺が始まるまでの時間に,従兄からN伯父の死の正しい状況を教えてもらいました。
妻の七回忌の法要の時点で,大腸癌はすでに発見されていました。大腸癌は部位によってさらに細かく分類されます。父は横行結腸癌でしたが,N伯父はS字結腸癌でした。ただ,癌が小さかったこともあり,N伯父はすぐに手術に踏み切ることには迷いがあったそうです。一方,従兄は早めに切除してしまった方がよいと考え,N伯父を説得。N伯父も納得して手術のために横浜市大病院に入院したのが10月22日のことでした。詳しくは聞けませんでしたが,間があったのは,説得に時間を要したことと,健診は磯子中央病院で受けたのに対し,手術は市大病院であったため,新たに検査をし直す必要があったためだろうと思います。
手術は10月24日。これは成功。つまり癌の除去はできたわけです。麻酔からも問題なく目覚め,一般病棟に戻って,リハビリのための歩行訓練をするところまではいったそうです。ところが,S字結腸癌というのは,大腸のほかの部分と比べると,切除した後の縫合が難しいのだそうです。従兄は警察官ですから,医療に詳しいとは考えにくく,おそらく事前に担当医から説明を受けていたのでしょう。N伯父もリハビリを開始した後にその縫合部分が詰まり,腸閉塞を起こしてしまいました。
腸閉塞は詰まっている物を通してやりさえすればよいので,それ自体の施術は難しくないそうです。ところがN伯父の場合はその施術が結果的に手遅れとなってしまいました。閉塞して詰まったものが外部に漏れ出してしまったのです。もちろんここでいう外部というのは,N伯父の腸の外部という意味であり,N伯父の体内のこと。この影響で腹膜炎を発症。意識不明に陥りICUへと入りました。そしてこの時点で,ほかの親戚に報知されたのです。つまりN伯父の直接の死因は,腹膜炎でした。
1番人気のノットオーソリティーが出遅れるという波乱のスタート。先手を奪ったのはタントタントで,やや掛かっていたように見えたラブミーブルー,笠松のワンダフルタイムの3頭がレースを引っ張りました。内にレインボーラヴラヴが続いてエドノミリアン,クライリング。さらにブセナ,コマンドゥールキイが追走。中団以降はブルーセレブ,イグレシアス。追い上げたノットオーソリティーは,向正面に入る辺りでこの後ろ。シャークファング,ストロベリーランと続きました。前半の800mは51秒1でこれはミドルペース。
ノットオーソリティーは向正面でも外を漸進していったので,あまり落ち着くところがないレースに。直線の入口ではまだタントタントが粘り,ラブミーブルーは後退加減。ワンダフルタイムが外から2番手で内にレインボーラヴラヴ。これらの外にコマンドゥールキイがいてさらに外からノットオーソリティー。ただ,いずれも早めに動かざるを得ないようなレースであったため,最後はもがくことに。控えていたブルーセレブが馬場の中央を突き抜けて優勝。3コーナーから一旦は下がったクライリングが盛り返して2番手に上がりましたが,大外を伸びたストロベリーランがこれを差して1馬身半差の2着。クライリングが4分の3馬身差で3着。
優勝したブルーセレブは7月の新馬を2着の後,連勝。前走は地方交流のオープンで6着に敗れましたが牝馬戦のここで巻き返しました。ただ,レース展開に乗じたという面があったことは否めず,この路線でトップに立ったとはまだいえないように思います。父は2005年の安田記念を勝ったアサクサデンエンで,その母はホワイトウォーターアフェア。母の父はゴールドアリュール。祖母の従姉に1996年のJRA賞最優秀短距離馬,最優秀父内国産馬のフラワーパーク。
騎乗した船橋の森泰斗騎手は先月の勝島王冠以来の南関東重賞制覇。第35回以来2年ぶりの東京2歳優駿牝馬2勝目。管理している川崎の武井和実調教師は南関東重賞初勝利。
セレモニーホールはこのバスのふたつのバス停の間にあり,また国道16号線の向って反対側に存在しますので,やや時間を要することにはなりましたが,出た時間が早かったですから,十分な余裕をもって到着することができました。そして納棺が始まるまでの時間に,従兄からN伯父の死の正しい状況を教えてもらいました。
妻の七回忌の法要の時点で,大腸癌はすでに発見されていました。大腸癌は部位によってさらに細かく分類されます。父は横行結腸癌でしたが,N伯父はS字結腸癌でした。ただ,癌が小さかったこともあり,N伯父はすぐに手術に踏み切ることには迷いがあったそうです。一方,従兄は早めに切除してしまった方がよいと考え,N伯父を説得。N伯父も納得して手術のために横浜市大病院に入院したのが10月22日のことでした。詳しくは聞けませんでしたが,間があったのは,説得に時間を要したことと,健診は磯子中央病院で受けたのに対し,手術は市大病院であったため,新たに検査をし直す必要があったためだろうと思います。
手術は10月24日。これは成功。つまり癌の除去はできたわけです。麻酔からも問題なく目覚め,一般病棟に戻って,リハビリのための歩行訓練をするところまではいったそうです。ところが,S字結腸癌というのは,大腸のほかの部分と比べると,切除した後の縫合が難しいのだそうです。従兄は警察官ですから,医療に詳しいとは考えにくく,おそらく事前に担当医から説明を受けていたのでしょう。N伯父もリハビリを開始した後にその縫合部分が詰まり,腸閉塞を起こしてしまいました。
腸閉塞は詰まっている物を通してやりさえすればよいので,それ自体の施術は難しくないそうです。ところがN伯父の場合はその施術が結果的に手遅れとなってしまいました。閉塞して詰まったものが外部に漏れ出してしまったのです。もちろんここでいう外部というのは,N伯父の腸の外部という意味であり,N伯父の体内のこと。この影響で腹膜炎を発症。意識不明に陥りICUへと入りました。そしてこの時点で,ほかの親戚に報知されたのです。つまりN伯父の直接の死因は,腹膜炎でした。