スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

霧島酒造杯女流王将戦&有力な方法

2012-11-26 18:41:17 | 将棋
 17日に放映された第34期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月12日。
 里見香奈女流王将の先手で相三間飛車。中村真梨花女流二段が追随する指し方をしたので相金無双の先後同型に。先手から角交換し,互いに相手の玉頭に展開した飛車先を交換。先手が浮飛車,後手が引き飛車に構えました。
 模様のよかった先手から仕掛けたのですが,おそらく攻め急ぎがあったため,緩める展開に。その間に後手が反撃。後手がリードしたようにも思え,勝負のポイントとなったのはそのあたりだったのではないでしょうか。
 しかしこの将棋のハイライトは最後の部分にあったと思います。
                         
 2二の飛車が成り込んだ局面ですが,先手玉はすでに逃げ切っているといえ,先手の勝勢。▲6三歩成△同金▲6四歩と攻めて先手が勝つでしょう。
 実戦は▲6三歩成△同金に▲8二角成と切りました。△同玉に▲7四桂△同金としてから今度は▲8三飛成と飛車も切ります。△同玉に▲7四銀と呼んでおいた金を取り,△同玉に▲6五銀。
                         
 3三に先手の歩がいるのが大きく即詰みです。鮮やかな収束でした。
 里見女流王将が勝って1勝1敗に。負ければ失冠という状況の40秒将棋の中で,この勝ち方にはしびれました。

 この問題を解消するために,ここまでの考察のみに限定するのであれば有力と思える方法がありますので,とりあえずはこれを先に紹介しておきます。
 第二部定理一一系の中でスピノザは,神が人間の精神本性によって説明される限りにおいて,あるいは神が人間の精神の本質を構成する限りにおいて,という意味のことをいっている部分があります。僕がいう有力な方法というのは,このときに,あるいはで接続される文章の前後には,意味の相違があると考える方法です。そしてこの相違は具体的には,前半部分は人間の精神による事物の認識,すなわち十全であるか混乱しているかを問わずに単に認識を意味し,後半部分は人間の精神による事物の十全な認識だけを意味するという相違になります。こう解釈しますと,第二部定理一一系の新しい意味は成立することになります。すなわち第二部定理九系の消極的意味も,第二部定理一二の新しい意味も成立するのです。
 スピノザは第二部定理一二の論証の中では,人間精神の本性を構成している限りでの神に訴えています。すなわちこれはあるいはの前半部分に訴えているのであって,これは混乱した観念を含むことになっていますので問題ありません。一方,第二部定理四〇の論証においては,人間の精神の本質を構成する神に訴えています。つまりあるいはの後半部分に訴えているのであって,これは十全な観念を意味しますから,こちらも問題ありません。
 しかしこれは,あくまでもこれまでの考察に関連する部分とだけの一致です。この解釈は,本性の方は十全な観念と混乱した観念の両方を含むのですから,スピノザがどこでこちらに訴えていたとしてもさほど問題視することはないといえます。しかし,本質の方に訴える場合は,人間の精神のうちにある十全な観念だけを意味しなければなりませんから,人間の精神のうちにある混乱した観念についての論証には用いることが不可能です。ところが,『エチカ』をよく調べてみますと,これに明らかに反する部分があるのです。なので僕はこの方法は有力だとはいいますが,正しい方法であるとはいいません。
コメント
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