3日に放映された第34期女流王将戦挑戦者決定戦。対局日は9月7日。その時点での対戦成績は中井広恵女流六段が3勝,中村真梨花女流二段が6勝。
振駒で中井六段の先手。中村二段のノーマル四間飛車に先手の居飛車穴熊。この将棋は仕掛けたところでもう差がついていました。
ここで先手は▲5九角と引き,△5五歩に▲3七角と出ました。ひとつの作戦ですが,この形ではまずかったようです。後手は△3五歩とこちらに手を付け▲同歩△同銀。先手は▲2四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲3四歩と打ち,△2二角に▲5五角とぶつけました。当然△同角▲同歩。手番を得た後手は自然な△4六歩。▲同歩は仕方なく△同銀に▲5六銀と交わしたのですが,△5七歩▲6八金寄△4七銀不成▲同銀△同飛成で後手が完全に捌きました。
この後,先手が駒を投資して龍を後手陣に追い返す指し方をしたので,後手が先手の反撃を受けきるような将棋となり,手数は長くなったのですが,先手にチャンスらしいチャンスがないまま後手の勝ちに終っています。
中村女流二段が挑戦権獲得。タイトル挑戦は第17期倉敷藤花戦以来の2度目です。
ここでひとつの難題に立ち向かうことになります。それは,ある個物が現実的に存在するという場合に,その個物の本性には自身が現実的に存在しているものであるということ,いい換えれば自身が一定の持続のうちに存在するものであるということが含まれているのかどうかということです。
僕がこれを難題だというのは,僕にとってその答えを出すことが困難であるからというわけではありません。むしろこの点に関しては,見解が二分されるだろうと想定しているからです。では僕自身の考え方はどうなのかといえば,これは前回の考察において示した通りであり,それが含まれるという結論です。ここでは詳細には繰り返しませんが,その根拠として,第二部定理四四系二証明の補足をあげておきます。
そのときに説明したように,この問題を真正面から取り上げたヨベルは,結論としては僕と同じものを出しています。しかし,この結論にもある難点が含まれるとヨベルは考えていました。そして僕も確かに難点があるということは認めます。そしておそらくそのときにヨベルが考えていた難点のひとつに,このことが第三部定理七と矛盾しないのかどうかということが含まれていたのではないかと思えるのです。
確かに現実的に存在するある個物の本性に,持続のうちにそれ自身が存在するということが含まれているならば,それはそうした個物が自身の現実的有に固執する傾向を必然的に有するということと,矛盾していると思えなくもありません。とくに後者は,個物の現実的本性として必ず含まれていると考えなければならないような内容を有しているといえ,そうなってくると個物の本性にそれ自身の持続というのを帰することは不可能であるということになるでしょう。そして僕自身が,このゆえに現実的に存在する個物の本性には,その個物の持続の範囲については含まれると考えることはできないと結論しているのです。
しかし,僕の考えではこれは解決が可能です。いい換えれば,現実的に存在する個物の本性に,その持続の範囲が含まれないということと,それが持続するものであるということが含まれるということを,同時に主張することは,矛盾しないと考えるのです。
振駒で中井六段の先手。中村二段のノーマル四間飛車に先手の居飛車穴熊。この将棋は仕掛けたところでもう差がついていました。
ここで先手は▲5九角と引き,△5五歩に▲3七角と出ました。ひとつの作戦ですが,この形ではまずかったようです。後手は△3五歩とこちらに手を付け▲同歩△同銀。先手は▲2四歩△同歩の突き捨てを入れてから▲3四歩と打ち,△2二角に▲5五角とぶつけました。当然△同角▲同歩。手番を得た後手は自然な△4六歩。▲同歩は仕方なく△同銀に▲5六銀と交わしたのですが,△5七歩▲6八金寄△4七銀不成▲同銀△同飛成で後手が完全に捌きました。
この後,先手が駒を投資して龍を後手陣に追い返す指し方をしたので,後手が先手の反撃を受けきるような将棋となり,手数は長くなったのですが,先手にチャンスらしいチャンスがないまま後手の勝ちに終っています。
中村女流二段が挑戦権獲得。タイトル挑戦は第17期倉敷藤花戦以来の2度目です。
ここでひとつの難題に立ち向かうことになります。それは,ある個物が現実的に存在するという場合に,その個物の本性には自身が現実的に存在しているものであるということ,いい換えれば自身が一定の持続のうちに存在するものであるということが含まれているのかどうかということです。
僕がこれを難題だというのは,僕にとってその答えを出すことが困難であるからというわけではありません。むしろこの点に関しては,見解が二分されるだろうと想定しているからです。では僕自身の考え方はどうなのかといえば,これは前回の考察において示した通りであり,それが含まれるという結論です。ここでは詳細には繰り返しませんが,その根拠として,第二部定理四四系二証明の補足をあげておきます。
そのときに説明したように,この問題を真正面から取り上げたヨベルは,結論としては僕と同じものを出しています。しかし,この結論にもある難点が含まれるとヨベルは考えていました。そして僕も確かに難点があるということは認めます。そしておそらくそのときにヨベルが考えていた難点のひとつに,このことが第三部定理七と矛盾しないのかどうかということが含まれていたのではないかと思えるのです。
確かに現実的に存在するある個物の本性に,持続のうちにそれ自身が存在するということが含まれているならば,それはそうした個物が自身の現実的有に固執する傾向を必然的に有するということと,矛盾していると思えなくもありません。とくに後者は,個物の現実的本性として必ず含まれていると考えなければならないような内容を有しているといえ,そうなってくると個物の本性にそれ自身の持続というのを帰することは不可能であるということになるでしょう。そして僕自身が,このゆえに現実的に存在する個物の本性には,その個物の持続の範囲については含まれると考えることはできないと結論しているのです。
しかし,僕の考えではこれは解決が可能です。いい換えれば,現実的に存在する個物の本性に,その持続の範囲が含まれないということと,それが持続するものであるということが含まれるということを,同時に主張することは,矛盾しないと考えるのです。