南関東勢にとっては東京大賞典へのステップレースとなる第4回勝島王冠。
やや競り合い加減でしたが先手を奪ったのはドリームライナー。マチカネニホンバレとルクレルク,さらにツルオカオウジとエプソムアーロンまでの5頭はほぼ一団。少し離れてプーラヴィーダが第二集団の先頭で,これをマークする位置にカキツバタロイヤル。最初の800mは50秒3のミドルペース。
例によって後方に控えていたアートサハラが向正面で進出。ただ,今日は好調時の勢いがなく,早々に失速。呼応して動いていたのがツルオカオウジで,ドリームライナーに並び掛けて直線。抜け出すのに苦労している間に大外を回ったカキツバタロイヤルと中を割ったプーラヴィーダに先にいかれ,最後はこの2頭の叩き合い。内のプーラヴィーダが半馬身差でこれを制し,カキツバタロイヤルが2着。4馬身差の3着に後方から追い込んだフォーティファイド。
優勝したプーラヴィーダは3歳馬。重賞3着の実績で大井に転入。緒戦の東京ダービーを2着した後,9月から始動し古馬相手のA級条件を楽に連勝していました。斤量関係も有利で,1番人気に推されていましたが,その支持に応えての優勝。2着馬は相手次第で重賞通用の馬ですので,この馬も重賞で好勝負できそうです。今後が楽しみになる南関東重賞初制覇でした。曾祖母の叔父にアローエクスプレス。Pura Vidaはポルトガル語で純粋な生命。
騎乗した大井の戸崎圭太騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。勝島王冠は初制覇。管理している大井の森下淳平調教師も勝島王冠は初勝利。
有力な方法が成立すると仮定した上で,第二部定理二二の論証でスピノザが示していることから浮上してくる課題というのは,自分の身体の中に何かが起こるというときに,その観念がその人間の本質を構成する限りでの神のうちにある,いい換えるなら人間は自分の身体の中に起こることを十全に認識するというとき,十全に認識されるといわれるその身体の中に起こる何かとは,具体的には何であるのかということになるであろうというのが僕の考えです。しかるにこの課題というのは,すでに何度か紹介しましたように,僕がこのブログを開設して最初に第二部定理一二をテーマとして設定したときの,中心課題でした。すなわち課題がぐるりと一周して元に戻ったのだということになります。
このことから分かるように,結局のところ第二部定理一一系についてこの方面から考察していくと,第二部定理一二について考える発端となる課題へと逆戻りしてしまうのです。そして確かに現在の僕は,この課題に関しては,後に説明するように,はっきりとした解決法というのを得ることはできていないのですが,少なくともこのブログを開設したときに抱えていたこの課題の重みと比べるのであれば,それを減らすことができるような考え方はしています。よってそのことにより,第二部定理一一系の新しい意味が抱えている課題というのも,いくらかは軽減する筈です。しかし第二部定理一二に関するこの課題が完全には解決できていないということは,要するに第二部定理一一系の新しい意味から派生している課題も解消できてはいないということですから,これをこのままの形で放置しておくというわけにはいかないでしょう。そして,有力な方法を用いるならば,トートロジーに陥るということがもはや判明したのですから,別の道を探し出さなければならないということになります。
やや競り合い加減でしたが先手を奪ったのはドリームライナー。マチカネニホンバレとルクレルク,さらにツルオカオウジとエプソムアーロンまでの5頭はほぼ一団。少し離れてプーラヴィーダが第二集団の先頭で,これをマークする位置にカキツバタロイヤル。最初の800mは50秒3のミドルペース。
例によって後方に控えていたアートサハラが向正面で進出。ただ,今日は好調時の勢いがなく,早々に失速。呼応して動いていたのがツルオカオウジで,ドリームライナーに並び掛けて直線。抜け出すのに苦労している間に大外を回ったカキツバタロイヤルと中を割ったプーラヴィーダに先にいかれ,最後はこの2頭の叩き合い。内のプーラヴィーダが半馬身差でこれを制し,カキツバタロイヤルが2着。4馬身差の3着に後方から追い込んだフォーティファイド。
優勝したプーラヴィーダは3歳馬。重賞3着の実績で大井に転入。緒戦の東京ダービーを2着した後,9月から始動し古馬相手のA級条件を楽に連勝していました。斤量関係も有利で,1番人気に推されていましたが,その支持に応えての優勝。2着馬は相手次第で重賞通用の馬ですので,この馬も重賞で好勝負できそうです。今後が楽しみになる南関東重賞初制覇でした。曾祖母の叔父にアローエクスプレス。Pura Vidaはポルトガル語で純粋な生命。
騎乗した大井の戸崎圭太騎手はロジータ記念以来の南関東重賞制覇。勝島王冠は初制覇。管理している大井の森下淳平調教師も勝島王冠は初勝利。
有力な方法が成立すると仮定した上で,第二部定理二二の論証でスピノザが示していることから浮上してくる課題というのは,自分の身体の中に何かが起こるというときに,その観念がその人間の本質を構成する限りでの神のうちにある,いい換えるなら人間は自分の身体の中に起こることを十全に認識するというとき,十全に認識されるといわれるその身体の中に起こる何かとは,具体的には何であるのかということになるであろうというのが僕の考えです。しかるにこの課題というのは,すでに何度か紹介しましたように,僕がこのブログを開設して最初に第二部定理一二をテーマとして設定したときの,中心課題でした。すなわち課題がぐるりと一周して元に戻ったのだということになります。
このことから分かるように,結局のところ第二部定理一一系についてこの方面から考察していくと,第二部定理一二について考える発端となる課題へと逆戻りしてしまうのです。そして確かに現在の僕は,この課題に関しては,後に説明するように,はっきりとした解決法というのを得ることはできていないのですが,少なくともこのブログを開設したときに抱えていたこの課題の重みと比べるのであれば,それを減らすことができるような考え方はしています。よってそのことにより,第二部定理一一系の新しい意味が抱えている課題というのも,いくらかは軽減する筈です。しかし第二部定理一二に関するこの課題が完全には解決できていないということは,要するに第二部定理一一系の新しい意味から派生している課題も解消できてはいないということですから,これをこのままの形で放置しておくというわけにはいかないでしょう。そして,有力な方法を用いるならば,トートロジーに陥るということがもはや判明したのですから,別の道を探し出さなければならないということになります。